画材店の階段

イラストボードが必要になって、ひばりが丘駅前の画材店へ行く。
と、何やら様子がいつもと違う。
「全品50%OFF 閉店セール」なる赤いポスターが、かかっている。

ボードが半額で買えるのはありがたいことだけど・・・
思わず、店員さんに声をかける。
「あの、いつまでなんですか?」
「12月一杯なんですよ」
「・・とても残念です」
「道路が通るので、立ち退くことになりまして・・」

区画整理して、大きい道路になるのだろうか。
それにしても・・・



この町へ越してきてから、このS堂画材店にはずっとお世話になって来た。
27年にもなる。
1階は普通の文具店、地下が画材店で、とんとん階段を降りて行く。
いわゆる美術用品だけでなく、デザイン用具も揃っていて重宝であった。
紙類、ボード類、スケッチブック、
カラーインク、アクリル絵の具、色鉛筆、定規類、
ペーパーセメント、スプレーのり、などなど・・・
本当にお世話になった。

近場でこれだけの品揃えのお店があることが、ありがたかった。
ここが無くなれば、もう、紙を1枚買うにしても、
池袋まで出るしかないだろう。

思い出もたくさんある。

子どもが小学校に入学したとき、クレヨンや絵の具や、筆、パレットなどを買いに、
親子3人連れで来たものだったし、
妻の似顔絵作品をカラーコピーしたのも、ここの地下でだった。
色が全然違って出て来て、
「もっと赤を強めに出してください」とか、注文をつけたり。

私がカラーインクに凝っていた頃は、
毎月1つずつ、ドクターマーチンの小瓶を買って、色を揃えていくのが楽しみだった。
地下にとんとん降りて行くときのワクワク感。
そして、買い物を終えて、とんとん昇って行くときの「描くぞ〜!」という希望に充ちた情熱。

ああ、それがもう無くなるのかー・・。
なんというか、
友達が遠くへ行っちゃうような感じである。

ボードを買った帰り道、小雨がシトシト降り出した。

(2011.11.11 記)

  


  

似顔絵たくさん

仕事場の本棚の下の段に、黒い表紙の古いクリアファイルが眠っていた。
つい先頃の似顔絵つながりで思い出して、久々に開いてみる。



「週刊朝日」に似顔絵塾というのがある。
山藤章二さんが、読者の投稿作品から選んで似顔絵を掲載するコーナー。

結婚して、まだ子どもが生まれる前の頃だったと思うが(90年代始め)、
妻の道子ちゃんが、これにはまった。
ヒマをみては雑誌の写真を切り抜き、資料にして熱心にスケッチしていた。
こと似顔絵に関する限り、彼女は私よりずっと才能があったし、
ときに、驚くほどのケッサクを生み出していた。
(主にカラートーン、後期は色鉛筆を使用)

そして、何回か、週刊朝日に載った。
ますます熱が入り、どんどん上達していく。
もう、楽しくてしょうがないという感じであった。



当時はまだ、パソコンもない時代で、作品をカラーコピーで残すしか手がなかった。
なのであまり色が良くないのだが・・・道子ちゃんの作品をここに載せてみる。
彼女の足跡です、見てください。


あえて名前は入れません。
全員、誰か分かったら、あなたはエライ!

(2011.11.10 記)

  


  

 skip skip

ある本を読んでいたら、微笑ましいエピソードを見つけた。
保育園からの帰り道、孫がおばあちゃんに、
「いっしょにスキップしながらかえろ?」と誘う。
ふたりで手をつないでスキップしたら、とても幸せな気持ちになった。
-----という話。



ふと、「スキップか・・してみようかな」と思う。
息子が小さいときに、やはり一緒にスキップしたような気もするが、よく覚えていない。
「えーと、まず左足でけって・・?」
と、頭で考えると分からなくなるけれど、
実際にやってみれば、すぐ出来る。体が覚えていた。

いい歳をしたおじさんがスキップなんて、人に見られたらハズカシイ。
でも、やってみると楽しい。
続けているうちに、ウキウキしてくる。
スキップ スキップ♪ たらった たらった♪

「お、なんかいいぞ、これ!」

さみしいとき、落ち込んでいるとき、スキップは効きめがありそうだ。
ストレスなんか吹っ飛ぶぞ。
顔が自然とほころぶぞ。

大人のみなさま、どうぞ一度おためしあれ。
(ただし、場所は選びましょう)

(2011.11.4 記)

  


  

似顔絵ふたつ

by トコトコ

先頃、山本祐司さんの個展「トコトコ美人展」に行ってきた。
会場で、チャリティーの似顔絵描きというのがあり、トコトコさんに描いて頂く。
とてもカッコ良く描いてもらえたのだが、
あまりにも若いので、
「若すぎるよ〜、しわを描いてください」と注文してしまった(苦笑)。
それでも、まだ若い!
トコトコさんのやさしさですね。

 by テツテツ

こちらは河本徹朗くんによるもの。
居酒屋で一杯やりながら、さらさらっと描いてくれた。勢いがあるねー。
どちらもチェックのシャツを着ているのでした。
チェック、好きなんですよ。
和製ハリソン・フォードと言われた(ほんとか?)私の感じが出てるね。

自分で自画像を描くと、どうしても美化しちゃうので、
人が描いてくれる方が、真実に近いのだと思う。

あ、ほんとは、もっともっとダンディーなんだけどね!(爆)

(2011.10.27 記)

  


  
珈琲とたまねぎ

先日、原画展の折においでくださった喫茶店のマスター。
「うちでも個展をやってみてください」とのことで。
その喫茶ロアンに行ってきた。

久々に伺ったら、改装されてて前より明るくオシャレになっていた。
小さなテラスもあり、いい感じ。
夕方だったが、女性の客で賑わっていた。



カウンターに座る。
マスターが目の前で入れてくれた美味しい珈琲を頂きながら、個展の相談。
「あそこの壁を使って、一列じゃなくて何段にも、壁を埋め尽くすように
ずら〜っと絵を飾るっていうのも、面白いんじゃないかな?」

「この間やったばかりだし、少し間をおいた方がいいかも知れないね。
来年の春とか?
5月下旬から6月にかけてとか、どうかな?
毎年6月にね、あじさい祭りというのをやるんです。
大勢でパーティーを、この外でやる。100人くらい来るんですよ。
だから、それにひっかけた方がいい。
みなさんに紹介できるから」

少しずつ形が見えてくる。
どうせなら、原画展ではなく、新作の個展にしたいな・・・。
まだまだ半年以上先の話だけれど、心踊る。わくわく。
目標ができて、なんかうれしい。



余談。
帰りにスーパーに寄ったら、たまたまタイムセールをやってて。
野菜などがワゴンで出て来ると、客がどっと押し寄せ、押し合いへし合い奪い合いである。
す、すごい!
で、つられて参加する(笑)。
奥様方にまぎれてがんばって、「北海道産たまねぎ」をゲット。
なんと、1袋4コで75円という安さ!
ラッキー!
初体験でしたー。

(2011.10.20 記)

  


  

原画展をふりかえって

ここ10日ほど、風邪を引いてしまって、更新できませんでした。
本当にすみません。
おかげで、原画展の絵も引き取りに行けず、ギャラリーに展示されたまんまでした。
(こちらは月に1回だけの展示なので、支障なかったのですが)
本日、やっと搬出できました。ほっとしました。



最終日10月7日は、絵本塾仲間のSちゃんが来てくれた。
わざわざ、ありがとう。
猫のパズルを気に入ってくれて、遊び方を教えるとチャレンジしてくれる。
でも、けっこう難しくて途中でギブアップ。
あはは、ごめんね。
考えないで何気なくやった方が出来たりするんだけど、ね。

その後、通りがかりの男性(30代?)がポスターを見てふらりと寄ってくださる。
福祉関係の人らしく絵本に興味をお持ちで、じっくり見て
「仲間にも教えてあげたいのですが、いつまでですか?」と。
「それが、きょうまでなんですよ・・」
と答えると、とても残念そう。なので、
「まだ未定ですが、そのうち市内の喫茶店でも、また展示する予定ですので」と伝える。

この男性も、猫のパズルが気になるらしい。
遊び方を教える。



この7つの板を使うセブンパズルは、ず〜〜っと昔に作ったものなのだが、
今回、意外に注目された。
「ネコの色がいいですねー!」なんて感心する人もいて、
ほめられると、また作ってみたくなるのであった。



4日間で売れた絵本は、44册。
売れた作品は、ミニ額シリーズの4点だった。
そのうちの1点は、なんと、海を渡ってドイツに行くらしい。
なんでも、ドイツに住んでいる方で、今はちょっと日本に帰って来ているとのこと。
「ドイツに戻るときのお土産に!」と、枯れ葉の絵を買ってくださる。
おおー! なんか、うれしい。
当然、私の絵本もドイツに行くんだよね? やったなあ。



