ハプスブルクの人々

 

 

 

 

 

 

 

上はマリー・ヴェッツェラ
トルコの血を引くエキゾチックな容貌

そして、ルドルフの父にして
ハプスブルク臣民の父なる
フランツ・ヨーゼフ
 


これは有名なエリザベートの肖像画です。
ヴィスコンティの映画「ルードヴィッヒ」ではロミー・シュナイダーがやった皇妃エリザベートですが、伝記とか読むとやってることがムチャクチャの人で、よくフランツ・ヨーゼフが我慢したなあ、美人だと何でも許されるのね・・・いや、なんでこんなものをミュージカルにしたのか私はよく分かりませんでした。

「うたかたの恋」で有名なルドルフ皇太子ですが、ご当地ウィーンでの彼及びその母親エリザベートに対する感情は複雑なようで、どちらかというと嫌われているみたいです。

映画「うたかたの恋」もフランスやアメリカで作られたものだし。利害関係の無い人たちが王子様の許されぬ恋にロマンチックな幻想を抱くのでしょう。

母親がとにかくウィーンの人とずっとケンカして旅行にばっかり出ていたような人で、ルドルフ自身もその母親の影響を受けて、マジメにハプスブルクの行方を考えてて、保守的で権威にしがみつくウィーンの人にケンカ売りまくってたようで。
母親は旅に出てしまえばすむのですが、ルドルフは皇太子を放り出して旅行に出るわけにはいかなくて、正面衝突、玉砕。
とあいなったのでしょうか。

ミュージカル「エリザベート」の中の曲「闇が広がる Die schatten werden Langer」は、死「トート」とルドルフがからみながらその辺の事情を妖しく詩的に歌い上げた名曲です。

 


右が、そう本物のルドルフ皇太子。額のところが父フランツ・ヨーゼフそっくり・・・ああ、現実っていつもこんなもんですね。

 


参考文献紹介
私が「エリザベート」を描くのに参考にした資料です。
ハプスブルクに関心のある方はぜひご一読!


「ハプスブルク家最後の皇女エリザベート」
塚本哲也
文芸春秋社

JEWELRY BOXに書きましたが、ルドルフの娘のことを書いたこの本の最初に、最新の資料によるルドルフ像が書いてあります。「うたかたの恋」とはちょっと違う皇太子ルドルフです。

 


「フランツ・ヨーゼフ」
ハプスブルク「最後」の皇帝
江村洋
東京書籍

フランツ・ヨーゼフが第一次世界大戦中の1916年に亡くなったあとにカール(在位1916ー18)がいたのですが、実質的に「最後の」皇帝はフランツ・ヨーゼフです。日本のハプスブルク本の第一人者江村氏の著作は「マクシミリアン一世」「マリア・テレジアとその時代」他ほとんど読んで、言葉には尽くせないほどお世話になっていますが、これと講談社現代新書の「ハプスブルク家」が一番面白い!
19世紀ヨーロッパは古い王制と産業革命が対立して、新しい力と古い権威がその地位を入れ替える時代でした。その激動のヨーロッパを誠実に真面目過ぎるほどに乗り切ろうとしたフランツ・ヨーゼフの努力は、やがて息子ルドルフの死、愛妃エリザベートの死、甥であるフランツ・フェルディナンドの死という形で報われます。いつの時代も「父」はつらいなあ。というにはドラマチックで悲劇的すぎる時代の転換期に生きた一人の男の生涯です。


「ウィーン精神」
ハプスブルク帝国の思想と社会1848ー1938
W.M.ジョンストン
みすず書房

「陽気な黙示録」と呼ばれた19世紀後半から20世紀初頭にかけてのハプスブルク帝国を、その文化、社会機構、民族から描き出し、世界史の中に「ハプスブルク」を位置づけ直したヨーロッパ文化史研究の金字塔。フロイト、ヴィットゲンシュタイン、クリムトなどさまざまの文化を生み出し、ハンガリー、チェコにまたがるヨーロッパ中原に600年間栄えた多民族国家共同体「ハプスブルク」とは何だったのか!?そのテーマに正面から全力投球で迫る本格的超大作。マサチューセッツ大学のオーストリア史教授のジョンストンがウィーンに留学して書いたが、途中で資金が尽きた。そりゃこんな本書くの金かかるよな。その時理解ある学長が援助してくれたってとこが、すごいなあ。アメリカって時々こういう名著を産出するなあ。
書く方も疲れたろうが読む方も疲れる本なので、よっぽどのハプスブルクおたくの人にしか勧められません。

 


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