厄年の憂鬱:懐かしい病気の思い出と老眼

数年前に椎間板ヘルニアになった。長期出張による仕事のつかれ、ディズニーランド日帰り強行、遊び過ぎ?が原因だと思うが整体に通い克服した。最近は適度なウオーキングの効が奏したか、腰痛もあまりない。バイクも乗ってないし、山にも登ってないしね。腰に負担のかかる遊びはほとんどやらなくなったな〜。前は年に数回は起き上がるのもやっとと言うときが結構あったのだが。何れにしても椎間板ヘルニアの痛みに敵うものはないが。再発してくれないことを祈るばかりである。

考えてみると子供の時は扁桃腺を巨大に膨らませよく学校を休んでいた。プールも体が弱いからと3年生までまともに入ることがなかった。泳げるようになったのは4年生になってからだ!と言いながら、よく言うと活発、普通に言うとやんちゃ小僧、悪く言うといたずら小僧だっとということで、小学校の同級生からは「よく石やナイフを頭上に掲げ追いかけられた」と言われる。そうだったかな〜?母方の叔母や従姉も「あなたは小さいころいつも棒をもって歩いていた」と言う事だから、体の弱い、泣き虫のいたずらっ子だったということだ。

子供の頃はどうでも良いとして、会社に入ってから「伝染性単核球症」と言うよくわからない病気になった。普通は子供の頃に発症し、風邪かどうかわからないぐらいの症状でいつの間にか終わってしまう病気との事だが、大人になってしまうとそのよく解らない菌が体内(肝臓)に入り具合が悪くなってしまう。微熱がいつまでたっても治まらないし、咽の具合が悪いなと思って口を開いて鏡を覗くと”これは驚き”、のどの奥が真っ白になっている。炎症を起こし、膿が出ているとのことだが通っていた町医者もはじめ診たときは吃驚していた。病気自体は微熱があるだけで痛いとか、辛いとか無くて抗生物質を飲んで菌を少しづつやっつけ、自然に治るのを待つしかない。しかし肝機能が低下しているためその機能が戻るまで自宅での休養となった。結局3週間くらい会社を休んでしまった。

35歳前後で息子のオタフクを貰った。何だか息子と一緒にほっぺを腫らしてで休んでいたなんて今考えるとほのぼのしていて良いでしょう?
その頃はBMXコースで息子と自転車競走をして顔面からこけたり、綿棒を耳に入れたまま車に乗ってシートベルトをしようとして首を曲げた瞬間ヘッドレストに綿棒がぶつかりそのまま鼓膜を突き破ったり、何だかつまらないことで会社を休むことが多かった。申し訳ない!!ヘルニアになったのもその頃だったな〜

って考えると厄年の今よりひどいことが多かったと言えるのだけれど、やはり厄年はちゃんと準備してましたよ〜前厄の昨年はしっかり”バセドウ病”を準備してくれ本当にありがとうございますですよ!もう何も要りません、って初詣でで拝んでもやって来ました、それは”老眼”です。バセドウ眼病で目、まぶたが腫れていたので見えにくかったり、ピントが合いにくかったり、疲れたりしてんだろうな〜と思っていたけれど、眼科に言わせると立派な老眼だって。

それにしても見えないということがこれまでの人生全然無かったのでちょっとショックが大きい。左右とも1.5以上で生きてきたので見えない人の気持ちなんてわかるはずが無かった。もっとも老眼の今も遠くを見るのは全く問題ないのだが、30cm以内の世界が変わってしまった。この文章を打っている今もちょっと夢見心地である・・・・・・

何しろ仕事で開発している電子部品は年々小さくなり、現在開発中のものは外形サイズが2.0mm×1.6mm×0.5mmでそのガタイの中に1.0mm×0.7mm×0.06mmの水晶の板を入れて完全気密状態でパッケージングするものだから、見えないのは辛い。だいたい目が良くてもちゃんと見えはしないから顕微鏡で見ることになる。そうなってしまえば特に問題ないのだが、その前段階で数を数えたり、顕微鏡にセットしたりするのがたいへんになってきた。だいたいバセドウ病の影響で指先は震えているし、自分はこの仕事のとても向いているとは思えないのだが・・・・・・

何れにしても厄年のプレゼントはこの老眼だけで終わるのか?いや、それだけで済むとは思えない。ホント、体にガタが来ている感じは良くわかる。プチ病気、プチ怪我のうちに摂生し、体をいたわり、程よく鍛え直し、これからの老後に備えなさい!と言う警鐘なのだろうか。

また数年後にこの厄年が懐かしく思い出せると良いな〜と考えてしまう今日この頃である・・・・・・・


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