このページでは、私が伊豆で見たこと、聞いたこと、感じたことを雑然と気の向くまま書き留めておこうと思っています。四季折々に変る伊豆の情景や人々の暮らしなどのつれづれとした雑感です。  

いつの間にか)

今年も夏休みの季節になってしまった。今年も、生徒の合宿やらユニットの合宿、友人たち、弟たちなどなど、ふだんはノンビリとした時間の流れるこの場所がにわかに原宿や渋谷のような賑わいになる。おかげで、昨年同様野菜の収穫にはどうにか間に合ったのだが、野菜の出来がどうも昨年ほどではない。栄養不足が根本的な原因なのだろうが、毎日手入れのできないもどかしさで、「野菜さんゴメンナサイ」とあやまりながらも、適度にオイシクいただいている。

 
 
     

 


夏休み)

伊豆で久しぶりにゆっくりとした時間を過ごす。今回は、入れ代わりにいろんな人たちが訪れてきたが、最初の数日間は、赤坂のノベンバー・イレブンスのシェフ鹿毛さんも一緒。私と二人でいろんな料理を楽しんだ。特に、庭の畑の作物(ジャガイモ、ナス、キュウリ、トマト、シソ、シュンギク、スベリヒユなど)も駆使してひと味違った料理を楽しむことができ、ベランダで海を見ながらの食事は格別の味わいだった。食事をしている最中にクワガタが飛び込んでくる風景も、都会のオープンテラスでは絶対に味わうことはできない(もちろん、これだけの大きな海を見ながらの食事も無理だろうし)。
芝生の雑草取りしていて、鹿毛さんが、「その草、食べられますよ」と言って、教えてくれたのがスベリヒユという草。葉と幹の部分を食べるのだが、粘り気のある身は、ちょうどジュンサイのような味。酢のもの、おひたしにして食べたが、けっこう美味。「うん、これはいいことを教わった」と思った。そこら辺にある雑草でも、食べられるものがけっこうあるのだなと感心する。でも、考えてみたら、西洋料理で使うローズマリー、セージ、バジルなどのハーブの類いも、ヨーロッパではそこら辺に生えている雑草の一種。日本のオオバとたいして変わらない。オオバが健康にいいと最近TVで盛んに言っているが、オオバは、この伊豆の庭には捨てるほど生えている。本当に捨てるのはもったいないけれども、全部食べるわけにもいかない。何かもっと違う食べ方を工夫しなければ.....。

   

 

ガーデニング)

 ガーデニングというか、畑も含めた全体的なガーデニングを少しずつ楽しんでいる。斜面の庭をどうやったら庭らしくできるのかを考えて出した結論が、段々畑。そんなもの、考えた末の結論にしてはたいしたことないなと思われるかもしれないが、これが実際にやるとけっこう大変な作業。伊豆という土地は半島全体が隆起した山のようなところなので、平たんな土地は極端に少ない。私の家も傾斜面に立っているので、庭の大半は坂になっている。そこにそのまま花を植えたり木と植えたりしていくのは作業的にも、見た感じもあまり好ましくない(まあ、見た感じだけだったら、ある程度OKかもしれないが)。今のところ、段々が三段ある。一番上は芝生。二段目に畑。一番下の三段目には、枇杷の木、夏みかん、カエデ、サルスベリなどの木を植えている。その畑で、そろそろ収穫が採れ始めている。まず最初にジャガイモ。十個ばかし採って早速バーベキューしてバターで食べてみたが格別のおいしさ。まあ、自分で育てたことが必要以上に味をおいしく感じさせているのだろうが....。後は、トマト、ナス、カボチャ、ズキーニ、スイカ、春菊などが植えられているので、うまくいけばそれらの食材を使ってこれからいろんな料理が作れるようになってくるだろう。来年は、ブドウも作ってみようと思っている。元来、トマトやブドウはそれほど肥沃な土地でなくても育つ丈夫な植物。でも、伊豆の唯一の難点(長所でもあるのだが)はやたら虫や鳥が多いこと。今はどんな田舎でもカブトムシやクワガタは言うに及ばずいろんな虫が減っている。でも、伊豆は、傾斜地が多く田んぼが作りにくいので、必然的に農薬を使うような農業があまりない。だから、伊豆は虫や鳥が豊富だ。となると、ガーデニングの大敵は虫や鳥(たまにタヌキ)ということにもなってくる。そう言えば、庭にあるラズベリーの木になる実を、私はまだ一度も食べたことがない。私の口に入る前にすべて鳥たちの胃におさまってしまうからだ。(2004.6.6)