展覧会の様子がよくわかる写真は、こちらでご覧ください。

短い期間とはいえ、楽しい日々でした。
おいでくださった皆様、本当にありがとうございました。
そして、プチ・フールの皆様、ありがとうございました。
いつかまた、第二弾を開催できるよう精進します。

(2011.10.17 記)

  


  

原画展3日め

10月5日水曜日。
雨である。シトシト雨。
新しく届いた絵本20册をリュックに入れて、傘をさして歩く。プチ・フールまで約40分。
重かったー。
晴れていれば、自転車で軽快に来れたのだけれど。



やはりこの雨では、来る人も少なかったが、
先日からの予約が思いのほかたくさんあり、えっちらおっちら運んで来た20册も、
あっという間に残り数冊となる。
びっくりだ。
また、さらに注文しなくては。

小さなお子さんのいらっしゃるお友達へのプレゼントに丁度いいと
言ってくださる方がいたり、
孫にプレゼントするという方も多い。
なんか、うれしいなあ。
みんな、喜んでくれるといいなあ。



喫茶ロアンのマスターが来てくださる。
ご無沙汰ですー。
ずっと以前、夫婦でお茶したり、子連れでランチしたり、よく通ったお店。
当時、マスターに頼まれて描いたロゴマークを、今も使ってくださっていた。
ありがとうございます。


いただいた珈琲の袋にも。なぜかカッパが珈琲飲んでる絵。

お店が移転して、さらに改装もしたらしく、一度お伺いしたく思う。
このお店で、「絵本を置いたり、絵を飾ったりしてみたら?」と言ってくださる。
ありがたいお話です。
ぜひぜひ、よろしくお願いします。
ひとりでも多くの人に絵本「あたしのサンドイッチ」を知ってもらいたい。
それが願いです。



夕方から予定があったりしたので、きょうは早々に引き上げた。
帰りは、ざんざん降りの激しい雨なのだったが、
心軽やかに歩く晶太であった。

(2011.10.6 記)

  


  

原画展2日め

10月3日月曜日。
さすがに平日は、訪れる人も少なめで、ゆったりとして。
静かに時間が流れてゆく。


ギャラリー「一居荘」は、古民家のようなたたずまい。いい感じでしょう?


ピントがぼけてすみません。アンティークな小物とミニ額シリーズ。

とても明るい女性がいらして、やはり保育園で私の絵本を見ていたとおっしゃる。
よくよくお聞きすると、保母さんであった。
「どちらの保育園ですか?」
「S保育園です」
「あ、そうですか! うちの子ども、通ってましたよ」
「えー! そうなんですか?」
と、偶然の出会いに話が盛り上がる。
仕事の途中を抜け出して来てくださったらしい。(お昼ねタイムかな?)
絵本を予約してくださった。

私の「絵の師匠」とも言うべきマオさんが来てくださる。
6月に「ゆめあわせ」展をご一緒して以来である。

マオさんはいつも興味深いお話をしてくださるのだが、
きょうのは、「最近、呼吸ということを意識している」という話で・・・



生き物は当然みんな呼吸をしているけれど、
実は、宇宙も呼吸をしているんだよ。
吸って吐いて、吸って吐いて。
例えば星は、最後には爆発してチリになって消えてしまうんだけど、
それは吐き出してるってこと。
で、チリがまた集まって、どんどん集まって、吸って吸って新しい星が生まれる。
吸って吐いて、吸って吐いて。

でね。
「創作」も同じで、やっぱり呼吸なんだよ。
吸って吐いて、吸って吐いて。
いろんなことから学んだり、シゲキを受けたり、吸収するでしょ?
それを自分の中にためて、何かを作り出す。
そして、発信する。
吸って吐いて、吸って吐いて・・・



うまく再現出来ていませんが、そんな内容でした。
マオさんのお話は深い。
ありがとうございました。



地元の、とある喫茶店のオーナーさんが、
「うちでも(個展を)やってほしい」と言ってくださっているとのこと。
なんとなんと!
ありがたいことです。
縁がつながって広がって、どんどん巡回して行ったりして(笑)。

(2011.10.5 記)

  


  

原画展はじまる!


本日10月1日、東久留米のパン屋さん「プチ・フール」の併設ギャラリー「一居荘」にて、
久保晶太絵本原画展「あたしのサンドイッチ+アルファ」が始まった。
朝、家を出たとたん、空気のさわやかさを感じる。
秋晴れの気持ち良い一日となりそうな予感。

一昨日が搬入の日で、順調に飾り付けできたのだが、
小さな小さな額の絵シリーズを10点は置きたいと思っていたのである。
それを、昨夜まで頑張ってぎりぎりで描き上げたので、当日朝に置く。
そして絵のタイトルなどをつけたり、あたふたと会場の総仕上げをしていたら・・・

次々とお客さんがやってくる。
急に賑やかになって、
「絵本いただきます。サインしてください!」と。
私のサインは、絵が入るので少し時間がかかる。
次々とサインを描くのに追われ、うれしい悲鳴をあげる。

午前中だけで10册売れた。びっくりである。
20册置かせてもらって、
「売れ残ったら、どうするかなー?」
なんて思っていたのに。

パン屋さんが、いろいろ宣伝をしてくださったらしい。
パンを買ったついでに見ていこう、というお母さま方も多いのだろう。
とにかく盛況でうれしい。



お子さん連れでいらしたお母さん、
「保育園でこの絵本を見て、きょうは作者さんに会えると聞いて来ました」
とおっしゃるので、どちらの保育園かと聞くとH保育園とのこと。

おお!
それは例の、絵本を置かせてもらった所だ(ここだけのサンドイッチ参照)。
園でサンドイッチごっこが流行ったという、あの保育園だ。
わざわざ来てくださって、うれしいなあ。
どんな小さなことでも、こうして繋がっていくんだなあ!

少しずつ、「あたしのサンドイッチ」の輪が広がっていく。
すごいことだよね。



お昼どきは誰もいなくなり、静かに過ごす。
せっかくなので、プチ・フールのパンを買わせてもらう。
いろいろなパンがあって目移りするのだったが、
ふと、大きめの「くるみパン」が気になる。

粉を吹いたセピア色といい、ごつごつの形といい、なんか質実剛健というような風貌のパンである。
「いい顔してるなあ!」
手に持つと、みっちりと重い。しっかりと固い。
ふと、イタリアで食べたパンを思い出す。
これに決めた。
あとで食べてみたら、やはり想像通りの、じ〜んわりと旨いパンであった。



午後からも知人を含め、途切れず人が来てくださる。
BGMは、いつもの「てぃんがーら」である。
和風のこの部屋にぴったりで、落ち着ける空間となる。

使っている画材の話なんかで、ひとしきり花が咲く。
私は、透明水彩を使っているのだが、特別高級なものでもなく、ごく一般的な絵の具である。
ただ、紙にはこだわりがあって。
イギリスで作られているワットマンという水彩紙しか使わない。
これは、コットン100%の紙で、にじみぼかしが美しく出てくれるのだ。
他の紙では、こうはいかない。
いわば、私の絵は、半分はこの紙の力なのである。



結局、絵本「あたしのサンドイッチ」は初日で20册、完売してしまった! いやはや。
まさかまさかの、うれしい誤算である。
またすぐ注文しなくちゃ。

3時までという予定だったが、4時半くらいまでお客さんが来て、
絵本は売り切れですと言うと、予約をしてくださった。
ありがとうございます。

こんな幸せな一日。
やってみるもんだねー・・・。

パン屋さんのオーナーMさん夫妻も、とてもやさしい温かい人たちである。
出会えてよかった。
ここを紹介してくださったSさんに感謝。

まだ、あと3日あります。
興味が湧いたら、いつでもどうぞ。ぜひぜひ〜。
よろしくお願い致します。


(2011.10.1 記)

  


  

いまさらですが・・


*この記事は朝日新聞社の承諾を得て掲載しています。無断で転載することを禁じます。



これは昨年の9月15日、朝日新聞の地方版ページに載ったものです。
当時は、朝日新聞のインターネット版で見ることが出来ましたので、あえて自分のHPには出しませんでした。
が、ネット版は一定の期間が過ぎると消されてしまうのでした。
その後、やはり「ごくたま」に載せておくべし! と思いましたが、
新聞の記事を引用するというのが許されることなのかどうか、よく分かりません。
著作権の問題がありますので。
で、そのうち問い合わせてみようと考えながら、いつしか忘れてしまって・・・
気がついたら一年過ぎておりました。たはは。

先頃、問い合わせてみましたところ、
利用申込書を提出すれば大丈夫とのことで、(営利目的ではありませんし)
やっとやっとのお披露目です。



でも新聞というのは、やはりすごいもので、即日、
「見ましたよー!」と電話をくれたり、メールをくれたりした友人知人がけっこういて、
「ありゃ、見つかっちゃった〜」
照れまくりの私でありました。いやはや。

