みんな泰子さんには触りたかった


乾杯/友部正人
73年 作詞・友部正人 作曲・友部正人     













今だにクリスマスのような新宿の夜
一日中誰かさんの小便の音でもきかされてるようなやりきれない毎日
北風は狼のしっぽをはやし ああそれそれってぼくのあごをえぐる
誰かが気まぐれにこうもり傘を開いたように 夜は突然やって来て
君はスカートをまくったりくつ下をずらしたり

おお せつなやポッポー 500円分の切符をくだせえ

電気屋の前に30人ぐらいの人だかり 割り込んでぼくもその中に
「連合赤軍5人逮捕 泰子さんは無事救出されました」
金メダルでもとったかのようなアナウンサー
かわいそうにと誰かが言い 殺してしまえとまた誰か
やり場のなかったヒューマニズムが今やっと電気屋の店先で花開く
いっぱい飲もうかと思っていつものやき鳥屋に
するとそこでもまた店の人たち
ニュースに気を取られて注文も取りにこない
お人好しの酔っぱらいこういう時に限ってしらふ
ついさっきは 
駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに
泰子さんにだけはさわりたいらしい

ニュースが長かった2月28日をしめくくろうとしている
死んだ警官が気の毒です 犯人は人間じゃありませんって
でもぼく思うんだやつら ニュース解説者のように情にもろく 
やたら情にもろくなくてよかったって
どうして言えるんだい やつらが狂暴だって
新聞はうすぎたない涙を高く積み上げ 今や正義の立て役者
見だしだけでもってる週刊誌 
もっとでっかい活字はないものかと頭をかかえてる
整列して機動隊 胸に花をかざりワイセツな賛美歌を口ずさんでいる
裁判官は両手を椅子にまたがせ 今夜も法律の避妊手術
巻き返しをねらう評論家たち
明日の朝が勝負だとどこもかしこも電話は鳴りっぱなし
結局その日の終わりとりのこされたのは
朝から晩までポカーンと口を開けてテレビを見ていたぼくぐらいのもの

乾杯! 取り残されたぼくに 
乾杯! 忘れてしまうしかないその日の終わりに
乾杯! 身もと引き受け人のないぼくの悲しみに 
乾杯! 今度逢った時にはもっと狂暴でありますように

夜が深みにはまりこみバセイだけが生き延びている
おでことおでここづき合ってのんべえさんたち 
にぎやかに議論に花を咲かせている
ぼくはひとりすまし顔 コップに映ったその顔が
まるで仕事にでも来たみたいなんでなんだかがっかりしてしまう

誰かさんが誰かさんの鼻を切り落とす 
鼻は床の上でハナシイと言って泣く
誰かがんが誰かさんの耳を切り落とす 
耳はテーブルの上でミミシイと言って泣く
誰かさんが誰かさんの口を切り落とす 
口は他人のクツの上でクチオシイと言って泣く
ぼくは戸を横にあけて表に出たんだ するとそこには
耳も鼻も口もないきれいな人間たちが
右手にはし 左手に茶わんを持って 
新宿駅に向かって行進しているのを見た

おお せつなやポッポー 500円分に切符をくだせえ



友部正人

50 東京に生まれる。
69 夏、名古屋に流れ着き、フォーク・ゲリラ運動「栄解放宣戦」に参加。シンガーとして出発する。
70 秋、大阪へ移り難波元町のライヴ・ハウス「ディラン」を拠点に活動。
71 8月、全日本フォークジャンボリーに出演、注目を浴びる。
72 1月、URCよりデビューアルバム『大阪へやって来た』発表。
73 1月、セカンドアルバム『にんじん』(「乾杯」収録)発表。

 ラディカルな姿勢を崩さず、マイペースな活動を続ける。
放浪者である彼の音楽は素晴らしいストリート・ミュージックである。鋭い言葉づかいはディランからの影響が強い。彼の肉声は武器である。