 


鹿)

 後にも先にも私が野生のシカを見たのは、アメリカのイリノイ州に住んでいた時と、今回の伊豆の家の近くとの2回だけだ。つい最近私が野生のシカを目撃したのは、夜中の3時頃。ということは、もうほとんど明け方近くなのだが、私が東京を深夜0時過ぎに出発して、家にそろそろ到着するという時に、旧135号線の途中で目撃した。ふだんでも車の通りの少ない旧道に、この時間、車はほとんど通らない。そのことに安心してシカは道の脇まで降りてきていたのだろう。ちょうど谷のようになっている辺りに彼女(?カワイイからそう見えたけど、もちろん性別はわからない。笑)はたたずんでいた。でも、シカは元来が怖がりな性格なので、車のライトに驚きすぐに姿を消してしまったが、こんな人里までシカが降りてきているということは、エサに困っているのかナ?という思いが募る。最近は、開発で本来は山の中に住む動物が人家まで降りてきてトラブルのタネになっているという話しも時折聞くが、天城山のふもとの私の家付近にもそんな状況があるのだろうか。野生のリスやタヌキは家の近くで見かけるが、シカは初めてだったので、多少興奮した一日ではあった。(2004.5.14)


 ミミズ)

 今、東京の家がリフォームの最中ということもあって、この夏はいつも以上にこちらで過ごす時間が多くなっている。ただ、この時期は夏休み中で一番人出の多い時期なので、どこに行っても伊豆高原の街(街かナ?)は大勢の観光客でにぎわっている。お盆の真最中の13、14日など、駅前のスーパーは満員電車並みの人出で、「この人たちは一体どこから湧いて来たのか?」と思うほど。まあ、それでもその賑わいを逃れて我が家に辿り着くと、それとはうって変わってまったくの静寂が辺りを包んでいる。夜に聞こえる物音といったら、遠くの海の上を走る釣り舟から聞こえてくる「ボーッ」という霧笛の音と、いち早く鳴き始めた秋の虫たちの声だけ。風向きによっては、時折、海岸の岩にくだける波の音も聞こえてくることもあるが......。
 そんな毎日にも少しずついろんな発見がある。昨日庭を掃除していたら、たまった枯れ葉の下から大きなミミズ(体長15センチから20センチくらいはある)が数匹飛び出してきた。たまった枯れ葉はやがて堆肥になりそして土に帰っていくのだが、そういった土には本当にたくさんの栄養分があって、その栄養分はこうしたミミズが作っているのかナ?としばしそのミミズたちを眺めてしまった。ただ、それにしても、このミミズたちは一体どこからやってきたのだろうか?まさか、枯れ葉の下から自然にわいてくるわけもないのだが(コンクリートの駐車場の上にたまった枯れ葉なので)。(2003.8.19)


 

 カブト虫のいる風景)

伊豆にはカブト虫やクワガタがやたらと多い。いや、虫全般が多いと思う。富山や埼玉の農村地帯の人に聞いても、最近はカブト虫やクワガタなどを見る機会が滅法少ないと言う。多分、理由は一つ。伊豆には田んぼが少ないからだ。伊豆の地形はそのほとんどが小高い山というか丘陵地帯。海からすぐに火山でできた土地が隆起しているために平らな土地はほんの数えるほどしかない。それゆえ、田んぼは作りにくい。段々畑というのがあるが、そこではそれほど大規模な畑は作りにくいだろう。ミカン畑やせいぜいが茶畑ぐらいだろうか。そんな地形が幸いしているのだろう。伊豆には、本当に多くの虫が棲息している。とんでもなく大きなコオロギが家の中に出没して時々ビックリする時もある。夜、家の窓の明かりをめがけて飛んでくるたくさんの虫たち。その中にいつもカブト虫やクワガタがいる。クワガタはまだ俊敏で利口なのだが、カブト虫はどう考えても利口そうには見えない。そこに何もないと思って大きなベランダの窓ガラスめがけて飛び込んでくると必ず透明な障壁にぶち当たる。結果、はじかれて腹を上に向けてひっくり返ることになる。足をバタバタとさせ必死に起き上がろうとするがどうにも具合が悪い。最悪翌朝までその状態から脱することができずに命を落としているかわいそうなカブト虫を何匹も目撃する。それでも、ツノのあるオスのカブト虫は起き上がることができるのだが、ずんぐりむっくりのメスのカブト虫はそのまま絶命するケースがほとんどだ。カブト虫のために家の明かりを消す、というわけにもいかない。この光景をのどかと言うのか、悲惨というのか私にはよくわからない。
(2003.8.3)

