キワモノ・フォークの極意を見た
ブスにもブスの生き方がある/まりちゃんズ
74年 作詞・まりちゃんズ 作曲・尾崎純也
この世は美しいものと 醜いものとでできている
醜い女を人々は ブスと名付けたのだ
ブスよあなたはいるだけで みんなに迷惑かけている
明るい所は歩かずに 人目を避けなさい
はっきり言ってしまえば 男はブスが大嫌い
君らの顔を見ただけで 吐き気をもよおすよ
ブスよ惨めだろうが 自分の顔を認めよう
あなたにゃ幸せこないけど 望みだけは持とう
目鼻の配置の気まぐれが 君らをブスにした
女に生まれていたなら 僕らもブスだろう
いつかあなたにも声を かけてくれる人が
きっといるから 男をうらまないで
ブスよあなたにも必ず 陽の目を見る日はやってくる
僕らは責任持てぬけど 望みだけは持とう
望みだけは持とう
まりちゃんズ
藤岡孝章、尾崎純也、藤巻直哉の3人で結成。
74 フォークコンテストに出場したのをきっかけにエレック・レコードの目にとまり、契約。
6月、シングル「ブスにもブスの生き方がある」でレコードデビュー。キワモノ系フォークループ として人気 を得る。
75 7月、『三巴狂歌』、12月『お買得』とアルバムも順調に発表しアナーキーな活動を続けるが、所 属会社で あるエレッ ク・レコードの倒産の憂き目にあい、それに伴ってグループも自然消滅(?)。
フォークとニューミュージックの隙間に現れて、キワモノフォーク旋風をまき散らし、いずこへと消えた謎の3人組。
ブスとブオトコは平等である
ニンゲンとは身の程知らずな動物である
ニンゲンという動物はいわゆる面食いである。他の動物は発情期がやってくるとただただ無心にオスはメスを、メスはオスを求めてさまよう。別にツラで後尾する相手など選んではいない。また、おそらくそんな余裕もない。
美男子だの、美人だの、または醜男だの醜女だのといった、カオの造りに基準を設けているのはニンゲンぐらいのもんだ。それでいて、男も女も自分のカオのことは棚に上げておいて、他人に対しては無責任かつお気軽、そしてかなりシビアに品定めしてしまったりする。
人間、カオがすべてじゃないことぐらい重々承知している。しかし、わかっちゃいるけどリクツ通りにいかないニンゲンの性。たしかにオレだって、正直いってブスよりは美人の方が好きだ。ブスよりは美人とすれ違いたいに決まってるでしょ。
そして、一般的に<ブオトコ>、<ブス>という言葉は禁句である。その禁句に堂々と挑んだ歌を作り、レコードにして世の女性達のヒンシュクを買った愛すべきグループがいた。70年代のフォークブーム末期に「エロ・グロ・SM」をウリに、散々世間を騒がせた三人組、まりちゃんズである。
アングラの去った後にはズサンの時代が来た
まりちゃんズはフォークが既にアングラではなくなった74年、あるフォークコンテストに出場したのをきっかけに、当時歌謡フォークをウリにアナーキーな活動を展開していたエレックレコードの目にとまる。彼らの登場をある関係者はレコードのライナーでこう語る。
「ひょっこり出てきた三人組。唄い出すやいなや地球も割れんばかりの大爆笑。こりゃいけると暗示にかけられた私めがもちかけりゃ、悪乗りした浅沼プロデューサー、お金出すからレコード作れときたもんだから話がひどくなってきた。ところが本人達『あんな変な歌、おぼえているわけないよ』と言えば、おぼえているから俺が唄うと青木ディレクター。誰が唄うかでひともめしたあと、とにかく急いでレコーディング……」
早い話がグループもレコード会社もズサンな「お笑い」をマジメに演じていたのだ。資本主義にどっぷり使った今のレコード業界ではまず考えられない牧歌的なエピソードである。この時、彼らがうたった“変な歌”がデビュー曲となった「ブスにもブスの生き方がある」であった。
そもそも「まりちゃんズ」というグループ名からして、ズサンある。おそらく天地真理のファンだったことから付けられたグループ名だが、その安易なズサンさがなかなかいい。
そのズサンなまりちゃんズは藤岡孝章(通称=ジェフ、特技=でんぐり返し、ベーゴマ、メンコ)、尾崎純也(通称=スティーブ、特技=音程をちょびっとはずして唄うことが出来ること)、藤巻直哉(通称=ポール、特徴=色は茶色しか知らないこと)の三人組。このプロフィールもレコードのライナーからの転載だが、このひとを小バカにしたようなプロフィールのフマジメさからも、彼らが最初から腰を入れてウケを狙ったキワモノを指向していたことがわかる。
ズサンなお笑いを許さない女権団体