だが、はたして、この記事を見て書店に走った人がいたのかどうかは、
神のみぞ知る、である。



ところで。
実は、10月に地元のパン屋さんで、展覧会を開きます。
いえ、本当にローカルなエリアなので、ひっそりと、こっそりと企画しているのです。
遠いところからわざわざお越し頂くのも、気が引けますのです。
なので、本当にお近くの方だけ、おいでください(笑)。
一応、ちらしを載せてみますが・・・

↑でかいですねー。
地図がなかなかに複雑なので、小さくすると見にくいかと思いまして。

住宅街にある小さなパン屋さんの奥にギャラリーがあります。
ちなみに「プチ・フール」というのは、フランス語で「小さな窯」を意味するそうです。
地図でお分かりのように、駅から遠いのです。
歩くと25分から30分くらいは、かかるかも知れません。

でも、すぐそばの「六仙公園」てのが、いいです!
まだ何もないような、だだっ広い草原みたいな公園ですが、その広さが好きです。人もあまりいないし。


六仙公園の花です。マーマレード・コスモスと名付けてみる。


これは公園の近くの野原。風にゆれるねこじゃらし。


夕暮れの落合川はノスタルジック。



川べりを散歩して、
この公園でさわやかな風に吹かれてリフレッシュして、
パン屋さんで美味しいパンを買って、
そのついでに、ちらっと絵を見てってください。
そんな感じで、お願いします。

(2011.9.20 記)

  


  

モトオカ君のこと

もう夏も終わりですね。
なぜか今頃の季節になると、昔のことがいろいろ思い出されます。

「おまえ、きらいや!」
と、はっきり正面切って言われたことがある。
後にも先にも、そんなことずばりと言ったのは、ただ一人。
そのモトオカ君の話。



あれは、中学2年の頃と思う。
校舎の北側の草木が茂る中庭に、ぼくとモトオカ君はいた。
庭の掃除当番だったのかも知れない。
あるいは、たまたま出くわしただけだったのか?
とにかく二人きりだった。

彼はぼくをじっと見つめ、唐突に口を開いた。
「久保・・オレ、おまえきらいや! ・・久保には攻撃力がないからじゃ!」

何んの脈絡もなく突然言われて、ぼくは呆然として立ち尽した。
心臓が、どっくどっくと早くなる。
何も言い返せないで固まるぼく。
そのまま彼は、さっさと立ち去った・・・。



モトオカ君は、悪ガキだった。
乱暴な印象があり、あまり近づきたくない友達だった。
だけど。

なんで、わざわざ、「きらいや!」なんて言ったのだろう?
きらいなら自然に離れていればいいだけのことだろ?
当時のぼくは考えた。

攻撃力?
弱いからきらいってことか?
ケンカの話じゃないよな?
「主張がない」と言いたかったのかも・・・
確かに、思春期のぼくは従順すぎて、自分の意見を主張することが苦手だった。
いつもみんなの後について歩いているような子どもだった。
そのことが、彼をイライラさせるのかも知れなかった。

それにしても・・・と考える。
「きらいや!」なんて人に言うのは、ものすごくエネルギーのいることじゃないだろうか?
勇気のいることじゃないだろうか?
(ケンカの中で激情にまかせて言うのとは違ったから)

いや、もしかして、
あれが彼流の忠告だったのかも?
「もっと、男らしく、しっかりせいよ!!」と、言いたかったのかな。



その後、モトオカ君とは、しゃべった記憶がない。
進級し、クラスも違ったのだろう。
だけど、あのときのあの言葉は強烈に頭に残っている。

大人になっても、主張がヘタッピなところは相変わらずである。
ただ、「これだけは譲れない」という線引きは出来るようになったと思う。

モトオカ君、
どうしていますか?
あの強さを今も持って、元気に頑張っていますか?

今なら、もう少しうまく話せたかも知れないねえ?

(2011.8.31 記)

  


  

架空装丁



なんとなく少女の絵を描いてみたら、
途中からこの女のコが、赤毛のアンに見えてきた。
で、そばかすを入れてみたら、もう間違いなくアン・シャーリィになっていた。

そこで、どうせなら・・と、文庫本のカバーを作ってみた。
なかなか、いいんじゃないか?

プリントして、カバーを文庫につけてみる。
うん、しっくりきた!
「よかったら、読んでみて。オリジナルカバーだよ」
と、息子に渡した。

反響は、どうかなー?

(2011.8.23 記)

  


  

気仙沼の夏(4)

8月12日、東京に戻る日。

帰りの列車の時間まで余裕があった。
ホテルを出て、気仙沼港の周りをぶらぶらと歩いて行く。
明るい日中に見ると、市街は瓦礫こそ片付けられてはいるものの、
あちこちに津波の爪痕が残っている。

街並のところどころがポッカリ空いて、地面だけになっている。
家とかお店とかが、波にさらわれていったのだろう。

グシャッとつぶれた家、壁がこっち半分崩れて中が見える家、
折れた街灯、海に沈んで傾く桟橋、陥没した道路、逆立ちの自動車・・・
ビルのシャッターがベコンと折れ曲がったままになっていたり。
痛ましい景色。
写真を撮っている人を何人か見かけたけれど、
私は、そんな気になれなかった・・・。



けれど、地元の人は明るい。
昨夜、親戚の方々とお酒を飲んだときにも、そう感じた。
大変な思いをしているはずなのに、元気だ。
復興にかける熱意、心意気を感じる。
きっと、数年で立ち直るのではないだろうか?

私には何も出来ない。
何の役にも立てない。
実に情けなくも思うのだけれど・・・

私は私の場所で、本分を全うするしかない。
ひとつひとつ、いい仕事をするしかない。
そうも思う。



また長時間列車に揺られて、東京に帰ってきた。
義父の遺影が、まぶたから離れない。

そういえば、
あれはいつだったか・・・

道子が亡くなった後、帰省したときだったか、
お義父さんが、こんなことを言っていた。
「(仏壇の)道子の写真を見るたびに、表情が違って見えるんだなあ。
笑っているように見える日もあれば、
寂しそうに見える日もある・・
こっちの気持ちで変わって見えるんだろうかなあ・・」

そんなことがあった。



最後に、一通の手紙をここに紹介して終わろうと思う。

これは、道子が闘病生活をしている最中に、父親に宛てて書いた手紙の下書きである。
実際には下書きだけで終わってしまっていた。
彼女が逝ってしまってから見つけて、義父に送った。
そのときに、コピーを取っておいたのである。

ここに載せても、きっと道子も義父も許してくれると信じる。

○○○

父ちゃん、心配ばかりかけてごめんね。
親不孝な娘だよね。
父ちゃん母ちゃんに、この歳になって病気の心配、金銭面での苦労をかけてしまうなんて・・・
悪いと思っています。でも、甘えることしかできません。
久保さんにもいっぱい負担をかけてしまいました。
こんなはずじゃなかったのに・・・と思うけど、
きっとこれが私の夫婦の修業なのかと感じています。

久保さんはいろいろ意見をいう人ではありませんが、
私が穏やかに暮らせるように、それなりに気をつかってくれています。

(中略)

ほんとに、みんなに迷惑をかけています。
そして、たくさんの人に支えられて、私は生きています。
今は、久保さんと甲賀のため、父ちゃん母ちゃんのために
少しでも長く生きたいと心から願っています。
それができると信じてもいます。

(中略)

私が生まれた時、父ちゃんは、女の子でうれしかったですか?
こんなこと、いままで聞いたことなかったよね。
私は、望まれて生まれてきたんだよね。
女の子らしい女の子にはなれなかったけど、ごめんね。

(中略)

小さかった頃、田町の裏の池にはまってしまった時、
笑ってふいてくれた父ちゃんを思い出します。
風呂場から星座をおしえてくれたこととか、
髪を洗ってもらう時に父ちゃんの足の間に頭を入れたこと。
耳掃除してもらえるのがきもちよかったこととか。
結構、子どもの面倒をみていたんだよね。

(中略)

高校卒業して東京に出た時、ほんとうに親のありがたさがわかったんだよ。
父ちゃん母ちゃんに持っていた反感も、離れたことで消えていったと思う。
母ちゃんの性格も、今でこそわかってあげられる。
母ちゃんの生きてきた時代をやってみろと言われても、私には絶対できない。
あんな辛抱はできない。
そんな中で子ども4人を育てたんだから、育児がどうのこうのなんてないよね。
育ってくれればよかったんだよね。
父ちゃんと母ちゃんは、そんな中で夢中で私たちを育てたんだよね。

(中略)

父ちゃんは、自分の人生、悔いはありませんか?
私は、こんなことになってしまったけど、結構幸せかなと思っています。
久保さんと結婚して、心の平和をもらったと思います。