(オス、メスつがいのカブト虫、ブーゲンビリア、根付いてくれた芝)


久しぶりの伊豆)


今年の正月に愛猫のシューシューが具合を悪くして以来、伊豆の家に来ることがほとんどなかった。というよりは、彼女(シューシュー)の世話で来れなかったという方が正しいだろう。一時は、彼女と一緒に引きこもりのような状態がしばらく続いていたが、彼女も23才というよる年並には勝てなかった。とうとう4月20日に息を引きとってしまった。老猫だったために伊豆への長旅もできず、とうとう最後まで伊豆の家に足を踏み入れることはなかった。せめてもと、遺骨と一緒に伊豆の家を久しぶりに訪れる。
もう5月に入っていたために、回りもすっかり新緑。冬の間の澄み切った空とは対照的に、春の空は霞みが多く、伊豆の島々もほとんど見えない。ただ朝日だけはどんな時も健在で、夜明けの東の空は、満月の夜と同じぐらい美しい。白々明ける朝の5時頃の空をウグイスの声と共に久しぶりに満喫した。
日中は、前々から考えていた芝生貼りに精を出したが、果たしてちゃんと根付いてくれるのやら。幸い、この辺りでは芝生の値段がとても安い。6帖分ぐらい買ってきても2千円ちょっと。まあ、それでも飼料代とか水はけをよくするための砂代とかを合わせればそこそこの値段にはなるのだが、それでもそれほど高価なものにはつかない。もうすぐバーベキューのシーズンなので、友人たちが来る頃には、この芝生の上でもバーベキューが楽しめるぐらいになっていてくれればと願うのだが、果たしてどうなることやら。

 

 


愛想なし)

温暖な伊豆の気候のせいかまだ紅葉にはちょっと早い。でも、ちょっと買い物がてら修善寺の方まで足を伸ばす。伊豆という地形が海岸から急に切り立っている半島のせいか、海から遠い修善寺と伊豆高原の辺りではずいぶんと景色が違う。友人が清里に家を持っているが、かなりその感じに近い。清里や軽井沢ならもう紅葉真っ盛りの頃なのだろうか?ほんの少し紅く色づいた葉に見とれていたらすっかり山々にかかっていた太陽が沈み、肌寒い風が吹き下ろしてきた。夕御飯をどこで食べようか迷っていると、ちょうど目の前にひなびた看板の定食屋さん風の建物が目に入る。こういうあまり綺麗でない風体の食べ物屋はアタリのことが多いが、そのものズバリ。てんぷらと刺身のついた和定食なるものを注文するが、かなりイケル味。しかも、味噌汁がうまい。これで千円はかなりお得という感じで何か気分がよくなってくる。でも、伊豆の人の一般的な気性なのか、どの店の人もあまり愛想はよくない。かと言って、別につっけんどんというわけでもない。単に、あまりお愛想笑いをしないというだけなのだが、よくよく話しかけてみると、人柄はとてもよかったりする。要するに、この辺りの人たちはあまりあくせくしていないということなのか。お愛想だけよくて、高くてまずいモノを食べさせられるよりはよっぽどイイ。帰り道、平べったく横に広がる房総半島の上に、赤い半月がチョコンと顔を出している風景が妙に心地よかった。(2002.10.27)

遠景)

 伊豆の家ができてからかれこれ半年以上が過ぎて、冬、春、夏という季節を体験したことになる。都会に住んでいると、季節を感じるものは当然限定されてしまう。私の場合、匂い(これも、草花の匂い以外に、風の匂いというのもあるが)で季節を感じることが一番多いのだけれども、伊豆の家から感じる季節は、それよりも窓から見える海や海の向こうの島々の風景だったりする。確かに、冬の空はくっきりとしていて本当に遠くの島々までハッキリと見ることができる。八丈島や三宅島すらはっきり視界におさめることができる。しかし、春や夏には、天候そのものよりも全体のガスの影響で、遠景はよっぽど運がよくない限り見えないことが多い。ただ、それでも夜は別だ。もちろん、夜の海に見えるのは明かりしかないのだが、海に浮かぶ漁船の明かりや遠くの島々の明かりは日々変る。「あ、あそこに動いているのは車かナ?」なんていう光りの点滅や、「いや、あれはイカ釣り船の灯だろう」なんていう楽しみが夜にはある。大体、水平線が見える風景そのものが都会では到底考えられないことだが(この場合は、地平線か?)、きっとこの遠くの景色を眺めていればこの悪い視力も回復するに違いないと思っていたけれども、何せ、たまにしか眺めない遠景ではその効力もあまりないのかナ?(2002.9.16)

