『紫苑ゆう』ギャラリー
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1999年12月4日に宝塚大劇場で紫苑ゆうさんのリサイタルがありました。
紫苑さんは元宝塚星組のトップスターで、1994年12月に東京公演★「カサノヴァ・夢のかたみ」「ラ・カンタータ!」で引退しました。

宝塚を引退したあともシメさん(紫苑さんの愛称)の舞台を見たいというファンは多かったのですが、御本人は「宝塚の紫苑ゆうで終わりたい」とすっぱり舞台から足を洗い、今は宝塚歌劇団の学校の歌の先生をしていらっしゃるそうです。未だに学校の門の前には通勤するシメさん目当てでカメラ片手に出待ちをする人がいるそうです。

引退したトップさんが「最初で最後」とはいえ再び宝塚の舞台に立つのは滅多にないことですが、今回は彼女が引退後に関係する高齢者福祉施設と阪神大震災のチャリティに宝塚が協賛するという形で実現したようです。
どんな形であれ、再びシメさんの舞台が見られるというのは、ファンにとっては信じがたい幸せであり、奇跡でした。

リサイタルは星組の元相手役白城あやかさん(今はタレント中山秀征さんの奥様。三年前に引退したとはいえ、ご結婚後その女らしさと「いい女」ぷりにますますみがきをかけました)をゲストに迎え、シメさんの、時にはあやかさんと二人の楽しいおしゃべりを交えて、最終公演の最後二日間だけ、公演後にやった「さよならショー」の曲を歌うという形で進みました。

宝塚ではトップさんのさよなら公演の最後二日間、それぞれ宝塚大劇場と東京宝塚劇場で、演目が終わったあとに、そのスターさんが代表作からメドレーを歌い、相手娘役や何人かが踊りで参加するという「さよならショー」をやります。これを「前ラク」「後ラク」と呼び、この最終二日のチケットを手に入れることは至難の業とされています。

実はこの「さよならショー」私も見ているのですが、宝塚のさよなら公演はスケジュール的にものすごくきつくて、公演中どんどん痩せていくのが目に見えて、ただでさえハードな公演のあとに15〜20分歌ったり踊ったりするので、見ているこちらが辛くて、心配で。
今回の方が安心して見ていられました。シロウトになって5年のブランクはキツイわ〜とゼイハア息をつくのも、楽しいおしゃべりの一部でした。

その中で一曲だけ、やめた後に宝塚が公演した演目の中から歌った曲がありました。
「エリザベート」の中の「最後のダンス」です。
私はハードなスケジュールをぬって、オフ会も犠牲にして「人非人」になって宝塚にやって来たのですが、それを聞いた時、これで地獄に堕ちてもいいと思いました。

「エリザベート」は大好きな作品です。
翻案した小池先生の才能。そして、それをバックアップした宝塚という「場所」に感激し、改めてファンになった作品です。
初演の雪組公演でトートをやった一路真輝さんの歌唱力、演技力、集中力に目を見張り、大好きになりました。
そして、その一路さんのエリザベート、シメさんのトートで「エリザベート」が見たいと思い続けて、ずっと私一人の頭の中だけで夢の舞台を想像してきました。
それが一曲だけとはいえ、実現したのです。
そうか。やっぱり、シメさんもトートやりたかったんだ。


シメさんのトート

 

紫苑さんはその抜群の歌唱力と、小さいときからやっていたバレエの素養か、その長い手足のせいか、踊る時の空間に作るフォルムが実に美しい、ショー・ストッパー的存在でした。
特にその長い手足のせいか(しつこい)宝塚のウリである黒燕尾服が異様に似合う方でした。
「氷の貴公子」と呼ばれ(中味はコテコテの関西系でしたが)「宝塚」の美学を誰よりも愛し、「宝塚」でしか見られない夢を舞台に顕現させることに命をかけていました。

トート役はシメさんのためにあるような役だ。と思っていたシメさんファンは私だけでは無いと思います。
その歌唱力と存在感で演じられるトートは、一路さんとはまた違う「黄泉の帝王」として、新しい「エリザベート」を、新しい宝塚を日本の舞台史に残したでしょう。
ファンたちはそんな夢を捨てることができませんでした。

宝塚のスター・システムの中では、一学年先にトップが出ると、その役者さんは代表作が二番手時代に出たり、トップになっても止める時にもう一般の舞台では苦しい歳になっていたり、ちょっと辛いようです。

シメさんも「ベルばら」をやりたいと入たのに、念願のオスカル役をやった時は、海外公演が入ってTV放映の時は別の人だったり(シメさんのオスカルはすごい傑作ですが、ビデオは残っていません)、トップになってからも、憧れの「うたかたの恋」の公演を前にしてアキレス腱を切って、懸命のリハビリの結果、東京公演には出られましたが、これもビデオは代役だった麻路さきさんのルドルフです。
その麻路さんがトップになってから、白城あやかさんをエリザベート役に、星組が「エリザベート」を公演したのが1997年。
二年早かったらシメさんがトートをやっていたのになああ。

