↑靖幸情報とは関係ありませんのであしからず・・

アルバム発売間近!?君は聞いたか?あの新たな雄叫びを!

「岡村靖幸NOW!?−そして伝説は再び始まる−」


[伝説];もう去年になる・・かの名シングル「セックス」の雄叫びと共に"岡村靖幸"は再びこの世に蘇った。君は聞いたか?新たなる靖幸の雄叫びを!・・ある人は"どうした靖幸?"と戸惑いを隠せないに違いない。 ある人は"変わらないな〜靖幸.."と、安堵と同時に多少の意外性を感じただろう。しかし、やはり彼に変わる人は現れなかった事を再確認したはずだ。彼の音楽無しで過ごしてきた日々のつまらなさに気付いたはずだ。彼は1つのジャンルだ。彼以外の誰もそれを侵すことは出来ない。彼の曲は彼の精神であり、彼その物なのだ。我々はもう待つしかない。例え情勢は変わろうと、我々も"珍味ものの美味さが分かる歳"になっても、"今"という時代にあえて発せられる彼のその都度の"音"から、同じ時代を生きてる幸福をしみじみ噛み締めるのだ。

「真夜中のサイクリング」で僕が思ったこと

第1感想は・・何やらスッキリしない曇り空が浮んだ。今までのどんより真っ黒な雨雲はようやく去り、やがて来るだろう快晴を待ち望んで高まる期待感・・。ジャケットの手を上げてる2名も、決して思いっきり手を伸ばしているわけではない・・ようやく来る光が僅かに見え、思わず無意識に手を上げた・・そんな感じ。でも決してそれは靖幸個人的な葛藤の過程を示してるだけではなく、今は誰しも手放しで喜べる状況ではないのか?景気的にも精神的にも、何かに追われてる、何かが違う・・そして何を信じればいいのか?何が正しいのか?分からない・・はっきり断言できない状況・・。/公式ページでも色んな感想を読むことが出来たけど、僕は素直に素晴らしい曲だと思う。ただこの曲を今までの靖幸の曲の中の何処に位置付ければいいんだろう?とは思う。今までの靖幸には無い曲・・靖幸は何かが変わった。/音的には妙にスッキリしててその前の復帰第1弾シングル"セックス"とは対照的。こうやって聞くとむしろ"セックス"は以前の靖幸を存分に引きずっていて、この曲は真の意味での"復帰第1弾"という気もする。声も確かに変わった。特に僕はカラオケバージョン聞いてて、サビの裏声コーラスとかの声(靖幸本人)が妙に耳に残った・・というちょっと気になった。何とも痛々しい。2番のBメロで声が割れるんだけど、かなり歌い込んでるというか、味も出てるからOKしたんだろうけど、やっぱり痛々しい。随分まだまだ過去を引きずってるのか?そういやコーネリアスのカバーの時も咳き込んでた。ジャニスのような"痛々しい生々しい擦り切れる生き方"的な道を選んだとか?日々を吐露してく音楽を刻んで行くのか?ちょっと心配。/歌詞は実に靖幸らしい表現・内容が戻ってきた。映像の見えるシチュエーション、具体的な描写、"上を向こう"って姿勢・・全てファンに、そして自分自身にも問い掛けてるような"決意表明"ともとれる。"万遍なく出来るだけ祈るよ/・・/そっと屋上に行こうよ/・・/新しいスタイル・スマイルで/・・"以前の絶対的な自信とか、自己愛とかはちょっと見られないけど、これが30代の靖幸素直な気持ち・・か?けれどいつまでも"自転車"に拘る姿勢・・きっとチャリンコ漕いでたあの健気な青春の頃の気持ちは今も変わらずにこの胸の中にある・・丁度あの"Young oh! oh!"の勢いとは対極にある・・アンサーソングともとれる。(そういや靖幸と車の曲って・・車のCMだった"だいすき"とEnaのエンジン音くらいか?・・結局免許は取ったんだよね?以前ラジオで小室さんに"車に乗ったら曲変わるよ"と言われてたけど・・車は買ったの?)/曲的にも妙に落ち着いて、まとまってて、"ネジれたネガティブ思考"とか"屈折した愛"とかは息を潜めてる。雑誌によるとこの曲は"セックス"の作業時に浮んで一気に録ったとか?全く対極にある男心・・曲になるとこうも違うわけです/でもなんで"真夜中"なんだろう?って疑問。真夜中にシャッターにもたれてキスをする・・閉店した夜のデパートの屋上で・・夜の方が人は素直になれる?色んな日々のモロモロを取っ払って素直に語れる?向き合える?日常とは別の冒険が待ってる?そして夜明けを待つ?・・次に"誰かいつもマーガリン潰してる"って歌詞の謎。これに関して、この"潰れたマーガリン"ってのは"青春時代のほろ苦い想い出"みたいなもんじゃないか?と。そんなこんなを通り超えて走ってく・・靖幸はいつまでも"男の健気さ"がテーマなのだ。靖幸には珍しくカラオケバージョンも収録されてます。みんなで真夜中のサイクリングに漕ぎ出そうよ。
c/w「なごり雪」が物語るもの