 

憧れの(?)沼津ナンバー

友人の作曲家の武井ファミリーがやってきた。エンジニアの富田くんも一緒に参加した週末。久しぶりの観光を楽しむ。地面すれすれを走り、今にも飛び下りてしまいそうになるロープウェイに乗り大室山に行く。いかにも火山の噴火で出来ましたと言わんばかりのカルデラの底の周りを一周するトレッキングを武井くんの子供たちと一緒に楽しみ多少息を切らす(けっこうヤバイかも?)。中間地点の頂上附近に三角点という標が立っていた。そこには、国土地理院が作ったという説明文が載っていたが、これがまったく意味不明の文章。最後まで丹念に読んでも、三角点というものが一体何を意味しているものなのか私にはまったく理解できなかった(役人の作る文章なんてこんなモノなのだろう)。
帰りに、馴染みになっている民宿で夕食をみんなで食べようと予約する。いつもだったら、ホントにのんびりとオイシイ魚とごはんをゆっくりと味わえるはずなのに、この日はまったく違っていた。店の人によれば、予期せぬ泊まり客が十数人も押し寄せたために、調理場はテンテコ舞い。私たちの食事は一体いつ来るの?という感じの扱いで多少は腹をたてたものの、店のオバサンの屈託のない笑顔を見るとそれほど怒れない。伊豆の人たちは、元来がのんびりしている。東京に近いわりには、東京に対する妙な対抗意識もないし、温暖な気候とすべてのモノがほどよく調和している環境のせいか、本当に住民はノンビリしている。伊豆半島沿いに走る二つの国道も、目の前に沼津ナンバーがいたらもう覚悟を決めるしかない。あくまでもゆったりと走る彼らの車を絶対に追いこすことはできないからだ。そんな時思う。「私も沼津ナンバーの車が欲しい」。これさえあれば、どんなにノンビリした走りもそれだけで許されるからだ。(2002.9.8)

リス)

最近は、家の周りにいる鳥や動物たちの存在が音で判断できるようになってきた。そして、彼らの生活形態や生活時間帯までも。夕方によく家の周りに現れるのがリスたち。おそらく台湾リスと思われる、しっぽの比較的大きなリスたちがエサの木の実などを求めてやってくる。彼ら(彼女ら?)は、必ずカップルか家族でやってくるので、その行動は意外とハデで簡単に見つけられる。そして、その音もかなりけたたましい。木の枝から枝で飛び移る時にもカサカサと大きな音をたてるが、彼らの鳴き声もなかなかどうして立派(?)なものだ。まるで、まな板の上で包丁をカタカタさせる音とか歯ぎしりのような激しい連続音がそこら中にこだまする。最初、慣れないうちは一体何ごと?とちょっとしたパニック映画のようになる。でも、彼らの姿を見ると、次第に心が和みいつの間にか平和な気分になるから不思議だ。ひょっとしたら、家の庭に植えたブルーベリーの実をすべて食べ尽してしまったのも、実は鳥たちではなく、彼らだったのかもしれないと最近思うようになってきた。(2002.8.27)

 花火大会)

夏と言えば花火で、私は、毎年熱海の花火大会は欠かさず行っている。というのも、熱海の花火大会は、他の場所と違い、ひと夏に6回もあるので、都合をつけやすいからだ。バーベキューからの帰り道でも偶然見てしまったのだが、ここの花火は、海の上の堤防から発射されるので、かなり豪快な感じを受ける。会場のアナウンスを聞いていると、大体4部ぐらいの構成になっていて、だんだんとクライマックスを作り、最後の4部の終わりでは、鮮烈な終わり方をするので、いかにも「終わった!」と実感できるのがイイ。つまり、ちゃんと満足感、満腹感を与えてくれるのがいい。日時は忘れてしまったが、8月の終わりに最後の花火があり、その時に街道祭りというのを熱海のメイン・ストリートでやる。いわゆる旅館街ではなく、商店街を何種類のグループが衣裳やコンセプトを競って踊り歩くのだが、そのほとんどは地元の商店街や旅館、地域住民の人たちだ。でも、それがけっこう和めるし、しかも、それなりに派手なので、私はこの祭りも楽しみにしている。今年は、見れるかどうかわからないが、これが近づくと夏も終わりという気がする(2002.8.5)。

