『ジークフリート』のこと


この話は三人が三様のル・サンチマンの中で生きていく話です。

そもそもは、たぶん20年以上前、まだ学生時代、映画「キャバレー」を見たことに始まります。

確か当時でリバイバルだったと思うけど。
その前にルキノ・ヴィスコンティの映画「地獄に堕ちた勇者ども」なんてのもありました。好きじゃなかったけど目が離せない映画ではあった。
大島弓子さんの「さようならヘルムート」という名作も思い出します。何となく当時の気分でした。

でもその頃「チェーザレ・ボルジア優雅なる冷酷」(塩野七生)に熱中してた人間には、どうもドイツは遠かった。固かった。テーマ的にひかれてもビジュアル的に魅了されなかった。あの頃私は感覚的に気難しかった。

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数年前「ワイルド・スワン」(ユン・チアン著 講談社刊)を読んで、毛沢東ってヒトラーに似てるなあと思いました。
ヒトラーは死んでないんだなあ。

それがきっかけで昔の熱狂を思い出し、いつかあの時代のベルリンを描いてみたいと思うようになりました。

でも、私は昔戦前の上海を舞台にした話を描いたことがあるのですが、ドイツの状況は比べものにならないくらい悲惨で暗くて、どうしようかなあとためらっていました。

どうして私はいつも少女漫画にならないものを描きたいと思うんでしょう。困ったもんだ。

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あっと。誤解されそうですがこのストーリーはコメディです。

あの時代はコメディなんです。でももっともっと時代が暗くなってもコメディで行けるのか心配ではありますが。でも戦争もコメディじゃないんですかね。コメディって悲しいですよね。

 

な〜んて、なんとかどこかで機会を見つけてこの話をやり直したいと思っていますが、これもまたアンケートと売れないコミックスの谷間に沈んでタイタニックになるのかもしれません。

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それにしても「ジークフリート」はトラブルに恵まれました。

「エリザベート」を描いたあと、編集が変わりました。

一回目の「ミュンヘン聖なる春」からネームを落とされて、二回目「ソドムの二人の天使」では、ラスト3ページのモノローグがスポッと抜け落ちてオチが無くなりました。

ネームを落とされたことの無い漫画家なんていませんが、ケアレスミスって落とし方ならしょうがない、単行本で直すか、です。

トレペにデカデカと描いてあるネームをきれいに落とされて、何のためにこれまでの40ページを描いたのか分からないまま話が終わって、呆然自失。
次号の作品とは違うページの欄外に「前号これこれのネームが落ちました」と小さく載ったのに気付いてくれた人は何人いるでしょうか。

しかも前回の話が終わっていないまま雑誌では次の話を始めなくてはならない。
三回目の「ジークフリート」を雑誌で読んだ人は人間関係が分からなかったんじゃないかと思います。

読者のことを考えたら、その回で描くはずだったのにネームが落ちたことで伝わらなかったテーマを、次の回で形を変えてもう一度描き直すべきだったと思います。でも私の中でその話は終わっていて、同じことをどう描いていいのか分かりませんでした。

どんなにがんばって作品を描いても編集者が作品をぶち壊すのを止める手だては漫画家にはないよなあ。でも、こんなことやってたら潰れるよ「歴史ロマン」と思ってたら本当に潰れました(笑)。


 

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