ミュージカル「エリザベート」について

原作脚本/ミヒャエル・クンツェ  翻案/小池修一郎

 

となっていますが、小池先生は原作と似て非なるお話を書き、私の漫画も宝塚公演の前でウイーン版は参考にならず、勝手に話を作りました。


宝塚を見てると想像できませんが、元「エリザベート」はライス・ウェッバーのミュージカル「エヴィータ」に影響を受けています。(ルキーニ+トート=チェ。「オペラ座」もちょっと入ってる)
ミュージカルの最高傑作は?と聞かれたら即座に「エヴィータ」と答えますが、演劇の象徴性を音楽と踊りを使って最高度に高め、複雑なメッセージを伝達することに成功したあの作品に魅力を感じる人は世界中にいるようで、四季も「李香蘭」なんてのやってましたね。(野村玲子さんは「エヴィータ」!マドンナより良かった)
曲と詞ではウィーンの勝ちです。仕方ない。日本は西洋音楽の歴史がまだ百年です。

元「エリザベート」の詞は深遠な哲学のような深さがあり、曲は、私はよく分かりませんが、東欧独特のとても難しい曲想や旋律を使っているそうで(作曲者のリーヴァイ氏はハンガリー人)、ウィーンの劇場で聞いていて鳥肌が立つくらい素晴らしいものでした。

その難しい音楽を、宝塚の生徒さん及びオーケストラの方々は見事に表現しました。
そして、小池先生はギリシャ悲劇のコロスとエキゾチックなカブキの黒子の折衷のようであったウィーンの黒天使を、踊りと演出の妙技によって死神「トート」の心情吐露、及び社会を動かす「死」というイメージの目に見える形に変えました。
そこに能、歌舞伎の遺産を受け継ぎ、様々な発展を重ねた現代日本の演劇水準の高さを感じました。
異種交流って、なんて面白い結果を産み出すんだろう!
さらに、「ファンタジー」と「虚構」を武器に、現実を「そのもの」ではなく「あるべき」現実に置き換える偉大なる宝塚文法。温泉場のレビューとして生まれて独自の発展を続けてきた宝塚の85年の蓄積こそが、この詞と曲を使って歴史や世界や愛を普遍的ファンタジーとして展開したのだと感動しました。
おー甘とか、女子供の娯楽とか非難されつつ、それも表現手段の一つとこれまで血と汗と涙を積み重ねてきたたくさんの生徒さんや裏方さんに感謝、企業メセナとしてどんなに赤字でも続けた阪急の偉さ(球団は売ったのに)に心から感謝しました。
「文化」ってこういうふうに多くの努力と犠牲と時間を積み重ねて未来に残していく遺産なんですね。

 

「ファンタジーとしての男」という宝塚の虚構も成功の大きな要因。
「トート」役はそこら辺の男優には出来ません。
私が見たのは雪組の一路真輝さんですが、「繊細な透明感」が持ち味の彼女がこの攻撃的な役をやると、何だかマゾヒスティックな色気が出て、ガラスは割れると凶器になるんだなあ。。。
宝塚を出てから催された「エリザベート・ガラコンサート」(コンサート形式で歌う)でも、外へ出てから成長したなあと壮絶味すら漂う「トート」で、東宝ミュージカルで「エリザベート」やってくれないかなあ。
シメさん(紫苑ゆう:先先代の星組トップ)の「トート」に一路さんの「エリザベート」も見てみたい。
歌舞伎のお国柄なんだもん。いいじゃん、ねえ。

注:「トート」とはドイツ語のtod「死」のことです。どうもカエル思い浮かべるんだよなあ。

ちなみに、宝塚オリジナルの「うたかたの恋」(柴田侑宏作)も名作です。

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