 
   

 

夏休み)

 この夏初めてのバーベキュー。伊豆の自宅前の玄関先で行う。私の家の前の駐車場は、車が5、6台止まれるぐらいのスペースがあるので、バーベキューにはうってつけの空間だ。子供3人、大人9人というメンバーで行ったが、ゲストが早い到着の人と遅い到着の人で7時間ぐらいの時差があったので、宴は、夜の9時ぐらいまで続いた。
一通り片付けが終わった後、今度はバルコニーに場所を移動して、ほぼ満月に近い(満月は2日前だった)月が煌々と照らす海面の幻想的な風景を肴にワインを飲み始める。すっかり、大人の時間にもかかわらず、さすが夏休み。子供たちは、これで大丈夫なの?と大人が心配するほど、ハシャギまくる。2家族の子供たちは、すっかり意気投合しているのはいいが、これでは別れがツライのでは?と思ったら、案の定、翌日は、お互いにションボリした様子の子供たち。大人になると、こういう素直な反応なかなかできないものだ。
夏休みというのは、ある意味、大人が子供時代を思い出せる貴重な時期でもあるのかもしれない。(2002.7.27/28)

 

気候の移り変わり)

紫陽花の季節も終わり、周りの海岸はすっかり夏の行楽客で賑わい始めている。まだ、梅雨が完全に終わっていないし、子供たちの夏休み前なので、家族客でごったがえすという感じにはまだなっていないが、それでも若いカップルやサーファーが最近やけに目立つなという雰囲気である。しかし、とんでもないものに見舞われた。台風。
TVもラジオもない家なので、天気の情報やニュースがよくわからない。天気が悪そうだということは、雲の動きや気圧計をみればすぐにわかるのだが、今台風の進路がどうなっているかということまでは読み切れない。おかげで、台風の直撃を、「これは台風なのか、それとも、ただ単に、台風の進路に近いだけなのか?」ということまではわからず、台風の脅威を思いきり体験するハメになった。ふだんでも、風はけっこう強い場所に家が建っている。ちょっとした山の中腹なので、天気の移り変わりは平地よりは激しい。その環境に対する「慣れ」が災いしたのか、今回の台風、ちょっと甘くみたのかもしれない。一時は、家が壊れてしまうのでは?と本気で心配したが、事なきを得た。
でも、台風一過の空と海は、いつもの伊豆の情景。本当に心休まる。自然の安らぎと恐怖をいっぺんに体験した梅雨の断末魔(?)だったのかナ?(2002.7.17)

 山紫陽花)

6月から7月にかけて伊豆の山あいはいっせいに山紫陽花の紫の花があちこちで見られる。庭に咲いているアジサイと違って、あまり花びらが密集していないので、とっても素朴な感じがするし、木の枝から下に垂れているような風情で咲くために、遠目に藤の花のような感じがしないでもない。ヤマツツジにしろ、ヤマアジサイ(正式な名前はよく知らないが)にしろ、庭木のような洗練された美しさこそないが、緑の木立の中に凛とした表情で咲くその「清楚」さは格別のものだ。
 それにしても、スーパーや量販店にバーベキュー・グッズがたくさん並んでいるのにはびっくりさせられる。コンロはもちろんのこと、携帯用のイスやツクエ、そして、「バーベキューにぴったり」というコピーのついたサザエやエビの類いが「サカナ、サカナ、サカナ、...」の歌と一緒に所狭しと売られている。やっぱり、伊豆は東京と違う。(2002.6.23)

 

鳥たちの声の不思議)