○○○

手紙はここで終わっている。
今頃、ふたりは天国で再会して、いっぱい話をしているのだろうか。
そうだといいな。
ほんとに、そうだといい。

蝉が鳴いている。
この夏は、ずっと忘れないことだろう。



長い話を読んでくださって、ありがとうございました。
合掌。

(2011.8.17 記)

  


  

気仙沼の夏(3)

8月11日、仙翁寺(せんのうじ)にて葬儀。

きょうもよく晴れて、気温が体温を上回るほど暑い。
喪服なので、ますます暑い。
風があるのが救いだ。
お寺で時間を待つ間、松の木陰で座っていた。

ここ、仙翁寺は、実家から山の方へ入って行ったところにある。
震災の際には、避難所として大勢の人を受け入れたらしい。
今は、何事も無かったかのように静かである。



葬儀の前に、遺族が行列を組んで歩くという風習がある。
鉦や幟が先頭で、各々にお菓子、果物、ご飯、花など、お供物を手に持って並び、
最後尾は位牌と遺影と遺骨である。
お寺の前庭をぐるぐる3周回って、本堂に上がる。

実は前日、義兄から弔電を読む係りを頼まれた。
突然に言われたので、「いやいやいや、無理無理無理・・」と断ったのだが、
少しは役に立たなくてはと思い直し、今朝になって引き受けた。
息子も、付き添い役をしてくれることに。

なので、式が始まっても落ち着かない。
頭の中で、何度もあいさつの言葉をくり返す。
そして、その時がきた。



教わった通りに礼をし、焼香をする。
電報を香の煙りにかざして浄めるのは、息子がやってくれた。
マイクが用意される。
息子が横にいてくれるせいか、落ち着いてきた。
たくさんの弔電が届いていたが、全部読むわけではない。
代表で2通ほど読んで、あとは御芳名のみ読み上げるという段取りである。

ひとつめが、義父がとても可愛がっていた親戚のまだ若い姉妹からで、
前夜に読んで、泣きそうになったもの。
心のこもった、いい文章である。
「これからは、おんちゃんの教えを胸に生きていきます。ありがとう」
みたいな内容だった。
これを本番で読んでいたら、やっぱり涙が込み上げてきて・・・
声が震える。
これはやばい・・と、気持ちを静めて、どうにかこうにか乗り切ったのだが。



式の後、お墓に納骨。
お寺から坂道を登って行った上の方にお墓がある。
ここには、道子の分骨も入っており、
「お義父さんもこれで、天国に行って道子に会えるわけだよね。寂しくないよね」と思った。



義兄や義弟のあいさつが、また良かった。
かたち通りのものではなく、実感のこもった心に響く言葉だった。

義兄が、震災直後のこのお寺で、少ない毛布を被って、
寒い中、父と母の間に挟まって、川の字になって寝た話・・・。

義弟が、郷里を出てしまった為、なかなか親孝行も出来ずにいたが、
震災後、思いがけず家に両親を呼ぶことになり、最後に孝行が出来て良かったという話。

どちらも、じーんと来る。



折しもその夜、復興祈願の花火大会があり、
気仙沼の港に、どーーーんとでっかい花火が上がった。
何発も何発も上がった・・・。

いろんな人のいろんな思いが花火となって、夜空に弾けたようにも見えた。

つづく

(2011.8.16 記)

  


  

気仙沼の夏(2)

8月10日、息子とふたり新幹線に乗って気仙沼に向かう。
とても夏らしい暑い日である。

道子の実家は、気仙沼市街中心部からは南へ約10キロ離れたところにある。
地図を見るとわかるが、
海沿いをずーっと気仙沼線という単線が走っている。
これが津波でやられて、今もまだ復旧していない。





なので、まず東北新幹線で2時間半、一ノ関で下車。
そこから大船渡線という2両だけのかわいい列車に1時間半揺られて、
やっと気仙沼駅に着く。
歩く時間や待ち時間も全て含めて、家から7時間以上かかった。
やはり遠い。



列車の中では、息子は小説を読んでいたようだが、
私は、うつらうつら居眠りしたり・・・
それにも飽きると、義父の思い出を記憶の中から探そうと試みていた。

とにかく博識な人だった。
そうだ、こんな思い出があった。



道子と結婚して何回目かの帰省の折に、ふと疑問に感じたことがあった。
海辺の町なので、折々に、町民が海の幸を採っていい日というのがある。
たとえば、きょうはウニを採っていい日だとか、
アサリを採っていい日とか、アワビを採っていい日とか・・
そう決めることで乱獲を避ける知恵なのであろう。

で、それは当然、干潮の日に設定されるのである。
潮が引いている方が採り易いわけだ。

でも、そこで不思議に思ったのである。
なんで、何日の何時頃から潮が引くって分かるのだろう??
まるで予言ではないか?

それを道子に話したら、横で聞いていた義母が
「ちゃんと、そういう表があるんだよ」と言って小冊子を見せてくれた。
潮の満ち引きが詳しく載っている。
漁協で配られるものらしい。

「へえ〜〜、こういうのがあるんだ!
でも・・これを書いた人は、なんで分かるんだろう?
やっぱりフシギだよねえ?」
すると道子がニッコリして、
「父ちゃんに聞いてごらん。喜んで教えてくれっから」

義父は、本当に嬉しそうに紙とペンを持って来て、図を書いてくれた。
「これが地球で、これが月、こっちが太陽・・・」
おお〜!?
そうか、そうだったのか!!
これらの位置関係と引力の作用により、海の水が動くのか!
地球から見て月と太陽が同じ方向になった時、そっち側の海は水が集まって満潮になるし、
反対側の海は干潮になるわけだ。
なるほど、すごい。
そんな壮大な現象だったとは。
そうすると、天体の観測から計算で割り出して、こういうデータが出せるってことか。
うお〜〜! 疑問が解けてすっきり。

「お義父さん、ありがとうございます!」



お通夜の会場であるJAの会館に着いたのは、もう夕方であった。
急いで喪服に着替えて、焼香させてもらった。
享年87歳とのこと。
数カ月前に撮ったという義父の遺影は、
白いあごヒゲを伸ばして、穏やかに笑っていた。



その夜は、気仙沼港の高台にあるPホテルで泊まる。
立派なホテルで温泉もありで快適なのだったが、
なぜか枕が固くて、
緊張や興奮のせいもあってか、寝つけない夜だった・・・。
息子も同じらしく、何度も何度も寝返りを打っていた。


明日が、お寺での葬儀である。

つづく

(2011.8.15 記)

  


  

気仙沼の夏(1)

近頃、脳天気な話ばかり書いておりました。
きっと、あきれておられる方もおいでのことと思います。

現実の重い話題は、書くのもしんどいし、読む方も疲れるかと思い・・・
深刻になるより笑い飛ばす方がいいと考えてのことでした。

が、そうも言っておられないことになりました。



8月6日朝、妻道子の父親が亡くなったとの知らせが入る。
半分寝ぼけながらオロオロして、
「ああ、とうとう・・・!」と悲しみに襲われた。

前から入院しており、2週間前にお見舞いに行ったときにも
「もう、長くはないかも・・」と聞いてはいたのだけれど、
やはりショックは大きかった。



話は前後するが、
あの3月11日の東北大震災の大津波で、妻の郷里である宮城県気仙沼市は大変なことになっていた。
テレビニュースで見た方も多いはず。
たくさんの人が亡くなり、町は荒れ野と化した。

道子の実家は、海まで1分という近さであったので、とても心配した。
けれど、海から見ればかなり高い位置に建ってはいたので、
もしかしたら無事かも、とも思えた。

実際には、形こそ残ってはいたものの、
1階は完全に波に浸かったらしく、また周囲に瓦礫が押し寄せ、
とても住めない状態であった。
庭も畑も、どこが何やら、荒野が広がるばかり。
(道子がいたら、涙を流すかも知れない)
隣の家は、影も形もなく地面だけになっていた・・・。

当時のことを義母から聞いたことがある。

大きく長い地震が続いたあと、おまわりさんが回って来て、
「津波が来ます! 急いで高台に避難してください!」とのこと。
「津波なんて、本当に来るんだべか?」
と、のんきに考えていたら、
たまたま2階にいた義兄がどどどっと降りてきて(普段は家にいない時間であったが)
「なんだ、いたのすか?」
義兄は慌てて両親を車に押し込んで、高い場所へ逃げたのだという。

命が助かっただけでも、本当に良かった。
パトカーで回っていたおまわりさんは、波に飲まれて亡くなったと聞く。
惨いことである。



避難所のお寺に数日いたり、それから秋田県の親戚の所でお世話になったり、
そして最終的に、埼玉県にいる義弟の家に来る。
義父は大宮の病院に入院。
ガンが転移して、老齢で体力もないため手術も施せず、
あとは残された時間をできるだけ楽に過ごせるようにするしかないとの話だった。

「がんばってがんばって、最後は燃え尽きるように逝きました・・・」
と、義弟が電話で話してくれた。



やはり、葬儀は気仙沼で行うことになる。
もちろん、その方が義父も喜ぶに違いない。

8月10日、息子とふたり新幹線に乗って気仙沼に向かう。

つづく

(2011.8.14 記)

  


  

やっちゃった

たった今、やっちゃった話。



わが家では、私が主夫であります。
料理は、ほとんど私が作ります。

生協でバジルの生葉が届いたので、それを使って何か作ろうと思った。
前にもバジルを買ったのだが、
パスタに入れるとめちゃくちゃ美味しい。
が、葉っぱの残りをしばらく置いてたら、変色しダメになっていた。
とても、もったいないことをした。

なので、バジルはさっさと使うに限る!

