AUGUST 12のDIARY 『世にも不思議なフルート音楽』

 
  今年の初めに「フルート音楽を変える!」と宣言して、いろいろとプロジェクトを具体的に進めているが、それを進めれば進めるほど不思議なことに出会う。
 その一番顕著なことが、フルート人口の多さ。いわゆる楽器人口というのは正確な統計は取りにくい。というか、楽器人口をどう定義するかで変わってくる。楽器を持っている人すべてを数えるのか、何らかの形でふだん楽器と親しんでいる人までを含めるのか、それとも、演奏活動をしている人だけを数えるのかでその範囲は変わってくる。例えば、いま日本の家庭にはかなりの数のピアノが普及している。でも、そのすべての家庭の数をピアノ人口にしていいものかどうなのか?同じように、フルートも、「昔やっていました。でも、今は押し入れの奥で眠っています」というような人までをフルート人口に入れるわけにもいかないだろう。
 となると、実際問題、どれだけの人がピアノ人口、フルート人口、ギター人口になるのか正確な数字は出せないということになる。ただ、一つだけ目安はある。それは、楽器の販売数だ。販売数=楽器の人口という風には簡単には結論づけられないが、ある程度の目安にはなる。その意味で、昨年一年間の国内の楽器の生産台数や販売実績を見ると、とっても面白いことがわかる。
 日本国内の生産台数も販売数も圧倒的に多いのは、ギターだ。これは誰にも納得がいきやすい。クラシック・ギターからエレキまで、幅広い楽器の種類があるし、最低価格もそれほど高くはない。それに一人で何本も買う人が多いのもこの楽器の特色だ。では、その次ぎは?
 ここが一番面白いところで、普通に考えれば、当然「ピアノだろう」ということになる。あるいは、「ヴァイオリンでは?」という人もいるかもしれない。答えは、ちょっと微妙なのだ。昨年一年間の日本のメーカーの生産台数ギターはおよそ30万本、ピアノ12万台、そしてフルートは11万5000本(ヴァイオリンはマーケットが特殊なために統計は出ない)。
 うん、ピアノとフルートがほぼ同数。以下の楽器は、これからちょっと水をあけられている。つまり、日本で最もポピュラーな楽器は、ギター、ピアノ、フルートの3つという風に言ってもけっして言い過ぎではないのだが、その答えを聞いて私はますます「待てよ」という思いがつのってくる。なぜなら、そんなに販売も奏者人口も多いフルートという楽器が、ピアノやギターほど一般の人に認知されているのかナ?と思うからだ。
 ギターは、クラシックからロック、フォルクローレ、フラメンコ、ラテンなどそれこそ世界中のありとあらゆる音楽に利用され親しまれている。ピアノも、リスト、ショパン、クレイダーマン、アンドレ・ギャニオン、ジャズ、ラテン、ロック、ポップス、その他、これもありとあらゆるジャンルで親しまれている楽器だ。それでは、フルートは?
 本当に、ちょっと待てよだ。一般の人がフルートという楽器に持っているイメージは、よくてせいぜい「バロック音楽とラテン音楽」ぐらいのもの。へたしたら、「皇室アルバムのBGMね」ぐらいで終わる。ただ、これも無理はないと思う。実際、フルートが使われる音楽と言えば、クラシックが圧倒的で、しかも、その大半がバロック音楽に集中している。本当は、バッハやヘンデルらのバロック音楽と現代音楽にフルートのソロ音楽はあるのだが、肝心の古典派、ロマン派にはフルートのソロ音楽はないに等しい。それに引き換え、ピアノ音楽は、バロックからモーツァルト、ベートーベン、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシーと、それこそ「蝶よ花よ」とたくさんの優れた音楽がクラシックの中にひしめきあっている。要するに、この違いなのだ。フルート人口が仮にピアノ人口に拮抗していたにせよ、一般的なフルートに対する認知度がピアノと比較にならないぐらい低いのは、一にも二にも、この音楽のレパートリーの狭さに原因がある。
 となると、フルートがもっともっと一般の人に親しまれる楽器になるには、音楽の幅を広げるしかないわけで、ひょっとして、その努力をフルーティストと言われる人たちはしてきたのかな?と疑問に思う。確かに、二十世紀に現代音楽と言われるさまざまなフルート音楽はたくさん生まれたけれども、それらの中で、一般の人たちが「あの曲はいい曲だよね」と言って親しんでくれているような曲が一曲でもあるののかなと思う。多分ないだろうし、私たちフルーティスト・レベルであの曲はいい曲だというような作品も、そのテクニック的なものが私たちの共感を呼んでいるだけで、一般の人たちが『G線上のアリア』を親しむような意味あいで親しむような作品はまったくないと言ってもいい。じゃあ、この現状のままでいいのか?と真面目に思う。ピアノはリストやショパンの作品があるからこそ、これだけ一般的な楽器になれたのだし、ヴァイオリンだって、パガニーニやクライスラーの作品があるからこそ、私たちはその音に親しんでいかれる。しかも、その幅は驚くほど広い。
 そういう意味で、ここ数年フルーティストたちが急にアストール・ピアソラの作品を演奏し始めたのも当然と言えば当然のことだと思う。ピアソラの音楽の高い音楽性と、そのスリリングな面白さとフルートの音色が意外と「合うじゃん」と気づいたからだろう。それはそれでいいことだと思う。ただ、いかんせん、ピアソラはフルートのために作品を書いたわけじゃない。フルートという楽器の可能性をとことん信じて作品を残してくれた人がこれまでの音楽史に一体どれだけいたのだろうかと思う。
 十九世紀の後半に今のフルートは改良されてそれ以降飛躍的に技術が安定した。そのために、十九世紀の終わりから二十世紀も初頭にかけて、「主題と変奏曲」という形式でゴマンとソロ作品が作られた時代があった。ただ、これもそれほどフルートの一般化には役にたたなかった。というのも、こうした作品は、楽器が改良されたことに喜び舞い上がった奏者たちが、我も我もと自分たちの名人芸を見せるだけに終わってしまったからだ。これも、一種の自己満足という意味では、現代音楽のテクニック一辺倒の作品とたいして変わらない。
 こうして見てくると、フルートっていう楽器は、西洋音楽史の中では、意外と「ママっこ」扱いなのだなということがよくわかる。バロック時代にある意味頂点を極めた楽器。でも、その後すぐにどん底に突き落とされ、二百年間ぐらいみんなから見捨てさられる。そして、百年ぐらい前に、急に脚光を浴び(その頃、イギリスでは、紳士の条件はフルートが吹けること、という項目があったぐらいだ)途端に舞い上がってしまって我を忘れてしまい、自分たちだけの世界に入りこんでしまった楽器。う〜ん、これはかなり不幸な楽器だ.と思う。ただ、もっと広い意味で歴史を見てみれば、フルートは、人類の歴史と常に一緒にあった楽器。それこそ世界最古の楽器の一つでもあり、ヴァイオリンやピアノなんかよりもはるかに古い歴史を持っている楽器なのだ。それが、なんでこんなんなっちゃったのかナ?という気がする。
 今からでも遅くない。もっと真剣にフルートの音楽の幅を増やし、もっと一般の人たちに気軽に親しまれる楽器に戻さなくてはいけない。そうでなくては、この楽器、一般の人から誤解され「ママっこ」扱いされたまま、「マニアックな楽器」の一つになっていくだけだと思う。
 こんな風に思ってくれる人が一人でも増えてくれること、それが、今私が進めているプロジェクトの本来のコンセプトなのだけれど....。共感してくれる人は、少しずつ増えている。

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