 真直ぐ大島を望む東側にベッドがあるせいか、朝日のまぶしさにいつも目をさます。今日は大島がよく見えるかどうかをチェックしながら、朝から風呂に入ると、開けはなれた窓から思いっきり鳥たちの声が聞こえてくる。まるで、森林の中にいるような錯覚を覚える(まあ、確かに、木立には囲まれているのだが)。
 鳥たちの声を聞いていると、今書いている本のことについ頭がいってしまう。未だに書き終わらない本のテーマに、どうもこの鳥たちの声が関係しているような気がするからだ。
 人間がまだ「ことば」を発明する前から、この鳥たちは鳴いていたはずだ。とすれば、この鳥たちの声を聞いて、それを真似るところから「音楽」ができてきたのではないだろうか?
 ふと、そんなことを考えてしまうのも、鳥たちのあまりの「声」の種類の多さに驚かされるからだ。はっきりとした音程変化のある「メロディ」を奏でるものや、単に同じ音程で「リズム」変化だけで鳴くもの。そして、これは、何かの打楽器?と思うようなすさまじい音で鳴くものがあったりと、その種類の多さに圧倒される。そのすべての声をちゃんと聞き分けられたらどんなにいいだろうとつい思ってしまう。
 ただ、それが「音楽」とはほど遠く聞こえるのは、きっと指揮者やバンド・リーダーがいないせいに違いないと思う。どこかに指揮をする鳥がいてもいいのではないか......。

レコーディング風景)

 伊豆高原にある伊豆スタジオで私の次ぎのアルバムのレコーディングを行う。伊豆高原駅からほんの数分にあるスタジオとは十年以上のおつきあいだが、自分のアルバムのために使うのは今回が初めてだ。私の伊豆の家からも十分程度で行かれる至近距離にあり、最近しばしばここを訪れる。前の晩遅くやってきたオサムとエンジニアのトミちゃんが夜遅くまで酒盛りをやっていたので、二人共なかな起きてこない。この分では時間通りに作業が進まないぞとやきもきするのはA型の悪いクセか?何事にも段取り通りに行かないと気がすまない性格は昔から変らない。レコーディング当日は、上天気。大体、こんなイイ天気の日に室内作業をすること自体が間違っている!とは誰も言わないが、なんとなくそんな雰囲気がないでもない。せっかく海から近いんだから、海を見ながらレコーディング、なんてわけにはいかない。因果な商売だナと嘆く。リゾート地にあるレコーディング・スタジオは、本来ゆったりとしたスケジュールで仕事をやっていくのが筋なのに、私はたった一日きりのセッション。そのためだけに東京からはるばるやってくるミュージシャンに気の毒でしょうがない。でも、そう言えば、金沢から常連ファンたちも応援にやってきてくれた。夕食まで作ってくれた彼女たちに感謝!

 

ガーデニング第2弾)

 やっとガーデニングの第2弾ができた。今度は、見るからにヤワそうなピアニストが犠牲になる(でも、実は彼は意外と力はある)。ミュージシャンが二人で肉体労働をする姿は、傍で見ていてどう見えるのだろう?でも、そんなことはどうでもよくって、とにかく暑くなる前に種まきを済ませてしまわないとと思い、筍を煮るのがとても上手なピアニストとせっせと海岸から大きな石を持ちかえり畑作りに精を出した。おかげで、ヒマワリ(ゴッホのヒマワリとかモネのヒマワリ、ゴーギャンのヒマワリといったネーミングの種があることがちょっと驚きだったが)やコスモス、かすみ草、そして、キュウリ、スイカ、メロン、枝豆など、実用的な野菜までありとあらゆる植物が植えられてとりあえずひと安心!後は、どれだけ実際に実を結んでくれるかが気掛かりだが、気候のいい伊豆の風土に期待をかけて「果報は寝て待て」ということにする。
それにしても、沼津ナンバーの地元の人の車の運転のゆっくりしていること!東京の人間の運転がいかにセカセカしているかがよくわかる。大阪や千葉の人だったら、イライラしてわざと追突するんではないかと思うぐらいだ(大阪も千葉も運転の荒っぽいことにかけては定評があるところだ)。(2002.5.3)

 

ガーデニング)

 庭のガーデニングをしようと人の助けを借りる。しかし、そこにあったはずのシャベルやスコップがなくなっていて(やはり外に剥き出しで置いておくのは別荘地でも危険なのか?)、私たちの手元に残った道具は小さなスコップ一つ(おいおい、これだけで一体何をやれと言うのだ?)。それでも、必死に傾斜地に「だんだん畑」のガーデンを作ろうと試みる。地ならしをして、段を作り、近くの海岸から取ってきた大きな石(これを海岸から運んでくるのがひと苦労)で石垣を作る。それでも、三段ぐらいを作ってギブアップ(後三段は次回にしよう!)。結局、植えられたのは、小手鞠やヤマブキ、そして、カボチャ、キュウイ、スイカ、ヒマワリ、などの種子をまく。早く第2弾をやらないと夏に間にあわないではないかとアセルが、次ぎは一体誰が手伝ってくれるのだろう?(2002.4.15)