そんでもって、「ブスにもブスの生き方がある」だ。この歌は軽快なマーチである。軽快なリズムに乗せて、彼らは<ブス>という言葉をたびたび連発する。それも力を入れてはき捨てるようにブスという言葉を強調する。ぼくたち男は抱腹絶倒し、完全なコミックソングとしてこれを認識したが、意外というか当然というか、この歌はめでたく放送禁止の憂き目に会うのである。
たしかにどう聴いても健全な歌だとはいえないが、なにも「みんなの歌」でかかるような健全な歌ばかりが音楽ではないだろう。笑える程度のコミックソングであるこの歌がなにゆえ放送禁止になったのか。
ひとつには、しつこいように連発される<ブス>という単語だろう。「ブスという言葉は不細工な女性に対する差別的なものである」というNHKの考査室的な臭いがプンプンする。
あの榎木美沙子女史が「中ピ連」を率いて世間を騒がせたのが70年代に入ってすぐ。この流れがピークに達したのは75年の国際婦人年。もともとオンナはオトコより強い生き物だが、時の追い風に乗ってオンナがますます強くなっていった時代である。
当時の女権団体は、文学であれ歌であれ、男と女を対照的に描いた表現にはかたっぱしからイチャモンをつけていた。たとえばインスタントラーメンのCMで「ワタシ作るひと、あなた食べるひと」ってのがあったが、こんななんでもないことにまで「女性差別である!」とイチャモンをつけ、メーカーに圧力をかけたというからおそれいる。
このようにどんな些細なことでも重箱の隅を突っつくように「差別だ!」「人権蹂躙だ!」と叫びまくっていた“急進的な”女権団体のことだから、この歌に対しても民放連に圧力をかけたであろうことは想像に難くない。
怒る人間こそが<ブス>を生み出したのだ
しかしバカバカしくもオカシイこの歌は、「ブスよあなたにも必ず陽の目を見る日はやってくる 僕らは責任持てぬけど 望みだけは持とう」というフレーズを見てもわかるように、ブスなオンナ(というより、人間)に対して啓示的な内容である。それは、急進的な女権団体をあざ笑っているようにも見える。
なぜならば、ルックスとはたえず変化する流動的な時代風俗的基準だからだ。今日のブスは明日の美人かも知れないし、その逆もありえる。だからルックスが人間の本質を語る基準でないことは、男女の区別なく、誰もが理解している(はずだ)。そんな上っ面の価値評価である<ブス>という言葉にヒステリックに「差別だ!」と騒ぐのは、同時にオンナ(この場合、女権団体)が「ニンゲンの価値は顔にあり」と言っているようなものだ。そのような一元的な思考こそが、<ブス>という差別的言語(存在)を生み出したといえる。
それにまりちゃんズはこの歌で「あんたはブスだ」という主張に終始するのでなく、「女に生まれていたなら 僕らもブスだろう」と自らがブオトコであることを認めている。つまり、この歌は<オンナ>に対する「差別歌」ではなく、「応援歌」であることを示唆しているのだ。「ニンゲン、カオじゃない。希望を失わなければ、いつか陽の目を見る見る日はやってくる、ブスもいつかは美人になる」と……。
だから、この歌を聴いた女性が「この歌はオンナに対する差別である」と思ったならば、それはその人の心がブスであることを自ら認めてしまったことになる。同時に、それはオンナのオトコに対する差別だともいえる。<ブス>という言葉をそのまま<ブオトコ>に置き換えれてみれば、この歌の意図がかなりくっきりと浮かび上がってくる。
キワモノは深読みしたらつまらない
差別だ人権だとちょいと深読みしすぎてしまった。そして深読みした途端にこの歌がつまらないものに思えてきてしまった。
たしかに発表された時代を考えれば、「ブス」という言葉の持つ政治性をこの歌の分析のキーワードとして用いるのは当然といえなくもない。が、やっぱりこれは単にウケ狙いのキワモノ歌なのだ。実際、彼らは数枚のシングルと二枚のアルバムを発表しているが、エロ、グロ、SMと、彼らは一貫してキワモノの世界を指向していた。
キワモノ歌はムズカシイことはいっさい考えずに頭マッシロにして聴くのが一番オモシロイ。そして、この歌の本当のアブナっかしさは聴き手であるぼくたちの頭の中がマッシロでなければ味わえないと思う。誰がどうイチャモンつけたって、ブスやブオトコがこの世から消滅するものでもあるまい。だったら、自分の事はいったん棚に置いといて、ノーテンキに笑いましょうや。ちなみにこのシングルのB面は「笑って誤魔化せ」。ちょっと出来すぎだね。
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