なんで「なごり雪?」って驚いた人も多いだろう。春だし、卒業シーズンからもずれてるし・・。僕が思うに、別に曲はなんでも良かったのでは?と思う。コンサートでは靖幸独特の選曲による名曲を結構多数カバーしてる歴があって、例えばカンペ見ながら歌った「飾りじゃないのよ涙は」(このカンペはきっと"照れ隠し"か"あの頃の曲を1つ"って"カラオケ"って演出だと思う)、甘えた口調で熱唱した「年下の男の子」、ジャクソンファイブの「I'll Be There」、聖子ちゃんメドレー(初期の楽曲ばかり)・・他に「いとしのエリー」・「ロマンス」・「My Revolution」・「ジョージア・オン・マイ・マインド」・「愛の才能」・「君が代」等々々・・ま、他にももっと色々マニアックなのも出来るんだろうけど、あえてこの結構"代表的な曲"ばかりで突くというこのニクさ?!・・サービス精神というか単に本人が歌いたかっただけ?とか・・。聖子ちゃんファンだってのは有名で、かつてNHK「ジャストポップアップ」で披露した"SWEET MEMORIES"の弾き語りは伝説になってる。"セックス"発売時に出た"クイックジャパン"という雑誌では"最近山口百恵・中森明菜等を聞いてます"と証言するスタッフがいた。"山口百恵"ってのが意外だったけど・・そう言われれば確かモロ百恵ちゃん世代かも・・。"不良っぽい女の子"にはまっているのか?懐古趣味傾向にあるのか?"おっ!新たな発見!"とか言って・・そういえばこの間公式ページに"石立鉄男ドラマ"の情報求む!とのマネージャー直々の書き込みが・・。オヤジ化してるのか?!靖幸〜。何処へ行くんだ?靖幸〜。
僕ら世代にとって"歌謡曲"ってのは抜け切らないもので、街に出れば知らず知らずに流れてるし、"想い出"ってのと一緒にその"独特の音楽性"も結構入ってしまっている。例えば洋楽等の"美味しい所"だけを上手く抽出し、それを聞きやすくパターン化・簡略化し、耳に馴染むメロディー・歌詞を乗せ、大多数の人に受け入れられるように巧みに仕上げられた"歌謡曲"の持つ影響力ってのは相当の物がある。"売る為"に磨かれていったそれらの楽曲は、逆に独特の"日本オリジナル音楽"として成長し、またそれ等が逆にロック・ニューミュージックに受け入れられて変化する・・今活躍するミュージシャンの殆どが何かしらの影響を受けているであろう色んな要素が絡まりあって成長した"お化け音楽"だ。で、靖幸もやはりその辺りの影響から出て来る"メロディアスなもの"=良質のポップスとしての"日本歌謡曲"の影響とその他ジャンルの折り合いに戸惑ってる節もあるらしい。彼はかつてから"やはりポップスというジャンルに拘る"と宣言している。一般に"J-POPS"とククられる、ま、何でもありのフィールドに、世間的にも一応靖幸は置かれてる。メロディアスで、あらゆるジャンルの要素をニクイ程度に取り入れ・・"賢い音楽"・・いや、そういった概念ももう古いのかもしれない。"J−POP"なんてククってることがもう古いのかも。よくCD新譜紹介とかでも"ジャンル=J−POP"とジャンル分けされてる場合が多い。これは始めてそのアーティストを聞く人への"目安"なんだろうけど、特に僕個人として、"靖幸"もそこに含まれてる事に以前から"違和感"があった。もう靖幸は、靖幸という1ジャンルなんじゃないか?区分けなんて要らない、意味が無いのだ。
でなんで今回「なごり雪」だったか?しかも「なごり雪」は言わば"フォーク"だ(一般受けしたという点では"歌謡曲"にも入るかも)。たまたま揃ったメンバーが以前のツアーで「なごり雪」をカバーしたメンバーだった?レコーディングした当時にはまってた?・・憶測は色々出来る。しかしその理由の1つにその"歌謡曲"へのオマージュみたいのがあったんじゃないか?と思う。"歌謡曲の魅力・素晴らしさは否定できない自分"てものの再確認みたいな。"過ぎ去った青春"へのオマージュかもしれない。「真夜中のサイクリング」という名曲「Young oh!oh!」の続編のような、"あの頃のようにはもうハシャゲナイけど"って・・。それに対して「なごり雪」ってのはあの当時のリアルタイムな"音"であって・・。青春の幻想の中でまださ迷ってる自分がいるとか、青春の偉大さを噛み締めてるとか・・。ただ、他人の曲のカバーをCD化するってのは始めてで、その辺りね。靖幸版「なごり雪」を果たして"CD=反永久に残す"ことに意味があったのか?・・って。後々"靖幸ベスト"なる物が出た時、靖幸「なごり雪」は入るのか?って。ま、その辺りの"拘り"みたいのが取れたのかもしれないですね。"今やりたい事をやる・残す"って姿勢かもしれないし。音楽ってそんなに硬いもんでもないしね。

