MAY 8のDIARY 『きれいな音』

 

 情報や知識はできるだけ多い方がいい。そう思い込んでいると、人間は往々にして大事なことを見失ってしまう。
 雑誌やテレビで誉める飲食店にロクなものはない。私はどちらかというとそう思っている。カタログ文化に慣れてしまった現代人は、どこかのマスコミが取り上げた情報しか信用しない人が多いが、実際は逆だろう。自分で実際に食べてもみない味をオイシイとは言えない。ただ本にそう書いてあるからとその店に行ってみる気にはなれない。人間一生の間に食べられる料理なんてそんなに多くはない。それでも、いろんな料理を食べてみたいと思う。作ってみたいと思う。だから、旅行に行ったり、買い物に行ったりするのだが、そうしたことをマスコミは映像や文字、写真で疑似体験させてくれるので、えてして人々は自分の本当の体験だと錯覚してしまうことが多い。
 一人の人間の知り得る情報や知識は限られている。それなのに、マスコミは、「これだけのことを知っていなければダメだ」的な強迫観念を人々に与える。そして、人々も本気で「ああ、これだけのことを知っていなければダメなのか」と思ってしまう。そして、本当は何も知らない人がすべてを知っているかのように錯覚してしまう。世の中の大半の人は、ダイエットとはやせることだと思い込んでいる。ダイエットとは、人間の食習慣のことだし、それが健全なら生きていく上で何の問題もないはずなのに、どう考えても健全とは思えない方法でやせようとすることが「ダイエット」と言われたりする。
 私が昨年出した「音楽はなぜ人を幸せにするのか」という本のおかげで、マスコミへの出演やら雑誌の取材を受けたりするが、よく「どういう音楽が人を幸せにするのですか?」「バロック音楽やモーツァルト、あるいはアルファ波の音楽がヒーリング効果があるんですか?」といった質問を受ける。まあ、その類いの本やそういう主旨の雑誌の特集やテレビ番組もあるからそう思っても不思議はないのだが、私に言わせればそんなことトンデモない話しだ。人を幸せにしたり、人を癒したりする特別な音楽なんてあるわけがない。それを、あたかも「これがヒーリング効果の高い音楽」であるとか、「これを聴けば癒されます」なんて言っている連中は、私に言わせればただのペテン師だ。
 「バロック音楽を聴くとアルファ波が出る」。バカ言ってんじゃないよ。ロックだってそれが好きな人にはアルファ波はバンバン出るし、要は、それが好きな人にはどんな音楽でもヒーリング効果はあるだけの話し。逆に、キライな音楽を聴けば、人間はイライラして逆にストレスがたまるだけ。音楽というのは万能ではないし、使い方を間違えれば、毒にも薬にもなる。それを、一方的に「ヒーリング音楽はコレ」式な宣伝はペテン以外の何者でもない。
 音楽の一番大事な役割は、心と身体のバランスを保つための補強剤。十分にバランスの取れている人にとって、それはただただ楽しい存在だし、ちょっとでもストレスで心と身体のバランスを欠いた人には、音楽がその欠陥を補ってくれるはずだ。そこには、バロックもヒップホップもテクノも何の区別もない。どんな音楽でも、それがその人のバランスを保つ役割を果たす時、それがすなわちヒーリング音楽になるだけの話し。
 ただし、音楽が本当の意味で人々の「癒し」や「薬」になるためには、世の中からもっと音楽を追放しなければならない。逆説的に聞こえるかもしれないが、これはある意味真実だ。世の中には音楽が多すぎる。音も音楽もあふれた時間に浸り過ぎている都会の人間に、音楽はヒーリングどころか、かえってストレスの原因になっているかもしれない。テレビやラジオからひっきりなしに流れてくる音楽や音。街の喧噪。レストランに行こうが銀行に行こうが、どんな場所に行こうが、私たちの回りから音楽が消える時間は少ない。
 もう一度考え直さなければならない。「音楽=ヒーリング」ではないのだ。過剰な薬は毒になる。薬と毒は表裏一体。音楽が本当に音楽としての本来の役割を果たせるのは、それが本当に必要な人と時間と空間だけだ。それが、誰にいつどこで必要なのかは、個々の人が決めればいい。でも、今、世の中に音楽は多すぎる。多すぎる情報や知識は人を勘違いさせ、人を混乱させる。スローフード、スローライフに関心のある人たちは環境の汚染には敏感だろう。でも、音や音楽の汚染にはほとんど関心を払わない。きれいな空気を欲しがるのなら、なぜ「きれいな音」を欲しがらないのだろう。
 そろそろ、音や音楽に汚染されていない「きれいな音」の環境をもっと欲しがってもいい時なのでは?

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