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むかし太平洋戦争前の上海で特務工作をする「南京路に花吹雪」というお話しを描きましたが、そのあと真珠湾攻撃があって第二次世界大戦が起こって…というのちの時代をその漫画に出てきたキャラクターたちはどう過ごしただろう…と思って、この作品を描いたら、思っていた通りくら〜いシンキくさ〜い作品になりました(笑)。 私はどうも「霧の中」がとても好きみたいです。 この作品を描き始めた86年の頃の日本は世界で第二位の経済大国としてアメリカを蹴落とさんばかりの勢いで、な〜んにもコワイもんなしで、私たちは海外に出ると札束で相手の頬をひっぱたいて旅行してました(笑)。 だってドルは下がる一方だし、ヨーロッパ通貨は崩壊しまくってるし、強い「円」をばらまけば相手の秩序もプライドも私たちの行く手をさえぎるものはなにもない、と私たちは世界中を傍若無人に行進しておりました。 敗戦のどん底の中から立ち上がって、「高度経済成長」で日本をここまで豊かにしてくれた戦中派や戦後のみなさま、本当にありがとう!おかげさまで日本は世界で第二位の経済大国となり、アメリカはもうダメだよ〜ん!なんて、「ウサギ小屋」に住む「エコノミック・アニマル」たちは高言できるようになりました。 でも、これから日本は変わると思っていました。 日本について暗くて否定的なお話を描いていたにもかかわらず、この頃私は日本という国がけっこう好きで、きっと変わる、きっと良くなる、日本の未来は明い、とものすごく楽観的でおりました。 …その違う方法が「バブル」だったとは…。 84年に海外旅行したときにたしか円は1ドルが250円くらいだったんですが、日本からの輸入超過で苦しむアメリカから、円が安すぎるから150円くらいにしなさい!と1985年の9月に「プラザ合意」の命令が下って、きっと日本のエライ人たちは「資本主義経済は平等で自由な競争じゃないか」とムカッときたんでしょうね。アメリカにしてみれば自由を与えて、これまで軍事費の負担無しに経済活動できるようにしてやったのはいったいダレだ?!てところだったんでしょうけど。 それから日本は株と土地の価値を上げて「資産価値」を高める「バブル」というマネー・ウォーズに突入するんですが、「実体のないこんな値上がりが続くわけがない」といった銀行員は、「会社に対する忠誠心がないのか」と窓際に追いやられたり、子会社に出向させられたりしたそうです。でも憲兵隊で拷問されるよりはマシだったかも。戦後50年を経て私たちが進歩したのはこれくらいだったんですね…。 日本の近代史に興味がある方なら、この「バブル」への突入の仕方は戦前の日本が中国侵略を非難されて国際連盟を脱退する経緯にそっくりで、「バブル」がはじけたあと、その後始末に失敗し続けて「失われた十年」から今に至るまでそこから抜け出せないでいるところは、日中戦争から勝つ見込みのない「対米戦争」に突入して、敗北に敗北を重ねて、講和や降伏のチャンスを逃し続けて、敵やアジアの民衆のみならず自国の兵も非戦闘員も殺しまくって、いたずらに損害を重ねて破局へ突き進んでいった「あの戦争」の経緯にそっくり、ということはよ〜くご存知のことと思います。 日本の重くて暗い過去をこんなふうに描く勇気、というか元気は今の私にはありません。 だって、この作品はハッピー・エンドなんです。
で、「オリンピアード」ですが。 あれは「歴史ロマンDX」が潰れて「ジークフリード」がチョン切れてしばらくした頃だったと思うんですが、「ビッグ・ゴールド」(小学館)の編集さんに描きませんかと声をかけられて、「よろしくお願いします」といったら、村上龍さんの「走れ、タカハシ」を渡されて、「スポーツ漫画を描きましょう!スポーツ漫画はアンケートがいいんですよ。」 あ。これは単にアンケートを取ればいいということではなく、青年誌に女性作家を載せるというフツウしないことをすると、編集会議で反論が出やすいので、実績があるとそれを押さえて企画を通しやすくなるから、という編集さんの優しい親心です。 森川久美にスポーツ漫画を描かせるとは、なんて大胆な企画だろう…!と思いながら「走れ、タカハシ」を読んだら野球小説だったので、こりゃダメだ(笑)。 少女漫画ではあまり扱わない戦争やアクション物を描くせいか、「あなたみたいな作家は青年誌でもやっていけるよ」とよくいわれるんですが、むしろ女性をちゃんと描ける作家さんの方が青年誌ではやっていけるのではないかな…? 青年誌がリアリティの向こうに日常性の超越である夢を見せて読者を満足させるのに対して、少女漫画は最初から「これはウソだよ」といいながら夢の世界を展開します。あんな大きな目や長い足を描くのは、あらかじめ世界をディストーションさせて、「これはウソだよ」と入ってくる観客にご口上を申し上げているのです(笑)。 しかし創造とはすべてウソの世界の向こうに真実の世界をうち立てる作業であり、よくできた作品というのは「現実?それはしばしば真実の敵です」と「ラ・マンチャの男」が高らかに宣言したように、「現実」を通して「現実」の向こうにある「真実」を描いた作品です。 