で、今夜は、バジルの香りさわやかな炒めものに挑戦。
まず、ニンニクを切ってオリーブオイルで炒め、
そこへナスとキャベツを投入。
塩コショウする。
玉ねぎも入れたかったが、切らしていたので省略。
茹でておいたソーセージを加えて、
仕上げに「ペペロンチーノ ソース」を。
これは、ちゃちゃっとかけるだけで、イタリアの味になるという優れもの。

う〜〜ん、うまそ〜!!



炊きたてのごはんといただく。
「うまい!」
ばくばく食べて、食べ終わる頃になって思い出す。

「あれ? まてよ・・」
しまった。
最後にバジルを入れるの忘れた〜〜!!

やっちゃったよ・・・。

(2011.8.1 記)

  


  

禁油さらにその後・・

中性脂肪過多が判明し、「禁油」を誓って一ヶ月が経つ。
揚げ物は、本当にほとんど食べてない。
体重は現在60キロジャストである。
これが、自分のベスト体重と思っている。

ズボンのベルトが、穴ひとつ分ゆるくなった。
つまり、約2センチ、ウエストが細くなったということである。
これは素晴らしい!

って、ダイエット日記か、これは。



先日、久々に外で飲んで、フライを口にした。
いや、揚げ物を頼んだワケじゃないのだけど・・・
たまたまチャンプルーの中に、マグロの角切りをフライにしたものが入っていたので。

迷ったが、「まあ、ひとつくらいはいいか・・」と、食べた。
うんまかった〜!!

なんで揚げ物って、こんなに美味しいのだろう?
口いっぱいに広がる幸福感。
しかし、ひとつだけで止めておく。

強い意志。

いや、うそです。
意志が弱いからこそ、これ以上食べたらいかんのです。
また止まらなくなったらと思うと、コワイ。

って、ダイエット日記か、これは。

(2011.8.1 記)

  


  

禁油その後・・

決意し、張り紙してから、一週間が経った。
本当に肉や揚げ物を食べなくなった。
さっき、昼食後に体重を計ってみたら、61.5キロ。
確実に1キロ以上は減っている。

痩せればいいわけではない。

でも、中性脂肪は目に見えないから。
家でちょいと血液検査というわけにはいかないから、
体重を目安にがんばるしかないのだ。



最近の献立例。

サバのみぞれサラダ
ゆでキャベツときゅうりの上に、サバの水煮缶をあけて、
大根おろしをどっとかけたもの。ポン酢でいただく。
さっぱりと美味しい。

切り干し大根ときゅうりの中華あえ
切り干し大根は、食物繊維が豊富でいいらしい。
小口切りのきゅうりとあえて、タカの爪をぱらっと。
ちょっと見、中華クラゲとまちがえそう(笑)。
ごま油を使うのは仕方あるまい。

なすの煮びたし
うちでは、だしつゆにショウガとタカの爪を加えて煮る。
あ、みりんもちょい入れるかな。
お皿に盛ってから、万能ネギを刻んでたっぷりのせる。
夏はこれが一番かも。

イカとバジルのパスタ
細めのパスタが好きです。茹で時間も短いし。
イカと玉ねぎとニンニクをオリーブオイルで炒めて、塩コショウ。
パスタと混ぜて、最後にバジルの葉っぱを入れる。
いい香り!
むかし、道子ちゃんが庭で育てたバジルを摘んできて、
パスタに入れてたのを思い出す・・・。



もちろん、息子には肉料理を出します。
そして、ひとくちもらいます(いや、ふたくち、みくちくらい?)。
でも、それでいいのです。
要はバランスの問題ですから。

この調子で続けていこう。

(2011.7.8 記)

  


  

き、きんゆ?



先日、健康診断を受けて、その結果が出た。
息子(19)も同じ時期に学校で受けていて、身長を比べると、1ミリ負けた。
とうとう追い越されてしまったかー・・。

ま、それはいいのだが。
ほとんどの検査項目は「A」で、まったく問題はないのであるが、
ただひとつ、血中脂質のところが「D2」である。
これが大きな問題。

中性脂肪が、基準値30〜149のところ、私は279もあるという。
びっくりだ!

たしか、5、6年前にもこんなことを「ごくたま」に書いた記憶がある。
だが、あの時は、基準値をちょっとオーバーしていた程度。
今回は、ひど過ぎる。
食べ過ぎ飲み過ぎによるものと考えられる。



「禁酒」ならぬ「禁油」を!
というわけで、今年後半の目標を大書し、壁に張った(笑)。

揚げ物大好きの私である。
唐揚げ、コロッケ、メンチカツ、串かつ、揚げせん、ドーナッツ・・・
これらを完全に禁ずることは難しいので(ストレスになっても困るし)、
なるべく控えようと思う。

あと、卵や魚卵(たらこ、すじこなど)、チーズ、レバーなども控えめに! という。
好きなものばっかじゃん!

そして、サバ、イワシ、アジなどの魚をどんどん食べろという。
魚も好きだから、これは大丈夫だけど。

あとは、運動かな?
けっこう歩いてる方だと思うのだが、もっともっとか〜?



さて、友人のみなさま。
私と飲むときは、ぜひとも、
「あ、唐揚げはダメなんじゃないの?」と、注意してやってください。
まちがっても、
「きょう一日くらい、大丈夫だよ」なんて、優しくささやかないでくださいね。
よろしく!!

(2011.7.1 記)

  


  

「ゆめあわせ」を終えて2

photo by Miku

学校帰りに寄ってくれた子どもたち。
「これ、よんでもいいの?」「うん、いいんだよ〜♪」
絵本「あたしのサンドイッチ」をパラパラめくり、「おもしろい〜」と言ってくれる。
やった〜〜!!
すぐ後ろでガッツポーズをした晶太であった。
勇気をくれた子どもたち、ありがとう。



私は、基本的にグループ展はやらない人である。
大勢であればあるほどゴチャゴチャして、見に来た人の心に印象が残らない気がするからである。
それとついつい、人に頼ってしまって
「出品点数が少なくなったけど、他の人のもあるし、ま、いいか・・」
みたいな言い訳をしてしまうことが多いからでもある。

でも、今回はちがった。
参加させてもらって、本当によかった。
楽しかったし、充実感があった。
それは、やはり、メンバーの絆の強さにあったのだと思う。
みんなの想いがひとつにまとまっていたから、心地よい空間となっていた。

絆ってなに?
そう、この展覧会のそもそもの始まりを説明してなかった・・・。
今さらですが、ざっと書いてみます。

30年ほど前、私が編集者だった頃にマオさんと出会った。
マオさんがイラスト画集を出したくて出版社を探していて、
たまたま私のいるS社を尋ねて来たのであった。
そして、私はマオさんの絵はもちろん、仙人のような人柄に魅力を感じて、
いつしかご自宅にまで遊びに行くようになる。

奥さんの初根さんも素敵で、よく手料理をごちそうになったりしていた。
二人の娘さんがいて(当時はまだ小学生)、とても可愛かった。

マオさんは、絵についての私の師匠的な存在となる。
尊敬と憧れを抱いていた。

そして月日は流れて・・・。

一昨年の秋に私が二人展をやったとき、マオさんが来てくださる。
「いつか、マオさんとも二人展をやりたいですね」
それは、ずっと昔から思っていたことだ。
でも、あまりにも実力に差があり過ぎて、とても一緒になんて出来るもんではなかった。
でも、私も少しは進歩したし、もしかしたら今ならやれるかも??
と思って、つい言ってしまったのだ。

その言葉をマオさんが覚えてくださっていて。
今回のグループに呼んで頂いた。
シホちゃんは、マオさんの次女である。(あの、小学生だった彼女が!)
ミクちゃんとモモちゃんは、奥さんの初根さんが開いていた、子どものアトリエの生徒だった。

