「シナリオのなりたち」
-素材・動機・着想-
(廣澤栄)

 


掃除をしていたら、ずっと探していたコピーが出てきました。
「シナリオのなりたち」というタイトルの、本の一部か講演のパンフをコピーしたものを紙ばさみにとじてあります。

これじつは私が漫画家としてデビューしたときにお世話になった編集長からもらったのです。


私は手塚治虫氏や石森章太郎氏の「漫画家入門」を読んで育った世代なので、漫画を描くときは白い模造紙かケント紙の原稿用紙に向かう前に、四百字詰め原稿用紙に向かってシナリオを書くものだ、と教わりました。
あの時代、私の周りの漫画を描いていた人間は、けっこうみんなテレビドラマのシナリオやセリフや構成について議論していました。 あの脚本家のあそこが好きだ、いやこの脚本家がのここがいいなどという話に花を咲かせました。
時代が早坂暁氏や山田太一氏や向田邦子氏の本格派テレビドラマ黄金期だったせいかもしれません。

中学、高校とお芝居が好きで演劇部にいたくらいだから、もともと脚本や演劇論を読むのが大好きでした。 時代物を描くときに時代背景の説明をどう入れるかで、宝塚の脚本の構造を調べたこともあります。(たぶん柴田先生の作品(^^;)


「シナリオの書き方」もいろいろ読みました。
日本、海外の劇作家の著作。映画作家の本や映画論。
その中でも編集長がくれたこの「シナリオのなりたち」が一番印象に残っていて、時々読み返したいなあと思ってたんですが、 何回か引っ越しを繰り返すうちにいつの間にか見かけなくなって、なにかと一緒に間違えて捨てたんだろう…と諦めていたら、今回の模様替えで山の下から出てきました。
ラッキー!

著者の廣澤氏は 映画やTVの脚本を書いておられた方で、ものを作ることの原点をすごくシンプルに書いているシナリオ論です。


まず素材。
新聞で「あれっ」と思った記事とか、ばらばらの材料を集めて、データベースを作ります。
梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」を参考に、スクラップの作り方を紹介してます。
でも、頭の中にデータベースを作って、そこに寝かせておくだけでもいいのです。
と、ものぐさな私は思ってる(^^;)。

動機とは「モチーフ」。英語でいうとなんかエラそうに聞こえますが、
これはイケる。これはなんか情熱を感じる。 これについてはちょっと私、前のめりになっちゃうぞ…!
って、こだわってしまうなにかが「モチーフ」です。

それに具体的に形を与えたものが、「着想」テーマ。
なぜ人に見せるか、なぜ人に見せたいか、という理由、かな。
それがどうやったら人に見てもらえるか、という技術的回答に繋がった時、
脚本家は初めて筆をとり、原稿用紙に向かうことができます。

たとえばある絵が好きで、そういうシーンが描きたいなとずっと思ってて、
ある時、何かをきっかけに、なぜ自分がそのシーンを描きたいと思っていたかという理由がドドーンと天から降ってきて、「そうか、分かったぞ!」と感電したみたいに身を震わせることがある。
これって作家にとっては幸せな瞬間なんですが、この捕まえたと思ったテーマが、実はガセだったり、誤解だったり、無意味だったり…(笑)。
脚本家の本当の苦労はここから始まり、胃の痛みやら七転八倒やら…あの天啓は間違いではなかったと証明するためのツライ日々が続きます。

ま、泣き言はおいといて。ほかの人に見せて納得させる普遍的な視点ができる。生まれる。
作品を貫く背骨です。 それを「テーマ」着想。と呼びます。


ご覧のようにとても身近なところから分かり易く「作品を作る」ってことを解説してて、編集長は頭でどう書くかと考えるんじゃなく、心で感じたことをずっと抱えて結晶させて、それに形を与えることが一番大事なんだよって言いたかったんだろうなって今にしてみると思うんですよねえ。

ほかにもシナリオ・ハンティングのやり方とか(書きたいテーマの現場に行って取材すること)、シナリオ・ハンティングをやりすぎて「現実」に近づき過ぎるとその重みに押しつぶされるとか、エピソードをカードにひとつひとつ書いて、それを並べ変えてドラマの構成を考える方法とか、のちのち思い返して役立つことがいろいろ書いてありました。

(これはナイショですが) 私はストーリーがまとまらないと、エピソードを書いたカードをシャッフルして、並べた順にストーリーを書くことがあります。けっこう意外なとんでもない話ができる。…こともある(笑)。


私だけじゃなく、当時あの編集長の下にいた作家さんはみんなこのコピーをもらっていると思います。
コピーだけじゃなく、「企画書」はこう書くんだよって先輩の企画書見せてもらったりもしました。 漫画の場合は、たいがい編集さんにこれこれこういう感じのものやりたいんですけどって口で話すだけなんですが、 それは連載企画を、あらすじとキャラクター・デザインと作品の意図と連載の展開の予定などに分けてキチンと書いて、ヒモでとじてまとめたすごく立派なものでした。
TVや普通の会社のプレゼンテーションというものを私は見たことが無いんですが、ああこんなふうにやりたいことを形にして他人に説明する方法もあるんだなあと驚きました。

まだ歴史の浅い漫画というメディアが、先行するメディアのお芝居、映画、TVからいろんなものを吸収して発展しようとしていた時代かもしれません。


今デビューする作家さんは、こんなことはしないでしょうね。シナリオも書かないかもしれない。

でもそういう教育を受けたことは幸運だったと思うし、そのおかげで今の私があるんだなあとよく思います。
いろんな作家さんと話していると、けっこうみんなデビューした雑誌で私はこんな教育受けた、いや私はこうだったって話になるんです。
形は違ってもみんな必ずこういう経験してるんだなあ。そして口を揃えて言うんです。
しんどかったけど、感謝してる…。

そう、しんどいんだ(笑)。
私も編集と話すのがイヤで(必ずけなされたり、ああ、分かってもらえないやってガックリしたりするから)、当時住んでいた吉祥寺から東西線に乗って編集部へ行く途中(デビューした会社が九段下にあった)、必ずお腹が痛くなって、中野駅で降りてトイレに駆け込んでいました(笑)。
でも、そうやって教わらないと分からないことがこの世界にはある。…らしい。よく分からないけど。そして「シナリオのなりたち」より、それをくれた編集長の漫画に打ち込む気持ちから教わったことの方が多いんだろうな…とも思うんです。

碧也ぴんくさんと以前、じつは私もデビューした雑誌ですっごくしごかれて…という話で盛り上がった時、最後に彼女が言いました。
「漫画家にも幼児体験があるのかもしれませんねえ。」

ああ。その意見、真実を突いているような気がします。


2000年5月11日

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