その「現実」から「真実」への迫り方の方法論が、青年漫画と少女漫画では違うのかもしれません。 女性をちゃんと描ける作家の方が青年誌に向いていると思うのは、現実の世界で生身の女性を描いている漫画家の方がリアルな「人間への迫り方」をしているので、そういう作家さんの方が青年誌の世界では抵抗なく受け入れられるんじゃないかな、と思うからです。 でも「ゴルゴ13」のとなりにコテコテの女性漫画が載っていたら、「ゴルゴ」ファンも困るし、その女性作家のファンも雑誌は買えなくてコミックスを待とうかということになるし、そうこうしているうちにその作品はアンケートが悪くて切られちゃうでしょう(笑)。 かつて紫門ふみさんや西村しのぶさんが載っていた「スピリッツ」は、面白い上に漫画ファンなら抵抗できない〜!ってエネルギーに溢れていて、私も友人たちもみんな読んでいて、たぶんあの頃の読者の半分は女性だったんじゃないか…って思うんですが、あの頃の「スピリッツ」は女性層にも読者拡大を目指すという雑誌の方向性をはっきりと打ち出して、それが編集部全体に行き渡っていたように思います。 4,50ページの読み切りというのは、作家にとってはけっこう描きにくいものです。 「オリンピアード」で私が思ってたのは、カッコイイ海軍さんを描こう、ただそれだけ(笑)。 夢野久作は江戸川乱歩や小栗虫太郎などと並んで戦前に活躍したミステリー作家で、「新青年」系のちょっと耽美的な作風で、曲馬団とか仮面の怪人とか美少年とかがよく出てくるオドロ系で(笑)、泉鏡花なんかとも共通する要素があって、今文庫で「ドグラ・マグラ」とかいろいろ出ているので、興味のある方はご一読下さい。 九州出身で、父(義父?)が頭山満という右翼の大立て者だったとかで(記憶がかなりアヤシイゾ)、ちょっと政治がかっていて、第二次世界大戦前の混乱した政治状況を背景に「暗黒大使Dark
Minister」とか、ヘンな作品を書いていたんです。 漫画文庫に収録するということで改めて原稿を見直したら、描きたかった作品イメージと原稿がかなり違っていたので、大幅に描き直しをしました。
これはイカン!と主役の岩田くんを必死で性格の悪い美少年に描き直そうとしたんですが、ついでに描き直したユダヤ人美女までキレイになってしまって、つくずく「絵」というのはフシギなものですねぇ…。 「描きたい!という熱意がすべてです」とかつて手塚治虫先生がおっしゃいましたが、私はこの言葉をいろんな機会に思い出して「ああ、本当だなあ」と納得することが多くて「座右の銘」にしてるのですが、漫画家に必要な画力はキャラクターやお話しに「形」を与えられるかどうかで、どんなにうまい絵でも「これを伝えたい!」という熱意がない漫画を読むのは私はあまり好きじゃないし、どんなにヘタな絵でも「伝えたい!」という熱意があれば、その漫画は必ず読む人を引きずり込んで人を感動させます。 なぜかこのユダヤ人美女を描くときに、たまたまピントが合って、造形的にキレイな女の人が描けた。 う〜ん、結局岩田くんがゲルダのことを好きだったかどうか、今でも私は分からないんです。 たぶん人生と世界はこんなにも分からないものだということをいうために私は漫画を描いてるんだろうと思うし、人生と世界は分からないものだから、せめて創作の世界では分かり易い作品を読みたいという考え方もあるということもよく分かっているつもりですが、でも私はよく分からないことをよく分からない描き方で描くのが好きみたいで、この嗜好はたぶん死ぬまで治らないんだろうなあ…ともはや諦めております。
「Shan-hai 1945」はカラー表紙が少なかったので(たしか二回だけ。「プチ・フラワー」はカラーが少ない雑誌だったんです)、フラワー・コミックスが出るときに表紙用に本郷さんと蔡文姫のイラストを描き下ろして(しかも燕と牡丹は使い回し^^;)、あとはデザイナーさんに指定色やロゴをお任せしたんですが、それが私のコミックスの中で一、二を争うくらい美しい表紙になりました(あの時の担当さんとデザイナーの方に本当に感謝していますm(_
_)m)。 今回の講談社漫画文庫では、雑誌連載時の表紙を全部入れて構成していただきました。 「Shan-hai 1945」は「プチフラワー」で連載中に本当にいろんなファンレターをいただきました。それが本当に面白くて、いや、面白いといってはいけないのかもしれません。ああ、こういうふうに読んでいただいているのか、と私自身が深く揺り動かされるお手紙がとても多くて、その記憶だけでも私にとっては「Shan-hai 1945」はとても好きで、そして大事な作品です。 初めてお会いする方や取材旅行に行った先では、私はこういう作品を書く作家です、と自分の作品をお渡しするのが礼儀なんですが、それに私は「Shang-hai
1945」と「信長」をずっと使っていたんですが、どちらもずいぶん前に絶版になってしまって、手元にある本も無くなって、「ジークフリート」は途中で切れているので人に差し上げるわけにもいかず、最近は自己紹介のときに自分の本を渡すことができなくなって困っていました。
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