新宿は文化を飲み込む胃袋だ

闇市のパワーは新しいものを飲み込む
 
新宿はぼくにとって特別な街である。六本木や渋谷、池袋も新宿と並ぶ東京を代表する盛り場だが、ぼくはつい最近まで新宿以外の盛り場にはあまり興味を持つことはなかった。
 新宿を起点に西へ伸びる私鉄の沿線で生まれ育ったぼくには、子供の頃からどこかに出かけようとする時、ターミナルとなるのは決まって新宿だった。そんなこともあってか、ちょっと湿った影のある感じのする街並みや怪しげな人間たち、彼らの行動など、新宿の持つ独特の雰囲気に子供の頃から馴染んでいたのだ。
 新宿には戦後の闇市の名残りを現在に感じさせる雰囲気がある。1962年生まれのぼくが「闇市の名残り」などというのはおこがましい気もする。しかし、戦後の復興期の象徴が闇市だとするならば、闇市の合法、非合法を問わない生き抜くためのギラギラした活気、パワーがいまもこの街に生きているような気がしてならないのだ。
 たとえば歌舞伎町や区役所から職安に続く「職安通り」の怪しさや無国籍性。急激に流れ行く時代を頑なに拒否しているかのようなゴールデン街。いまはとり壊されてしまったが、南口ルミネの隣の陸橋横につい最近まで残っていた怪しげなバラック建ての中華料理屋などが並ぶ“闇市広場”。他所者にはちょっと怖い、大ガード下の通称“ションベン横丁”(正式名称“思い出横丁”)。写真家・荒木“アラーキー”経惟が好んで披写体に選ぶこの街は、アジア的なカオスとヤル気に満ちている。
 この街の特徴は新しいものを何でも飲み込んでしまうパワーである。この怪しげな雰囲気に満ちた東京屈指の繁華街新宿が、戦後の闇市パワーを飲み込んで巨大化して行ったことは、いまもそこかしこに偲ばれるその名残りにも明らかだが、そんな闇市のアナーキーなパワーこそが現代ニッポンの<裏文化>、すなわちサブ・カルチャーを育んできたような気がしてならない。
 「新宿騒乱事件」や「西口フォークゲリラ」など、70年安保絡みの学生運動=アングラ文化にも舞台を提供してきた懐の深いこの街だが、アングラ文化の核心、左翼運動の総決算であった「浅間山荘事件」の舞台はこの新宿とは直接の関係はない。しかし、友部正人のうたう「乾杯」を聴くと、浅間山荘事件をテーマにしたこの歌からぼくが想い起こすのは他でもない、この新宿の街なのである。

放浪するシンガーの独特なことば感覚
 友部正人はアングラフォーク末期である72年にレコードデビューしたシンガーである。関西を中心としたアングラフォークブームの中で、東京生まれの彼はひときわ異彩を放つ存在であった。プロテストは既にアングラフォークの本流ではなくなっていたこの時期にデビューした彼の歌は、斉藤哲夫などと同様、<遅れてやって来たフォークの哲学者>といった印象が強かった。
 友部の歌(詩)は妙に難解でしかも荒削りであり、彼がボブ・ディランから強い影響を受けたことは明らかだ。ちょっとしわがれた彼の声もディランを彷彿とさせる。
 彼の独特のことば感覚は、東京に生まれた彼が、名古屋〜大阪と放浪したなかで培われたものなのだろう。<体制>や<土地>にとらわれない自由な発想を感じさせるものだ。彼のことば感覚がもっとも生きているのは、うたよりも語りにおいてである。代表的な彼の語り歌としては、「トーキング自動車レースブルース」という名曲があるが、それに並んで有名なのがこの「乾杯」である。

