1998 World Cup France
June 8

人は三度旅に出るという。

旅行前、資料を集めてあそこも行こうここも行こうと計画を立てては壊して胸を踊らせる時。
実際に旅行をしている時。
帰ってから旅行を思い返してその余韻に浸る時。

これで言うならフランスW杯への事前の旅はドツボだった。

いわく、フランス行きの飛行機が取れないだろう。
いわく、ホテルに空室は無いだろう。
いわく、フランス国内の移動の列車や飛行機は予約で埋まってるだろう。

これにダフ屋取り締まりがキビシクなるだの、偽チケットが出回るだの、世界中からスリが集まって治安が悪化するだの、日本人はカモで狙われるだの、フランスへ行ったら私は二度と戻ってこられないんじゃないかと思うような情報ばかりだった。

しかし、飛行機チケットは純正エール・フランスのパリ直行便が、3週間前にH.I.Sで取れた。
ホテルも3週間前に、ガイドブックにのっているパリの安ホテル30軒ほどにFAXを入れたら、うち三分の一から「空き室あり」の返事が戻ってきた。

ほ〜ら。騒いだってこんなもんなんだよ。

チケットは無いが、久しぶりのフランス観光旅行で終わっても私はかまわない。
その中で日本が戦っている「W杯」というものがどういうものなのか見たかった。

そういう覚悟で出かけようとする私に、まず第一の試練が襲いかかった。
エール・フランスがストライキを始めたのだ。

友人談:「エール・フランスってすっごくいいヒコーキだけど、ストすると食事が乾パンになるのよね〜」

乾パンはキライじゃないが、飛ばないのは困る。
なにもW杯にぶつけることはないだろう?

H.I.Sに電話をすると、代返機の手配で右往左往していた。
「エール・フランスの電話が繋がらないんです〜」と悲鳴を上げていた。
8日出発が9日になり、代返機はアエロフロートになった。

私はアエロフロートもキライじゃないが、最初からアエロにしておけば、ン万料金が安かったのに。
これがフレンチ・スタンダードなら、日本人は「禅」の境地で対抗するしかないと、ますます覚悟を固めた。

まず、金沢から東京、成田へ移動する。飛行機とリムジンバスと成田エクスプレスを乗り継いで、成田のホテルに入る。この時点ですでにクタクタ。

フランス旅行が始まる前にこんなに疲れてどうするのだ。

 


ヤback

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