自分自身をもパロるファンキー岡林
ホビット/岡林信康
73年 作詞・岡林信康 作曲・岡林信康
ホビットに行くのは死んでももう嫌だ
ホビットに行くのは死んでももう嫌だ
誰でもいいから会いたくなって ふらりと外へ出た
ゴールデン街に出かけるような そんな気分で
うろつき廻っているうちにホビットの前に出た
ドアを開けると様子がおかしいワイワイのガヤガヤ
裸電球がいっぱい灯った店の中
男はみんなゲバ棒手に持ち頭にゃヘルメット
なんでも内ゲバ騒ぎで昨日店がおそわれて
これから金沢大学に仕返しのなぐりこみ
ヘルメットに身をかためゲバ棒 肩に抱き
可愛い娘ちゃん等の黄色い声におくらぁれぇてん
どんより曇って薄ら寒い風の中を
金沢大学めざしてみんなは消えてった
ポツンとひとり残された 男は俺ひとり
可愛い娘ちゃん等がモジモジしながらまわりに寄ってきて
「岡林さんも行ってくれはると おんまにうれしいわ
わたしらオニギリつくって みんなの帰りを待ってるの」
恥ずかしそうに瞳をうるませ はなのあなをひろげ
俺らの顔をポーッと見ながらみんなで言わはんにゃ
なぁーんでわいはこの手の女に尊敬されるのか
それでもまぁまぁ悪い気に なるわけもありません
ここで期待を裏切ることはなんだか可哀想
よせばいいのに生まれてはじめてヘルメットをかぶり
可愛い娘ちゃん等にカッコつけてお手々を振りながら
ホビットからゲバ棒かついで 金沢大学へ
ホビットへ行くのは死んでももう嫌だ
コンクリートの一本道に誰も通らない
町には人がひとりもいない 車も走らない
白黒写真に迷い込んだよな おかしな景色
公会堂が見えてきました道の左側
まるで労音がコンサートでもやりそな建物で
そいつが見えた途端に胸が苦しくなって来た
ヘルメットの紐をゆるめて胸をなぜてると
男が一人ギターをかかえて公会堂から
出て来たところでばったり俺らと目と目がカチあった!
嫌な野郎に嫌な所で出会ってしまった
野郎はひどい有名人コンプレックスなのだ
俺らはプイと顔をそむけて知らん顔
ヘルメットにゲバ棒かついだ 俺らの姿見て
申し分けなさそに野郎は俯いた
俺らはほんきでこんなことやってるわけじゃないのに
まるで横井の庄一ツァンを見るよな面をして
俯いてしまうだけお前の負けだ
俺らはジャンヌダルクのように顔を硬ばらせ
カッコをつけて野郎の前を通り過ぎてやった
煙草はやめたところ だから口笛でも吹いて
梅は咲いたかホトトギス あらまっちゃんでべその宙がえり
こういうスタイルで出てくる唄は 友よォォォォォ…
気をとりなおしてゲバ棒かついで歩いて行くうちに
ようやく見えてまいりましたよ 金沢大学が
ホビットに行くのは死んでももう嫌だ
青い灯赤い灯 堂頓堀のはるか彼方に
ようやく見えてまいりましたよ あれがパリの灯だ
あたりは夕闇たれこめて 様子がわからない
それでもなんだかワイワイやってる声がする
せっかくここまで来たからにゃ 一発やらなきゃ損
あぁ血は騒ぎ胸踊り 心臓は早鐘よ
もうすぐそこに大学の校門が見えてます
それ行け!やれ行け!ツノ出せ目を出せパンツはイタリア製
そのときピューと黒い影が門から飛び出した
よく見りゃネクタイしめた若いオマワリさん
俺らの顔を見るなり大きな声でこういった
「お願いします助けて下さい そこの人」
俺らに向かって助けてくれとは 何たる恥知らず
俺らが誰だかわからないのか お前はモグリやな
野郎の足元ねらってゲバ棒ひと振りすれば
ビックリしたよな面をしたままひっくりかえった
馬乗りになって一発脳天唐竹割りを
何やらうれしゅーなってきた やっぱり来てよかったなー
かさにかかってもうひとつかまそとのしかかったとたん
野郎が突然ピストル ガバッと抜きやがった
身体のしんから冷や汗がどっと吹き出した
あわてて押せども引けどもピストルぜんぜん動かない
心臓にピタリとねらいをつけて引き金がガチャリ
こんなアホな話があるか たすけて殺されるゥ
ホビットにゆくのは死んでももう嫌だ
鉄砲の弾がズドンと出たのか 出ないのか
さてお話はいかなることに あいなりまするやら
残念ながら丁度時間となりました
続きはいずれ 又の機会につとめましょう
ニッポンのエコロジストはアヤシイ
ぼくの知り合いに自称・エコロジストがいる。彼は箸箱に愛用の箸を入れて持ち歩いている。彼はたとえ吉野家で牛丼を食べるときでさえも、なにかもったいぶった仕草で自慢の箸箱から“漆塗り”の箸を取り出すのだ。