ショーと化した浅間山荘事件をめぐる
 「乾杯」は72年、連合赤軍によって起こされた左翼過激派の総決算的事件である「浅間山荘事件」をテーマにした、ドキュメンタリー的語り詩である。
 この事件を巡る街の人々の声を詩に織り込んで、街にうごめく傍観者のひとりとしての彼のささやかな主張が所々に顔を出す。この歌(詩)はかなり複雑な構成を持っている。
 事件の一部始終をテレビが中継した(戦後の報道史上画期的だった)72年2月28日のこの事件は、誤解を恐れずいえば一連の過激派絡みの事件でも最もホットなものであった。オリンピックの中継よろしく、テレビ各局は一日中浅間山荘からの映像を送り続けた。時間の経過とともに、アナウンサーの口調はだんだん興奮したものになっていった。アナウンサーの興奮度につられるように、傍観者たちの興奮度も増してゆき、事件が解決した瞬間には日本全国がオリンピックで金メダルを取ったかのような騒ぎになった。
 しかし傍観者のひとり、友部のこの事件に対する反応はあまりにドライだ。放浪に自らのうたを見いだす友部は孤独のひとだ。放浪を友にするのは、群れるのを好まないからだろう。そんな彼が見たものは、電気屋の店先で、呑み屋のカウンターでマスコミの報道を無条件に受け入れてしまう、<群れ=酔っ払い=良識派を自称する大衆>だったに違いない。土地に根を張る<群れ人>は放浪者・友部と対極にいる。
 孤独な放浪者友部は、孤独であるが故に純粋・透明だったはずだ。しかし、街のそこここで垂れ流されるこの“オリンピック状態映像”を彼も<群れ人的>に覗いてしまったのだろう。図らずも自ら群れかけてしまっていることに気付いてうろたえてしまったのではないか。
 群れ人の興味の焦点が事件の本質よりも「ヤスコさん争奪杯・耐久レース」に注がれていることに、友部は群れ人のエセ・ヒューマニズムを感じたに違いない。どうせ彼らもシラフに戻れば、ヤスコさんのことなんてどうでもよくなる。事件は話のタネでしかなくなるのだ。
 孤独であるが故に土地や群れに根付かない友部は、マスコミの創り上げた(デッチ上げた)ヒューマニズムに独り言で反論する。しかし、聴き手のいない独り言をつぶやいた彼は、それ以上のことは出来なかった。
 友部は自ら望んで群れから取り残された自分に、独り言をつぶやく術しか知らない悲しみに、そして彼自身がもっと孤独を己のものとして確立することを祈って乾杯するしかなかったのだと思う。放浪者はどこにいても結局、<他所者>なのだ。群れ人には交われない。
 そしてこの放浪詩人の目には、群れ人が耳も鼻も口もない(つまり、本質を聞きも、嗅ぐことも、語りもしない)人間に見えたのだろう。彼らははしと茶わんを持って、それぞれの「ヤスコさん」の待つ家路につくため新宿駅に向かって行進して行く。シラフになったら、浅間山荘のヤスコさんなどもう忘れられたひとだ。

新宿よ、闇市パワーを持ち続けろ
 新宿は高層ビルや東京都庁の立ち並ぶ“インテリジェント”な街に変貌した。この新宿の“マンハッタン化”は孤独を愛する友部にはどう映っているのだろうか。見映えがどんどん良くなっていくこの街で、孤独だがゆえにひとの優しさに飢える彼の止り木は今でも残っているのだろうか。
 思えば、トーキョーにはかつての新宿のような、アジアの国々の“迷い混んだらちょっと怖い”スリル感を味わえる場所がどんどん減り始めているように感じる。やはり新宿には闇市パワーギラギラのアジア的な思いっきり怪しげな街であって欲しい。
 でも新宿はまだまだ健在だ。かつてフォークゲリラが集会を開いた西口地下通路(広場ではない)では、いまも怪しげ(?)なガリ刷りの志集(詩集ではない)売りのオネーサンが立っていたりする。彼女もワケアリらしく、「志集」の内容同様、彼女の表情は重く暗い。ああいうひとに“佇む”場を与え続けるこの街の懐はまだまだ深い。
 新宿の街並みは明らかに変わりつつあるけれど、この懐の深さが彼のような孤独を友にするひと達がトランジットする場所を残しておいてくれるだろう。がんばれ、新宿! 都庁や高層ビルに負けるな! 


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