初根さんは10年近く前に他界されたのだけれど。
彼女が教えた「ものを創る喜び」は、
子どもたちにしっかりと伝わり、根をおろしていた・・。

これが、絆。

photo by Momo

全てが終わり、打ち上げのビールに酔いしれながら、
「よかったね、またやりたいね〜!」
「2年後くらいがいいかもね〜」
と、もう次に向かって話が進んでいく5人であった。

メンバーのみんなに心から感謝したい。
ありがとう。

(2011.6.15 記)

  


  

「ゆめあわせ」を終えて

あっという間の10日間だった。
いま、なんとなくぼんやりして、まさに夢から覚めたような気分でいる。

昨日、最終日は大盛況で、
マオさんがキャラクターデザインと作画監督をした長篇アニメ「ちびねこトムの大冒険」の上映会もあり、
にぎやかな一日であった。

最終日は5時までとなっていたのだが、なんだか名残惜しく、
6時頃にようやく片づけに入る。

photo by Miku

今回、絵本「あたしのサンドイッチ」は20册中17册売れました。
ありがとうございました!
もう少しで完売でしたけどね〜、おしい(笑)。

買ってくださった方々に、いろいろお話をお聞きすることが出来ました。
保母さんらしき人が、
「ほっぺのサンドイッチという手遊び歌があるんですよ。
他にもいろいろサンドイッチの歌はあります。
お弁当箱の歌のサンドイッチバージョンとか・・・」
と教えてくださったり。

それから、これは私が直接お会いしていないのですが、
他のメンバーが教えてくれた話で。
養護学校の方がいらして、私の絵本を買ってくださっていわく、
「発達障害の人は、複雑な話の展開にはついて行きにくいし、
絵もごちゃごちゃした絵には集中出来にくいので、
こういうシンプルさが丁度いい!」
とのこと。
私はこれを聞いてうれしくなって、
「うん、そこまで計算して作ったんだよ〜〜!」とおどけた。
あはは。



魔女の絵にもいろいろ反応があって、参考にさせて頂きます。
ありがとう。
というところで、新作をアップします。
魔女の連作。

魔女習作

  


魔女マサラ

ヨーロピアン調の色彩が好評だった。
マサラは当然、カレーに使うガラムマサラから来ていて、そこに気づく人は多い。
「マサラか・・じゃあガラムもいるの? お姉さん? いや、ガラムは男っぽいか・・・」
などと話が作られて行ったり。

  


コブタカレー

コブタあやうし!?
この絵はね、炎が一番苦心したのだよ。
でも、そこに言及してくれた人はおらず・・・
なので、ここで言っておく。

火って絵本的には「かたまり」で描くことが多いと思う。
でも、火をよく見ると、かたまってはいない。
むしろ、透けて見えるうすい布に近い気がする。布がひらひらしてるような感じ。
火って、よく考えると何なのだろうね?
気体と考えて良いのだろうか?
とにかく、透けている感じを出したくて、こうなった。

炎が踊っている感じがするだろうか?

(2011.6.13 記)

つづく

  


  

ゆめあわせ始まる


photo by Momo

晶太とマオ合作の看板

5人展が、4日から始まった。
梅雨空を心配したが、前日の搬入日も初日も晴れ!
私が当番の昨日6日も、スカッと晴れて気持ちよかった〜!!
お天気の神様ありがとう。



結局、私は新作が5点と過去の名作?が4点。
それに共通テーマ「わたしの空」で描いた絵を合わせて10点である。

photo by Momo

この「わたしの空」は、5人が空をテーマに自由に描いた縦長の絵を
5枚合わせてひとつの作品にするという試み。
5つの額を陶芸のミクちゃんが作ってくれたのである。
まったく各自で自由に描いたにも関わらず、
初日に合わせてみると、
まるで申し合わせたかのような見事なハーモニーを感じる。



マオさんのコーナーは壁一面作品がちりばめられて、
おもちゃ箱のような楽しさである。

photo by Momo

マオさんが手掛けたアニメーションのファンは多く、
今回、お仕事仲間も含めて、たくさんの方々が詰め掛けている。

モモちゃんのコーナーは、ほのぼの。
「まめ」とか「タネ」とかいろいろ言われている子どもが眠っている。
独特の世界である。
「癒される〜」という声が多し。

シホちゃんは、素直な画風。
花とかネコとか、自分の好きなものを愛おしむように描いたという風。
なんと、あっという間に絵が完売である。
素直って大事なんだね。

ミクちゃんの陶器は、今回は花器である。
他のイラストレーションとの調和を意識して、
額のように「四角く切り取った風景」をテーマとして一輪挿しなどを作ったそうである。
ユニークでおしゃれ。

私のは、次回作となるはずの絵本「コブタカレー」のイメージ画。
コブタが主役でありながら、実は魔女が描きたかったのである。
魔女の絵が3点つづく。
あと、意外に好評なのがガラス絵である。
ガラスに直接(うらから)描いたもの。「サンドイッチ」の初期の少女である。


小学生が撮ってくれた写真

絵本「あたしのサンドイッチ」も、もちろん置いてます。
サイン入りで即売。限定20册。
すでに半分くらい売れました。



ここのギャラリーの面白さは、
さすが下町というか、近所の人たちがぶらっと寄ってくださる。
学校帰りの小学生も遊びに来るし。
犬の散歩のついでに入って来る人とか。
みんな人なつこいので、楽しくなる。

きょうと明日は、ギャラリーお休み。
私は、10日金曜の夕方から顔を出そうと思います。3時半くらいからかな?
あとは12日日曜の2時すぎから会場におります。

よろしくお願い致します。

(2011.6.7 記)

  


  

「ゆめあわせ」5人展

展覧会のお知らせです。
6月4日より12日まで、千住藝術村ギャラリーにて
おじさん2人と女子3人というフシギな展覧会を開きま〜〜す!

詳細はこちら。

私は、絵本のイメージ画を中心に10点前後、展示する予定です。
ベテランアニメーター、マオさんの名作アニメーションも見られます。
ギャラリーの建物自体も一見の価値ありだし、
あと、まわりの商店街も面白そうで、私も会期中に探検してみたいと思っております。

ぜひぜひ、おいでください。
なお、私は初日の4日(土)と、6日(月)と、最終日12日(日)は会場におります。
よろしくお願い申し上げます。

(2011.5.26 記)

  


  

引っ越し

引っ越しを考えている。
といっても、わが家ではなく、HPの話である。
この「遠い空色のカケラ」は、2003年1月から開始した。
(もう、丸8年にもなるのか!)

前年3月に妻に先立たれ涙にくれていた私が、
このサイトを作ることによって立ち直る兆しを見せ始めた・・。
そういう意味でも、愛着のあるページなのだが。



問題は、パソコンにあった。
このHP制作に使っているのは、6年くらい前に買ったeMacなのだが、
コイツが最近調子が良くなくて、そのうちポシャってしまいそうな感じなのだ。
古いMacの古いソフトで作っているので、
コイツが壊れたら、もう更新出来なくなるのだった・・。

そこで、新しいiMacの方でHPを作れるようにしたいのだ。
しかしながら、
新たにHP制作用ソフトを購入して、また一から勉強して作ることを思うと、気が重いのであった。



そんな折り、友人のK本くんが、
「無料でHPを簡単に作れて公開できるサービスがあるんだよ!」と、教えてくれる。
渡りに船とは、このことだね。

Jimdoのページ http://jp.jimdo.com/

はるほど、これならわざわざソフトを購入する必要もないのか。
さっそく登録して、試しにページを作り始めた。



まずは、HPのタイトルを決める。
タイトルは実に重要でアル。
印象深く、覚え易く、ユーモラスで、つい見たくなるような名前を!
いろんな言葉が頭をぐるぐるかけめぐり・・・
ひとつ決めるだけで、丸一日かかった(笑)。

そして、トップページのデザインを作ってみる。
レイアウトのサンプルがたくさんあって、好きなのを選ぶ。
シンプルでクールなデザインを!
そして画像を変えたり、文字を打ち込んだり、アレンジするだけでどんどん作れる。
意外に簡単なのであった。

どうせなら、内容も一新しようかと思うが、
まだ、どんなものになるのか、自分にも分からない。
「ごくたま」は、続けるべきか否か??
とか、いろいろ悩む。

それにしても、新しいことを始めるのは、ワクワクで楽しい!
今月中に公開できればいいなあと思う。
乞うご期待!!