シングル「FRAGILE−HANDLE WITH CARE」に関する個人的意見

川本真琴の4/26発売のシングルである。作曲は"磯野栄太郎"・・11PMというかつての名深夜番組に出て来る人物から拝借したらしく、実は靖幸だとバレバレらしい・・。何で仮名なのか?もう"靖幸プロデュース"という冠は必要ないから?真琴さんの世界を尊重する為?新たな方向性だから?自立?コラボレーションだから?・・?で、真琴さんのHPには"FRAGILEレコーディング日記"という興味深いページがある。それによるとこの曲と真琴さんが出会ったのは"1999年X月X日、磯野栄太郎宅"とある。ここ最近の噂では、最近の靖幸はかなりオープンで、自室にミュージシャンを呼ぶことが多々あるらしい。デビュー以前からの親友という"吉川晃二"さんは雑誌インタビューで"部屋が汚かった"と証言しているし、"スガシカオ"氏は"デモテープが沢山入った紙袋を幾つか見かけた"と証言している。でもさすがに"レディー"である真琴さんを部屋に招待する時は、部屋を掃除していたであろうと想像する。
そしてそこで真琴は "磯野氏がギターで弾き語るいくつかの楽曲の中で「FRAGILE」の原曲となるバラードに着目した"という。ほー、他人向けの曲をいくつか作ってるらしい。オファーがあってから作ったのか?それとも真琴さんがたまたまふらっと訪れた時にたまたまあったものか?・・この曲は磯野氏が"以前友達の結婚式の時に唄った曲"なのだそうだ。結婚式に出てるのか・・。人付き合いもちゃんとしているようだ!?そこで例によって即興に近い状態で歌ったものをテープに録っておいたのか?ちゃんと作り込んでから式で披露したのか?幸せなカップル・・。ただ、その原曲には後の"サビ"となる部分が無く、駒沢某レコーディングスタジオでその部分を作ったらしい。 確かに曲を聞いてるとA・Bメロで十分曲になってるし、確かに靖幸節(名曲"はじめて"に近いか?)だ。他人への曲はスラスラできるのね・・元の歌詞ってどんなだったんだろう?無難に"結婚おめでと〜"かな?・・そしてその後、曲後半の"5〜6分以上に及ぶコーラス部分"を海外で録音してこの10分以上に及ぶ大曲は完成したらしい。確かにこの盛り上がり方は尋常じゃない。ただ・・ザビで"真っ直ぐ歩くことに、ぼくはとまどってる"と歌ってるように、この曲は川本真琴という歌手の今後の"1方向"であり、今後ヒョンなことでどんどん横に曲がってっちゃうのかもしれないし、その都度の音を辿って行くのかもしれないし・・いや、どうも"確立"はしてない"1つの岐路"に位置する曲だと言えるかもしれない。