小雨にけぶる)

 久しぶりに河津の七滝(ななたる)に行く。友人の女優さんとその友人を案内して行った七滝の景色は、いつも見る雄大な海の風景とはまったく違って、小雨と滝の水しぶきの中しっとりとした空気を私の身体の中にとどめてくれた。天気がよければ、下田の港の上の丘から大きな大平洋の景色をたっぷりと見せてあげようと思ったのだが、4月の半ばなのに、あいにくのしとしと天気。彼女たちが伊豆高原に降り立ったその日はまだ薄日もさしていたので、一碧湖から大室山のつつじを見たりもできたのだが、翌日はあいにくの雨。どうせ雨ならば、いっそのこと、雨のより似合う場所をと思い、河津の名所、七つの滝が直列に並ぶ清流の場所へと向った。平日なので、それほど観光客もいないせいか、落ちついた旅情としっとりとした風情を味わうには格好のスポットだ。 まあ、それでも、『伊豆の踊り子』のメインの舞台の場所なので、踊り子と学生の像などが立っていて、そこでの写真なども無理矢理とらされてしまったが....(笑)。
(2002.4.11/12)

 

 

遠い島灯りからウグイスの鳴き声へ)

 夜中の3時頃、ベランダから海の方を眺めていると、手前に必ず船の灯りが見える。漁船が数隻集まり、定置網を引く時間だからだ。その灯の先を辿っていくと遠く大島の島灯りが見える。冬と違って春は霞みがかかって昼間は幾分視界は悪いのだが、夜中の灯は鮮明に届いてくる。昔、学生時代の友人が大島に唯一の養護施設に勤めていて、そこを訪ねていったことを昨日のように思い出す。たかだか車で走ると周囲一時間でまわれてしまうような島だが、そこに住む人たちの人情は本当に細やかだった。そんな昔を思い出しながら、島の灯りを眺め、そして眠りにつく。
 一夜明けると、今度はいきなりウグイスの鳴き声で目がさめる。「ホーホケキョ」という鳴き声を聴いているとあることにふと気づく。「同じホーホケキョでも、けっこうウマイへたがあるんだナ」。
 そう、ウグイスの鳴き声は、一羽一羽微妙に違う。本当に、上手に鳴く鳥もいれば、けっこうオカシナ鳴き声をするヤツもいる。「きっと、まだ新米なのだナ?」。多分、鳥の鳴き方というのは、親から教わるに違いない(本当のところは知らないが)。だから、まだ訓練が行き届かないヤツはヘタなのだ。私は、勝手にそう思うようにしている。そう思いながら、ホーホケキョを聴いているとけっこう楽しい!
(2002.4.4)

 

イチゴ狩りから桜へ)

2月は、ちょっと遅めのイチゴ狩りを、私の家のある赤沢よりちょっと南に下った熱川近くで楽しんだ。イチゴの産地として有名なのは、伊豆では最も平地の多い西伊豆の韮山あたりだが、今回はだんだん畑にぽっかりと浮かぶ東伊豆のいちご畑で甘いいちごを堪能した。
いつもイチゴ狩りで思うのは、必ず渡されるミルクの入った容器。せっかくふだん食べられない甘いイチゴを直接枝からもいで食べようとしているのに、何故にあのドロっとした甘過ぎるコンデンス・ミルクでイチゴの甘さをだいなしにしてしまうのかいつも理解に苦しむ。あのミルクの中にイチゴをたっぷりと浸して「アマイ、アマイ」と叫んでいる人たちは、一体イチゴを甘いと言っているのか、ミルクを甘いと言っているのか自分で判断ができているのだろうか?(余計なお世話か?)
そんなこんなの2月が過ぎ、3月の伊豆の街道(東伊豆の海岸線を走る国道135号線)には、もう桜があふれている。 もちろん、染井吉野はまだだが、伊豆独特の桜「河津桜」は今がちょうど見頃。本場の河津では2月の中頃から「桜祭り」をやっている。ピンクの可愛らしい花びらは、豪快な染井吉野と違って、どちらかと言うと女性的な桜。私の家でもたった一本だが、この河津桜の苗木を植えられている。楚々とした花が優しく心を包んでくれるようで本当に心が和む桜だ。
(2002.2.11)