(2011.4.11 記)

*なお、このHPもなくなるわけではなく、可能な限りはつづけてゆくつもり。
eMacがある限り、がんばります。

  


  

友、遠方より来る

2月25日夕刻、モノレールで天王洲アイルに到着。
期待でどきどきしながらの待ち合わせである。
やや遅れて、T君が現れた。
お互いにしばし見つめ合って約40年ぶりの再会を確かめ、そして思わず握手。
T君、昔の面影そのままで、懐かしい笑顔だ。
「涙出そうや」と彼。
つられて、こっちも目頭が熱くなる。
いつしか私も大阪弁に戻り、天王洲の水辺で話に花が咲いた。

T君とは、小学校6年のクラスで知り合った。
長身でぼ〜〜っとしている私に比べ、彼は小柄ではしっこく、面白い子だった。
卒業して別々の中学校に進んだが、
なぜか、中1の2学期から私の中学校に転校してきて、
なんと同じクラスに入って来て、しかも私の隣の席についた。
以来、中学3年間同じクラス。
同じ美術部でもあった。
(もっとも、彼は途中で野球部に移ったが)

ところが、あまりに仲良くなったため、遠慮がなくなり、
私がいろいろワガママを言ったりして、甘え過ぎてしまう・・・。
そんなことで、3年生の頃には、
T君は私から離れて行ってしまったのである。

私は私で、それに気づきながらも、どうすればいいか分からず、
そのまま、進む高校も違って会うこともなくなった。

高校を卒業した頃だったか、駅でT君とバッタリ出会った。
ホームで5分くらい話をして、
彼が建築関係に進もうとしていることを聞く。
この時も、心の中では彼に謝って仲直りしたいと願っていたのだ。
けれど、言い出す勇気がなくて、そのまま別れてしまった。
それが、最後だった。

数年前、突然、T君からはがきが届く。
なんでも、中学3年のときの担任だったM先生と会ったそうで、
私のことを聞いて、連絡先も教えてもらったそうだ。
その後、メールをやりとりするようになり、
私はメールの中で、ようやく過去のワガママを謝った。
そして、また友達になってくださいと申し出た。
すると彼は、
「とんでもない。久保君は、ずっとずっと友達です」と言ってくれた。
ええ人やなあ。



そして、この度、T君は出張にかこつけて会いに来てくれたのだった。

同じ美術部仲間だったM君も呼んで、3人で銀座で飲んだ。
M君のことは、以前「ごくたま」に書いたことがある。
中学卒業と同時に東京に引っ越して音信不通になり、
大人になって私が東京に来て、ひょんなことから再会を果たした男だ。

3人で、再会を祝して乾杯する!
大した美術部でもなかったが、その中の3人が今や、
T君は一級建築士であり、M君は美術ジャーナリスト、私は絵本作家。
これはちょっと、すごいんとちゃうんか(笑)?

しかし、すごい3人が話している内容は、
「△△ちゃんはきれいやったなあ! なあ?」
「オレは、□□ちゃんが好きやってん」
「オレ、◇◇ちゃんからラブレターもらったことある」
そんな他愛もない恋話である。
どんどん中学時代にタイムスリップして行く。

40年ものブランクがあっても、こんなに心開いて話せることが不思議。
なんてシアワセな夜だろう!

別れ際に、やっぱり握手を交わし、T君は言った。
「ずっと友達!」
私は、うんうんとうなずいた。

(2011.2.26 記)

  


  

旅路

埠頭には 大きな客船 出航のときを待っている

どの国にゆくのだろう?

ぼくと彼女は 陸から手をふる

だれが乗ってるわけでもない

知らない人々に 手をふる

小さくて 顔も見えない人々が 手をふり返す

両手をふりながら なにか英語で叫んでる

気持ちが通じ合い 笑顔がこぼれる

青い空

逆光がまぶしい

何度も何度も 手をふる

ようやく 船は煙りを吐いて 埠頭を離れてゆく

汽笛

さようなら

さようなら 知らない人たち

でも 忘れないよ

どうか すてきな旅を

ゆっくり ゆっくり 遠ざかる

残されたぼくたちは

なぜだか 泣きそうだったよ

(2011.2.19 記)

  


  

Anne of Green Gables

随分と久しぶりに再会したのだが、アン・シャーリィは健在だった。
今回も、思う存分笑わせてもらったり、
『想像の余地がある』ことの大切さを再び教わったりした。



「赤毛のアン」を最初に読んだのは、いつだろう?
たぶん、20代になってからのことのように思う。
書店で、文庫本のカバーイラストのしゃれた風景に引かれて、手に取った。
タイトルだけは知っていて、
名作ならば読んでおくべきかな、とか考えたのだった。

予想外に面白かった。
アンの言葉を、少しだけ引用させて頂く。

『いろいろおぼえることがたくさんあるって考えているのは、すばらしいと思わない?
あたし、生きてることがうれしくなっちゃうの、-----こんなにおもしろい世の中ですもの。
なんでもみんなわかっちゃったら、きっとおもしろ味が半分になるわね?
想像の余地がなくなるんですものね!
だけどあたし、しゃべりすぎる?』
*モンゴメリ作/中村佐喜子訳/角川文庫より

大の男が読むには、ちょっと気恥ずかしいのだが、
実は私もアンのような空想癖があるので、共感を覚えたのである。



次に出会うのが30代。結婚してからである。
映画になった「赤毛のアン」「続・赤毛のアン(アンの青春)」を夫婦ふたりで観た。
いや、正確に書くと、
テレビ映画で「赤毛のアン」を観て、ふたりで気に入ってしまって、
続編を映画館に行って観たのだったと思う。
銀座あたりで観たような気がするが、記憶が定かではない。
笑って泣けて、ロマンスもありで・・・「よかったねえ!」と、ふたりで言い合ったもんだ。

アンを引き取って育てる兄妹のマシュウとマリラが、映画ではキャラクターが際立って素晴らしかった。
特に兄のマシュウは「いぶし銀」の渋さで、道子ちゃん(妻)のお気に入りとなり、
子どもの名前をましゅう(摩周?)にしたがったくらいである(笑)。

それで、道子ちゃんは原作を読んだことがないというので、
本を買ったのであった。



それ以来だから、20年以上経つわけだ。
本を読んでいたら懐かしくて、映画もまた観たくなってくる。
DVDを買おうかな?とか、思ってみたりもする・・・。

でも、映画を観たら、私は泣いてしまうだろう。
冒頭のシーン-----アンとマシューが出会う駅のシーンで、もう涙が溢れてきそうだ。
となりで観ている道子ちゃんの声が聞こえてきそうだもの。

(2011.2.14 記)

  


  

スローテンポ

「よつばと!」って、知ってます?
つい最近、人にすすめられて出会ったマンガですが。
コレが、めっちゃ面白いんだなあ〜。何度も、プハッと吹き出してしまう。
「よつば」という名前の女のコがいて。
まだ6歳の、天真爛漫無敵元気の女のコ。
このよつばちゃんの毎日の生活を描いているのだけれど。
ただのホームコメディとは、ひと味ちがう。
何が、ちがうか?
百聞は一見にしかず・・どうぞ、自分の目でお確かめください。
こちらから立ち読みが出来ます。

「あははははは・・・なーーー?!」(よつばちゃんのマネ)

何がこんなに笑えるのか? と、よくよく考えてみて・・ハタと気づいた。
「間」である!
「あいだ」じゃなくて、「ま」です。
間の取り方が、絶妙なのでアル。
独特のテンポ。
静止したコマ。
それが、笑いを誘う。
う〜〜〜ん、なんとも不思議だ。

この作品の中の時間の流れは、きわめてゆるやかでアル。
月刊誌に連載なのに、次の回になっても、前回から1日しか経っていなかったりする。
どんだけゆっくりなんだ・・・?
しかし。
そのスローなテンポが心地よい。

そこの忙しいあなた。
たまには、ゆったりと、どうです?

(2011.2.2 記)

  


  

予告

先日、ちょっと遅めの新年会をした。
教育画劇の近藤さんと「ポッチ」の牛窪さんと。
初対面の牛窪さんは、面白さと鋭さを兼ね備えた、いかにもデザイナーさんらしい人だった。
(ちなみに「ポッチ」とは、絵本「ポッチのかんがえてること」である。
前に、この本を見て泣けた話を書いた。)


牛窪さんは、HPに「ポッチ」の制作過程を日記風にまとめて掲載されていて、
これがまた、面白くて何回も笑った。
かつ、なるほど、こんな風にして作っていくんだ〜〜・・と勉強にもなるのだ。
絵本の作り方って、人それぞれ、全然アプローチの仕方が違っていて、興味深い。
ぜひ、ご覧ください。



で、そのときに、近藤さんが「ごくたま」の去年の分が消えてしまったのを惜しんでくださり、
「あたしのサンドイッチ」の制作日記を、ぜひ復活してほしいとのこと。
「きっと、絵本作家をめざしている人たちの参考になると思うんです」

私もうなずいて、
「いや実は、仲間内だけのメールで、サンドイッチの制作日記みたいなものを
ずっと書いていたのがあるんです。50回くらい連載していました。
それをまとめて載せることは可能です。
ただ、かなり本音で書いているので、はずかしい文章もあるかも(笑)」
と答える。
「ぜひ、包み隠さず、本音を書いてください(笑)!」
なんて二人に言われて・・。



そんなわけで!
仲間4、5人しか見れなかった限定の日記「ここだけのサンドイッチ」を近日公開しちゃいます!!
かなり、はずかしいんだけど。
絵本仲間とのメールのやりとりも、リアルに掲載の予定。

まだ、これからまとめるので、時間がかかるかもですが、
どうぞ、ご期待ください。

(2011.2.1 記)

  


  

悩み多きこの頃

え〜と・・ある方から、「ごくたま」があまりにも ごくたま過ぎる! というご指摘がありまして(笑)。
「もっと、ちゃんと更新せい!」という訳でして。
確かに、このままでは「超たま」になりそうなんで、反省します。
なるべく、頑張りまっす!