「ある噂−"靖幸弾き語り集"が出るって?」

最近改めてシングル「チャームポイント」のc/w"ハッピーウェディング"にヤラれている。発売当時は曲の内容があまりに"痛すぎて・辛くて"、名曲「チャームポイント」の姿勢と対極過ぎて、正直敬遠していた。でも改めてこの曲だけ聞くと"凄い"のね。この"音・プレイ"!!歌詞もリアル過ぎて"一体誰の事を歌ってるのか?今度の恋人はニュースレポーターなのか?それとも架空の設定なのか?"とかって勝手に憶測しちゃって・・。"歌詞が書けなかった"って所以が痛いほど分かる内容で。靖幸のボーカルも泣けるし極上の"粘りとタメとツヤとシャウト"を効かせてます。本当の叫びをこの1曲に込めたようで・・ホントはこういう辛い曲は発表したくない・靖幸ワールドには入れたくなかった気もします。でもこれは"真実"なんだし、何しろパワーのある曲です。これをキッカケに靖幸の"アコースティックな部分"を聞いていきました。やっぱり天才は"技"には頼らない。そして端々に飛び散るオリジナリティー。名ギタープレイヤーは沢山いますが、曲="アイディア"であり、伝わるのは"魂・精気"であり、それは誰にも譲れない"その人のプレー"なのです。
では果たして"弾き語り集"は出るのか?・・それは何とも言えないので"出る"と仮定しての個人的意見−どういう意味を持つか?辺りを考えます。デジタルを駆使したギッチギチの靖幸サウンドもやはり大好きで、"セックス"もCDが擦り切れるほどに聞いたし(こんなに同じ曲何度も聞いて飽きなかったのはホント珍しい)、「禁じられた生きがい」の不思議な濃密な世界も、やはりある程度"行き着いた者"の音でした。"音"に関して、靖幸はどんどん突き詰めていってるしグルグル変化していってます。1枚1枚でこれ程コンセプトが違うアーティストってのも珍しい・・それ程彼は"今に留まらない"・"一所で妥協しない・満足しない"自分に厳しいアーティストです。これはある意味危険だし、商業音楽的にはキツイものがありますが、もう"見てる姿勢・方向"が違うのです。僕等が彼を追い求めるのも、彼のファンである事に誇りを感じられるのも、そういった辺りに所以するのです。彼が迷っていたのは"どこに行けばいいんだろう?"ではなくて"何を歌えばいいのか=何の為に歌うか?"って根本的部分だったのでしょう。"好きだ、I love you,baby"だけ歌ってりゃイイやって無難な歌手達とは違って、"僕が歌える事、歌ってる意味"ってのをその都度考える"一世一代アーティスト"なのです。 だから変化する彼に"着いてく者は着いて行く"でいいんです。
で、もしそういった物が出るならば、やはり色々混じったのは個人的にイヤで、もしこの渋い"アコースティック路線"を貫くなら、"1企画"としては是非聞いてみたい。シングル「チャーム・・」のc/wのこの曲の凄さが、思いの他"人気上位"には上がってこないであろう理由はこの"混ざり"にあると思う。あんなにポップに完成されたシングル曲の間に、ポツンとシンプルな重いアコギの曲を挟む・・最近のシングルでは何故か殆どがこのパターン・・この"落差・2つの方向性"の間を靖幸は今行ったり来たりしているのか?でももし実現するとしても、こんな重い曲ばかりじゃ・・疲れるな。ピーチクリスマスのc/wの軽快なアコギ版も入れるか?・・靖幸公式ページの"靖幸Voice"って最近の私的な曲が数曲聞けるコーナーで、ある時イキナリ"4畳半フォーク"が披露され、"あれっ?靖幸そっちに行っちゃうの?"って面食らった人も多いと思う。でもこれ等の曲は勿論"製品"ではないんだし、いっそ始めから"アイドルの生声プレゼント"みたいな意味合いの物だと思うです。だから決して"フォークに転向"なんて判断するのは早とちりだし、そもそも靖幸の曲は"フォーク"とかってもはやあるジャンルに位置付けちゃうようなもんじゃないし。そしてコンサートでやる"即興・弾き語り"ともまた性格が違う物で、コンサートはやはり"アーティスト魂"が最も炸裂してる状態でしかも大多数に"見せてる・見られてる"状態。例えそれが"ダジャレ・ご当地ソング"であろうと、あれは"笑わせてる"んではなくて、あの舞台上での"狂気"的な部分との背中合わせで生まれる・味わう独特の物であって。今回噂の"弾き語り集"については、もしやこういったコンサートでの"即興集では?"との意見も出ている。それはそれで面白いしぜひ聞きたいけど、それらはあくまでその場その場で片付く"一過性"の"その場だけで意味のある物"で。やっぱり聞きたいのは靖幸の内面を曝け出し、強烈に切り裂く靖幸ギターと、ネチネチベトベトの靖幸の、靖幸による、靖幸ならではの靖幸節炸裂の"弾き語り集"だな。・・勿論正規の新アルバムに期待しつつ・・なんですが・・。

あーッ、それにしてもアルバムが楽しみだ〜。「セックス」・「ハレンチ」・「真夜中のサイクリング」は入るとして・・。ならアルバム全体のバランス考えると"超ダンサブルな曲"・"せっくすよりもっと濃いディープな曲"・"壮大で個人的に展開してくバラード"・"ダラダラ私的に漂うの"とかいかがでしょう?そしてc/wのアコースティックな数々はどう消化されるのか?発売日Xデーは例によってX月14or13日か?ジャケットに靖幸御大の姿は拝めるのか?今度はどうやって、どの方向から僕らを昇天させてくれるのか?新たな、誰も聞いた事のないものは生まれるのか?FFやドラクエに勝つか?日本の音楽シーンは大きく前進するのか?世界進出は?それに伴ったコンサートは?靖幸節は炸裂か?大物とのコラボレーションとかあるの?歌詞は出来たか?21世紀に靖幸は何を歌うのか?イキ過ぎちゃって訳分からないもんじゃないのか?靖幸は前を向いてるのか?後ろを向いてるのか?また僕らに、興奮で眠れない夜を過ごさせるのか?・・妄想は広がるばかり・・
('00.7.9;初版)
ご意見ご感想はこちらへ〜