宝塚は日本にしかない特殊な芸能空間です。
女が男役をやるジェンダー交換、うんぬんというのは歌舞伎の伝統を持ち出すまでもなく、世界中の芸能史の上でよく見られることで、シェイクスピア時代の演劇、中国の京劇。中国には「呉劇」でしたっけ?女性が男役をやる女性ばかりの劇もあるそうです。

宝塚の場合、その創始者である小林一三氏の存在が大きいようです。
阪急鉄道の基礎を作った実業家。神戸から電車を引いて、その沿線の土地を住宅地として開発して売り出すために、終点に宝塚遊園地を作ります。
小林氏はその恵まれなかった幼少期の記憶から、家族そろって楽しめる「楽園」を宝塚に作ろうと考えて、事業を越えて熱中します。
家族そろっての娯楽の「規範」を、当時の日本の「理想」である西欧教養主義に求め、ロンドンのオペレッタ、パリのキャバレー、ニューヨークのレビューから舞台芸術のノウハウを吸収しつつ、そのポリシーは女だけの劇団で「清く、正しく、美しく」
・・・むちゃくちゃでんがな、おっさん。

出雲の阿国を持ち出すまでもなく、演劇はその始まりから、既成体制への反抗であり、現実では実現できない「夢」がそこで実現される「悪場所」です。
小林氏の理想は、「清く正しく美しい」悪場所という世界に類を見ないキメラ「宝塚」を、この日本に作り出してしまいました。
それは阪急電鉄というスポンサーをバックに、社会的に認知され日本中に浸透します。
そしていろいろな危機はありましたが、日本の女性文化の一翼を担って今に至っています。

その小林氏のむちゃくちゃのおかげで、阪急が電車を引いている大阪から神戸にかけての関西山の手に、お嬢様方奥様方が宝塚に通い、その阪急山の手文化圏を宝塚が支え、土地と文化の幸せな関係がバランスを保つひとつの場所が生まれました。

宝塚ファンというのは、好きなスターさんに熱中し、その公演を追いかけ、スターさんが引退したり、或いは引っ越しや結婚で現実の方が大事になったりして、しばらく離れます。でもまた、何かの拍子で、ふっと思い出して振り返る。すると、以前と変わらぬ姿で宝塚はいつも待っててくれる。そして、また通い出すのです。今度は娘と一緒に。孫の手を引いて。

宝塚は、振り返るといつもそこにある「夢」です。

でも「夢の工場」の内部は、たくさんの人間が集まってやることである以上、きれいごとではすみません。
挫折や諦めや失望が渦を巻き、涙と絶望が支配するとても人間くさい世界です。
「最後のダンス」をシメさんが歌うのを聞くのはファンにとっては嬉しいと同時に、ある種の痛みを伴うものでした。
シメさんがもう宝塚でトートをやることはないんだな・・。

宝塚大劇場というのは温泉地の団体観光客向けだけあってとても大きいのです。東京より、ずっと。だだっ広いといってもいいかもしれない。
その空間を、いつもはセットの豪華さや群舞の迫力で埋めるのですが、「リサイタル」では出演はシメさんとあやかさんだけで、その舞台にたった一人立つシメさんは、特に最初の方、すごく苦しそうでした。
バウホールくらい小さい空間ならお客との間が近づいて一体感がでるのにな。
でも、宝塚オーケストラは指揮の吉崎先生はじめ、すごい音を奏でました。
かつてやった曲ばかりとはいえ、たった一夜だけのリサイタルにあんな素晴らしい音を奏でるなんて、宝塚の舞台はまたあなたを迎えられてこんなに嬉しいんだよって心意気を感じて感動しました。

そして、じき舞台が埋まりました。
入手困難だったというチケット(手に入らない数十人が玄関のモニタにかぶりついて見ていました)を手に入れて大劇場を埋めたファンたちのシメさんに寄せる思いが、セットも群舞もないだだっぴろい舞台を埋めて、やがてシメさんはその中で宝塚時代と同じように自由に体を動かし、その魅力と美しさで観客を魅了し、私たちはそれに酔いました。
私は目に見える「愛」というのを初めてこの目で見ました。

宝塚のスターさんにファンが寄せる思いは、その時期その人を追っかけてた自分の人生の一時期への思いに重なるのではないかと思います。

「宝塚の紫苑ゆうでいたい」と舞台から身を引き、高齢者介護など新しい道に踏みだす元トップスターに、その栄光も挫折もすべて承知しつつ、一緒に過ごした時への愛を再確認して、あの時とは変わった自分の今を、ファンもまた再確認したのではないでしょうか。
スターも迷いながら自分の人生を選び取る。もう見られないなんてと涙しつつ、その決断に拍手を送り、自分もまたこれから自分の人生を歩いていこうと、改めて決意したのではないでしょうか。

ちなみに、この公演は宝塚のルールに反して拍手がいつまでも果てしなく続き、やがてスタンディング・オベイション。
シメさんはアンコールの要求に答えることなく、何回かの御挨拶ののち、消えていきました。

宝塚は「夢」を「夢」だけで終わらせるのではなく、「夢」を現実を生きるための「力」に変える不思議な「エネルギー再生産工場」だと再確認した夜でした。

★シメさんの燕尾服

 

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