おいしいカレー)

昨年の12月に家が完成して、足繁くこの伊豆高原に通うようになって気がついたことの一つが、観光客相手の食べ物屋と地元の人が行くお店との格差があまりにもあること。当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれないが、観光客相手の店は、その構えや内装は確かにきれいなくせに、そのほとんどは味にあまり期待のできない店ばかり。しかも、値段もかなり高め。それとは逆に、最近私が感動したお店が、135号線がちょうど一碧湖へと分岐するあたりにある一件のお店。看板だけから判断すると、ただのそこら辺の食堂かスナックといったツラ構えなのだが、これがけっこう期待を多いに裏切ってくれた(ウレシイ意味で)。
赤い安いブラインドの上に、「スパゲティ/カレーの店、ラズベリー」と大きく書かれていて、外から見ただけではとてもオイシイものを食べさせてくれるようにはまったく見えない。 お昼時、まったく期待をせずにその店に入ると、テーブル席が3つ、後はカウンターだけという簡素なインテリア。まあ、まずくても、お腹がすいているから何でも食べられればいいやぐらいの気持ちで入った私がそこに見たのは、カウンターの奥の厨房に一人真剣な眼差しで調理をする四十前後の男性。頭にバンダナを巻き、いかにも脱サラをしてこのお店に命をかけてますといった風のその人が私の注文した野菜カレーを作っている姿を見た瞬間私は、「これはイケルかも」と思った。案の定、運ばれてきたカレーを食べた途端、心の中で「オイシイ」と叫ばずにはいられなかった。今までで最高のカレー!とは言えないものの、かなり上位に入るカレーの味。ホン・ド・ボー系のカレーなので、流行りのインド・カレーとは違うが、この手のカレーで私が最も感動した清里の「アフガン」のカレーの次ぎにランクされるような本格的な味だ。しかも、値段はたったの650円。 店を出た瞬間、何とも言えずハッピーな気分になったのは、予想をまったく裏切ってくれたあのカレーの味のせいだ。
(2002.2.23)

伊豆の魚)

昔からよく伊豆には来ていて、最初に私と伊豆の関係ができたのが、学生の頃。西伊豆の岩地という所の民宿に夏にアルバイトに来ていた。民宿といっても、旅館と同じぐらいの大きさの所なので人手もたくさん必要だったのだろう。私ともう一人の友人が布団部屋に寝泊まりしながら、毎日、配膳、掃除などの宿泊の手伝いをしていた。そして、お昼の12時から3時までが私たちの休み時間。毎日のことなので、これだけの時間があれば遊びには十分。私は、近所のガキたちの案内で、ちょっと離れた岩場で素潜りを楽しむ毎日。そこでよく取ったのが、トコブシとサザエ。取ったばかりのサザエを火で焼いて食べる味は格別だ。姿形はアワビとそっくりで、ただアワビほどは大きくないのがトコブシ。こつさえ覚えれば、2、3メートル潜ると岩にこびりついているようにあるトコブシが思うように取れる。 そして、夜、防波堤の下にある横穴に棒を突っ込んでは伊勢エビを思うように取ったのも昨日の出来事のような気がする。伊豆のスーパーには、ふだんでも地で取れた魚がたくさん並んでいる。キンメダイ、イサキ、アジ、タコ、トコブシ、サザエ、伊勢エビなど。その豊富さは、料理の好きな私にはタマラナイ。家のテラスで海を眺めながら、こんな素材を焼いてバーベキューでも楽しむ日も近い(かナ?)。
(2002.1.24)



リビングのテラスから見たほぼ全景(まだ両端は写ってない部分があるので、もっと景色は広がります。ほぼ180度のパノラマビューです)。


 


 

 



右がリビングのテラス、真ん中のガラス窓が風呂の窓。そして、左が寝室のテラス。すべての部屋がオーシャンビュー。
 


 

風呂場からの景色(海を見ながらお酒が飲みたくなる....!)
 


昨年の大晦日に、家のテラスから撮った海に映る満月(ほぼ満月)。たまらなく幻想的な世界。


 

 

ちょっと地図が見にくいですが、右下の城ケ崎海岸の下、伊豆高原の駅から車で5分ぐらい。赤沢温泉附近にあります。