さて。
昨日も知人の絵本展とかに顔を出しまして、いい絵をいっぱい見ました。
んで、みんな、いい絵を描くよなあ・・と感心するわけです。
そして、ちょっぴりですが、落ち込む。
自分の絵が、どうしようもなく つまらなく思えてしまうのです。

これが、20代の新人ならまだしも、
こんなおじさんになって、いまだに自分の絵に自信がなくて悩むというのが、はずかしい話で。
30年近くもイラストレーターとしてやっているのですが。

自分の絵の何が、どう不満なのかを、人に説明するのがむずかしい。

絵本「あたしのサンドイッチ」を描いているときは、
自分の絵が最高! と思って描いていたし、オレって天才! と思っていた。
けれど、時が経って冷静になるにつれて、
あれれ?
まだまだかも・・?
オレの絵は、こんなもんなのか?
いや、もっともっといい絵が描けるはずではないのか?
まだ修行が足らんぞよ!
とか、思ってしまうのですよ。

あ〜〜〜・・・

なにしろ、私の絵の基本は「マンガ」なのです。(前にも書きましたが、漫画家志望だったので)
だから、絵本の絵になりきれない感じがある。
そこが、弱点かも。
そこを開き直って、マンガで押し通すという手もあるが、
そんな勇気もなくて。

当分、試行錯誤は続くと思われる。
プロらしくないと笑う人は、笑ってくれていい。

晶太は、まだまだ発展途上なのだよ。

(2011.1.27 記)

  


  

メリケンパンチ

ある事柄を人に説明するとき、
なんとか分かってもらおうと一生懸命に言葉を探しているうちに、
自分でも今まで忘れていたことを思い出したり、
思いがけない言葉が勝手に口をついて出て来て、
「あ、オレってこんなこと考えていたんだ?」と自分でびっくりしたり・・・
そういうことってあるよね?

先日、ある人とマンガの話で盛り上がった。
「ゲゲゲの鬼太郎」の話から、昔の貸本屋さんの話になって。
小学生の頃、貸本屋さんでマンガを借りて読んでいた中に、
水木しげるさんや、さいとうたかをさんの初期の作品があったのを覚えている。
・・という話をしているうちに、
忘れていた記憶の箱が開いたのである。

ああ、そうだ!
小さい頃に夢中で読んでいたマンガがあった。
貸本だったけど、大大大好きだった、あのマンガ!
「メリケンパンチ」という題名だった。
作者名はわからない。
日本人が描いたにしてはアメリカンコミック調の絵だったように思う。
初期のミッキーマウスのような絵といえば伝わるだろうか?

登場するのはすべて、擬人化された動物たちである。
主人公は黒いネコで、ボクサーなのだった。
いつも腹ぺこでお金もなくて、ひとりぼっちの大人のネコ。
舞台は、アメリカのギャング時代のような感じ。

くわしい話は覚えていないが、ひとつだけ、
はっきり思い出すシーンがある。
たった一個のコッペパンを買うお金もなくて、腹ぺこでふらふらになって
道を歩いていると、きらっと光るコインが落ちている。
やった、これでパンが食える!
と思って拾ったら、ビールの栓だったという・・・
今思えば、なんともベタなオチなのだが、
子どもの私は、半分笑いながらも主人公がかわいそうで、
泣きそうにもなるのだった。
まるで、チャップリンの喜劇にも通じるようなペーソスである。

お金欲しさにボクシングをやるのだったろうか?
柔らかいまるっこい感じのユーモラスなタッチのマンガなのに、
大人の世界を描いているようなところがあった。
子どもの私は、主人公(彼の名がメリケンパンチだったのかも?)と共に、
泣いたり笑ったり戦ったりしていたのだ。

そうだ!
なんで今まで忘れていたのだろう?
あんなマンガが描きたかった。
「それが、久保さんの原点なんですね?」
そう言われて、すんなり「ああ、そうかも!」と思った。

漫画家を目指すようになり、ひいては絵本作家を志した原点は、
「アトム」でもなく、「国松」でもなく、
これだったのかも。

タイムマシンで、小さかった頃の自分と出会ったような気分。

あんな風に夢中になれる作品を、
私もいつか作れるようになるだろうか?

(2011.1.14 記)

  


  

書き初め2011

  


  

新年早々なだそうそう

昨日、更新の途中で何をどう間違えたのか(?)、ごくたま2010年の分を全部消してしまって・・・
オオモトも消えてしまったんで、どうにも復旧できないのでした。
ああ、なんということだ。

去年ほど大事な年もなかったのに・・・。
「あたしのサンドイッチ」の制作記録も、原画展の楽しい思い出も、みんな消えた。
が〜〜〜ん!

だ、だれか、ページを保存していた奇特な方はいませんか〜??
いるわけないか・・・。

自分のバカさ加減に落ち込む。
きょうはきょうで、柱に思いきりおでこをぶつけたし(泣)。
何やってるんだろ?
今年も晶太は波乱万丈です。



いや、前向きに考えよう!
これはきっと、「過去にしがみつくな」ということなんだ。
過去を振り切って、どんどん前へ進むんだ。

一冊出しただけでは、絵本作家とはいえない。
次々と出していってこそ、胸張って名乗れるのだろう。うんうん。
今年中にぜひとも、一冊!!
と、闘志を燃やす晶太であった。



ところで、私の絵が表紙になりました。
月刊「子どもの本棚」です。ひとつよろしく。
恐竜のデッドヒート(笑)!

(2011.1.2 記)

  


  

明日にかけるおせち

昨日、大晦日に突然、近所のIさんの奥さんS子さんがやって来て、
なんと、おせち料理を置いてった。
重箱入りである!

『さっきまで、お友達が集まって「おせち持ち寄りパーティー」をしていたのよ。
それで、余り物で悪いんだけど、お裾分け!』

というわけで、今夜は正月らしくおせちだ〜〜! わ〜〜い、ありがとう!
さて、実況中継でお伝え致します。
ちなみに、息子は友達と年越しをしたようで、いまだ帰ってきません。
オヤジひとりです。

ビールを用意して、ネットラジオをつけて(70年代オールディーズ)。



まずは、大根のナマスから行きます。
S子さんの手作り。千枚漬けのような、薄くて広い面積のナマス。
うん! ゆず入りでさっぱりして美味しい!
これで、がぜん食欲が増す感じ。

次は、Yさん作という伊達巻きです。いい色してる。
おお、ふんわりで旨い。
へえー、これって巻き簾で巻くんだよね? うまいもんだなあ。

黒豆もある。
身欠きニシン。里芋。
しいたけ、こんにゃく、高野豆腐の煮たの。
噛みしめると、じわ〜〜〜っと味がしみ出す。
レンコンもあった。
星形のにんじんもある。
いやあ・・・どれも、しみじみと旨い。

Tさん作の栗きんとんも頂く。
甘〜〜〜い!
なんだか、贅沢だなあ。みなさん、ありがとう。ビール、ぐびぐび。

この赤いのは・・お、ナマスにスモークサーモンを巻いているのか。
赤と白のコントラストが美しい。おしゃれ。
サイコロみたいなにんじんもあって、かわいい。

こっちの大きいのは、にしんの昆布巻だ。食べでがあるねー。
昆布巻を食べる時にいつも連想するのは、
時代劇の悪代官が女性を手込めにするシーンである。
帯をくるくる解いてゆく・・
「あれー、御無体な・・」
「ふっふっふ」
を思いつつ食べるのである(おバカですいません)。

焼豚もたくさんあるぞ。うれしいなー!

おお!
おりしも、ラジオから「明日に架ける橋」が流れてきた。
サイモンとガーファンクルとおせち、いいねえ。

お正月から、心があったまった。
よ〜〜し、これで今年も、もっともっと頑張れるぞ〜〜!
明日にかけるおせちで、乾杯。

(2011.1.1 記)

*おわび・・・さっき操作をまちがえて、2010年のごくたまを全部消してしまった。ひ〜〜〜(汗)。
いずれ復旧させますが、しばらくお待ちください。

  


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