MAY 26のDIARY 『勝ち組と負け組』

 

 受精卵診断を違法とされた医師が医師会を相手に訴訟を起こしたニュースは、安楽死の問題同様、どちらの側にも正論があるだけに、おそらく今後も司法の判断だけではすまない問題になるような気がする。
 ただ、私は、障害があるかどうかを判断できる着床前の受精卵の検査が一体何のために必要なのかなとは思っている。両親や家系に障害を持っているか、持つ可能性のある人たちが、万が一の希望を持って検査するという考え方そのものは理解できても、それでもこのやり方の是非には疑問が残る。ナチス・ドイツは、戦争中に、これと同じことをすでに行おうとしていた。障害のある子供を産まないですむことが人類にとっては意義のあることと彼らは考え、すでに産れてしまっていた障害児さえも彼らは極力間引こうとした。彼らの考え方の根本は、アーリア人だけを地球上に純血種として残し、その中でも優性的な遺伝子だけ残していくべきだという考え方だった。まさしく、神をも恐れぬ思想だと思う。その結果、ユダヤ人狩りが始まり、最初は、彼らに子供を作らせず、単純に一代だけで種を絶滅させていこうとしたものが、それでは時間がかかり過ぎると思ってすべてのユダヤ人をガス室で間引く方法に切り替えた。
 今回の受精卵診断も、根本ではそうした思想に近いものを感じる。クローンにしても、こうした検査にしても、自分たちに都合のいいモノだけを都合良く残していこうとする考えに代わりはないような気がするからだ。障害を持つ子供たち、難病に苦しむ子供たちも、同じ「神の子」であることに代わりはないはずなのに、そうした弱者を社会から排除していく考えと「福祉」とは根本から矛盾するのではないだろうか?ナチスほどの極端な考え方ではないにしても、自分たちと同じ顔、考え方、同じ習慣を持っているモノだけで「安心できる」社会を安易に作ろうとしてはいないだろうか?
 私の住んでいる街、方南町という所にはダウン症などの障害を持った子供たちの立派な学校がある。そのため、彼らの登下校時には、街や地下鉄の車内にも彼らの姿を大勢見かける。症状の重い子供には母親が付き添っていたりする。子供同士だけで登下校している場合もある。彼らの姿はひと目でそれとわかるし、時には奇声を発したり、奇妙な行動に出ることもある。ただ、それで重大な問題を起こすことはない。だから、街の人たちも彼らの存在をチラっと見たりはするがそれほどの関心は示さない。こうした形で一緒に社会生活を送ることが私たちにとっても彼らにとってもいいはずだ。本当は、「私たち」とか「彼ら」といった区別もない方がいい。
 人間って誰しもハンデはあるんじゃないのかなと思う。今、世の中では「勝ち組」だとか「負け組」だとかいった言い方で、人間を区別しようとしている(これも、マスメディアが好きそうなくくりだ)。何を好んでわざわざ人を区別したりするのかなと思うのだが、子供を持たない人が持たないことをハンデと感じるからそういう考え方が生まれてくるのだろう。有名な女優さんがアメリカの代理母で子供を作った件も、そうした区別に拍車をかけていると私は思った。世の中には子供を持っている人も持たない人もいる。「それでいいじゃないの」という考え方にどうしてなれないのかなと思う。植物だってすべての種子が芽を出すわけじゃない。すべての動物の卵が孵化するわけじゃない。それが自然だと思うのだが、人間は、ナゼそうは思えないのだろうか?
 きっと、それが社会全体の問題ではなく、ごくごく「個人的」な問題だからなのだろう。家族だ親戚だ、友人だとかいった人たちとの関係や圧力がそういう「勝ち組」「負け組」という考え方を助長するのだろうと思う。今回の皇太子と雅子さんの問題にしても、男子の世継ぎ問題がその背景にはあるというのがもっぱらの見方だ。男性しか系を残していけない?どうしてそうなるのかなと思う。子供が産まれ育つのは女性の子宮の中なんじゃないの?男性は単純に種をまくだけ。その種にどれほどの意味があるのだろう?
 すべての人間はすべて異なる個性を持っていて、すべて違っている。そして、すべての人間はことごとく何らかのハンデを持っている。だから人間なんじゃないだろうか?アインシュタインに、ダ・ビンチに、ピカソにハンデはなかったのだろうか?きっとあったはずだと私は思う。私たちがアインシュタインやダ・ビンチを尊敬できるのは、彼らのプラス面を評価しているだけのこと。彼らにもマイナスはあったはずで、それがどうしても許せない人たちだって本当はいたはず。でも、彼らはちゃんと評価されているし、そのプラスの面の偉大さでマイナス面は完全に打ち消されただけのことだと思う。
 地球も人間もこうしたバランスの上に成り立っているのではないだろうかと私は思う。地球の片側で大洪水が起これば、片側では大旱魃が起こる。インドで熱射病でたくさん人がなくなったかと思えば、寒さで凍え死ぬ人たちもたくさんいる。自然も人間もそうしたバランスの上で生活しているのだと思えば、人間の障害が一体何なの?という気が私にはしてくるんだが、どうもそうは思わない人たちもたくさんいらっしゃるようだ。

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