しかし吉野家で漆塗り、ていうのもなんだかなあ。<割り箸を使わないこと>が彼のエコロジストとしてのアイデンティティーなのだとしたら、これは大きな勘違いじゃなかろうか。たしかに割り箸を使わないことは評価されることではある。だがエコロジストとしてするべきことは、「その先、何をするか」だろう。
そもそもエコロジストを自称する輩にはどうもこういう底の浅いアヤシゲなヤツが多い。例の環境保護団体なんてのもけっこうアヤシイ。「割り箸を使うな」だの、「クジラを殺すな」だのといった彼らの主張はことごとく正しい。だけどなにかが違う、とも思う。彼らの意見はいつも一元的なのだ。だったらオマエら電気もガスも使うな、牛丼もカツ丼も食うな、といいたい。少なくともそのくらいの覚悟を持ってなきゃエラそうなことをいってはいけない。
そういえば最近、無農薬野菜を売る八百屋だとか自然食レストランとかいったエコロものの店がずいぶんと増えた。ぼくの住んでいる東京では杉並の西荻窪にある「ホビット村」がその手の老舗として有名である。そして、蔦の絡まる古いビルの「ホビット村」の醸し出す雰囲気というのがなんとなく懐かしいようなアヤシサに満ちているのである。
「なんとなく懐かしい」というのは、このアヤシゲな雰囲気が70年代初頭の“コミューン思想”になんとなく似ているからなのだ。環境団体に感じるのとまったく同質のアヤシサである。
コミューン思想における岡林の変遷
安保を核とした騒乱の時代が終息に向かった70年代初頭、若者が辺境の地に集団移住してユートピアを建設しようという“コミューン思想”が流行した。 いずれにしてもその源流が60年末期のアメリカ・サンフランシスコの“サマー・オヴ・ラヴ”から派生したヒッピーたちのコミューン思想にあったことは間違いない。
残念ながらニッポンのコミューン思想またはユートピア思想の多くは、受け入れ先の山村の住民からはあまり歓迎されず、またコミューンの連中も地元の住民にとけ込むことをしなかった。結果、彼らの試みのほとんどは短期間に失敗し、安保の時と同じように敗北を喫してしまったようである。
岡林もその当時、コミューン思想を実践したひとのひとりであった。 第一期、二期の彼は、<シンガー>という枠を大きく超えて世間から必要以上にカリスマ視されていたから、ひとのいい彼としては世間の期待に応えるべく、自分を必要以上に過激に演出していたきらいがなくもない。
そんな時に学園紛争の終焉。プロテストソングが必要とされる時代が終わったのだ。彼にとって、この時代の流れは「願ってもないこと」だっただろう。 彼は運動家の象徴としての立場から、そして彼をヒーローに祭り上げた大阪、東京などの“都会”から脱出して京都の農村に移り住んでしまったのである。
昼には鍬を持って畑を耕し、夜には風の音に耳を傾けながら酒を飲む。<闘争>も<音楽産業>も無縁のこの農村で、彼は自然の摂理に従う生活を本格的に楽しみ始めてしまった。きっと彼はいろいろなことに疲れていたのだ。
この自然と一体になった生活は、彼をナチュラル・ハイ状態にした。つまり「キレた」のだ。そして彼のナチュラル・ハイ状態は多くの歌を生んだ。彼の第三期は、自然と一体になった彼のナチュラル・ラリハイ期である。
「ホビット」に隠された驚くべき真実
73年、農作業の合間に上京した彼は、元[はっぴいえんど]の松本隆のプロデュースでアルバム『金色のライオン』をレコーディングした。 このアルバムは音作りの面でいうとプロデューサーである松本の好みが色濃く反映されたもので、それまでの岡林のアルバムとはかなり趣を異にしていた。なによりも岡林の詞の変貌がスゴかった。
とにかく難解なのだ。いってみれば、60年代末期のフーテンがハイミナール飲んでラリッた時に作ったような、とにかくワケのわからん歌詞が多いのだ。同じ難解な歌詞でも、三上寛のようなブンガク的オドロオドロ世界とも違う。言葉の流れに脈絡がないのだ。けっこうグロなのだが、これが飛び抜けてオモシロかったりするから始末に悪い。
もっとも、彼が心身共に健康であったことは、アルバムで聴ける伸び伸びした彼の歌声が証明している。彼のこの難解ラリハイ世界は彼の脳内麻薬が作り上げたのだ。それだけ精神的に解放されていたのだと思われる。
『金色のライオン』の中でも彼のラリハイ度が全開なのは「ホビット」という歌である。7分以上に及ぶ“大作”であるこの歌は、岡林の歌としては極めて珍しい16ビートのファンクナンバーだ。そしてバックの演奏に乗る岡林のうたはラップ調である。というより<語る-
叫ぶ調>だろうか。聴きようによっては河内音頭=新聞詠みのようにも聴こえる。“ファンキー・カワチ・オンド”とでも名付けましょうか。
「西荻窪・ホビット村の飲み屋に中□派の連中が集まっていたところに、金沢大学を拠点に活動する革○派がなぐり込みをかけた。その仕返しのなぐり込みをかけるために中○派が再びホビットに集まったところにフラリと現れた岡林。「アンタも“反戦フォークの神様”だったら手伝え」といわれたかいわれなかったかは知らないが、行きがかり上、ヘルメットにゲバ棒持って金沢大学へ行くハメになった……」
驚くべきことに、この歌の基本的な状況設定はどうやら本当にあったことらしい。しかしこの歌の状況設定が作り話ではなかったとは。うへ〜、あぶねぇー! これはシャレにならない。
それでも強引にシャレてみれば、当時岡林がいかに<突き抜けたラリハイ状態>だったかをこの歌に垣間見ることができる、といえるだろう。もちろんうたわれていることの全てが事実でないことは明白だが、それでも自分が実際に巻き込まれた<事件>をネタにして、これだけ<笑える>歌を作ってしまうところなど、並みの神経でできるものではない。さっき、「聴きようによっては河内音頭=新聞詠みのようにも聴こえる」と書いたが、事実をネタにしているこの歌は明らかに変形新聞詠みと呼べる音楽様式を持っている。“エンヤトット”の原型がここにあったのか。うーむ、なんとファンキーなのだろう、岡林というひとは。
「ホビット」は岡林の持った最後の危機感か?
そうなると、ひとつひとつ仮説が立てられる。岡林はこの“ホビット事件”に係わったがために、プロテスト・フォークのヒーローでいることが嫌になって京都の農村に移住してしまったのではないか、という説である。
この“ホビット事件”が起きた具体的な時期がわからないのでなんともいえないが、この事件に参加(?)して、「こんなバカなこともうやってられっか! ホビットに行くのは死んでももうイヤだ!」と、京都の農村へ逃げてしまったのではないか。そして農村の生活に馴染んで自分らしさを取り戻した時、はじめて彼は突き抜けたラリハイ状態になって「ホビット」を作り、『金色のライオン』にレコーディングすることができたのではないか。
彼が“ホビット事件”に参加してしまったことが本当に単なる行きがかりだったかどうかはわからない。しかし「ホビット」を発表した当時の彼は既に<コミューンのひと>であり、過激な社会運動とは全く無縁の所にいた。
つまり、彼の“ホビット事件”への飛び入り参加は、その後歌を作った時点ではもう彼にとっては<歌のネタ>以外のなにものでもなかったのだ。だからこそ彼の「ホビット」は、一見(聴)ヤケクソふうでもあり、また突き抜けた部分で“笑える歌”を意図して作ったとしか思えないのである。そういったアブナサがこの歌をとてつもなくオモシロイものにしているのではないか。
彼の存在感は不変である
結局、この歌は彼の強烈な存在感、つまりどこにいようと何をしてようと彼はやっぱり「オカバヤシ」以外の何者でもないことを示していてウレシクなってしまう。だからあえてぼくはこの歌を「よくできた筋書きと愉快な語り口調が爆笑モンの彼の第三期を代表するパロディーソングの逸品」である、と言い切ってしまいたい。
『金色のライオン』とその次に発表された『誰ぞこの子に愛の手を』の2枚のアルバムには、そういった彼の精神状態がアサハラショーコーのように“空中浮揚”している。
ぼく個人の好みだが、この時期の岡林がサイケしていて一番好きだ。もちろんこの時期の彼の歌すべてがラリっているわけではなく、自然をテーマにした優しさに満ちた歌も多数生み出している。ラリラリと自然がこの時期の彼の二本柱だったわけだが、彼の自然崇拝歌が円熟味を増すには第四期まで待たねばならない。そしてその完成型が最近の“エンヤトット”だろう。
この時期をもって「岡林ラリハイ説」とするのは、ぼくの「そーだったらいいなあ」というキボウ的観測説である、と言い訳しておこう。この時期の彼の挙動は“ラリハイ”を装うだけの、第四期への変遷のための計算だったのかも知れないのだから。彼がそれだけファンキーなひとであることを、この歌が雄弁に語っている。