APRIL 5のDIARY 『想像力の貧困』

 

 私の住んでいる町では、毎週土曜日になるとサタデーバザールとかいって、安売りのモノをワゴンセールのように売り出したりする。おそらく日本全国どこの商店街でも似たようなことをやっているのだろう。先日の土曜日もいつものサタデーバザールをやっていたが、その日の商店街のスピーカーから流れてきたセールのコメントの中にちょっと聞き流せないフレーズがあってしばし足を止めた。
「こわい、こわい国イラクに行っている自衛隊の人たちが無事に早く帰ってきてくれるといいですネ...」。多分、何げなく出て来たことばなのだろうが、私にはこのフレーズこそが「思考停止の日本人」を象徴しているようで、かえってそちらの方がこわくなってしまった。連日、北朝鮮やイラクのニュースをマスコミが流しているせいか、イラクという国自体がテロの温床であるかのような認識を持っている日本人も多い。果ては、すべてのイスラム教やイスラム文化がテロを奨励しているかのような印象を持っている人もいる。商店街で流されていたアナウンスのように、ごく普通の人たちが、イラクを「恐い国」と何も考えずに表現できるような思考停止状態が実は一番コワイことなのにもかかわらずだ。これでは、アメリカが果てしなく流し続けている「悪の枢軸」キャンペーンにまんまとハマっているだけのこと。そもそもテロを行っているのはイスラム国家ではないし、イスラエルが元からテロばかりやっていたわけでもないし(イスラエルという国ができたからテロが起こったと考える方が正しい)、どちらかというと、どこの宗教が悪いとかどこの民族が悪いとかいった問題ではなく、養老孟司さんの言うように、「思考を停止」して他人の意見を受け入れない人間の頭の中にある「バカの壁」こそが問題なのではないかと思えてくる(ここでいう「バカの壁」とは、自分の意見だけが正しいと信じて他人の意見を受け入れられなくなっている「壁」のことを指す)。
 老人のボケというのも、一種の「思考停止」状態だ。アルツハイマーにならずとも、老人になればボケる可能性は誰にでもある。しかし、すべての老人がボケるわけではない。ボケる人もいればボケない人もいる。大体人間は年を取ると頭が固くなるのが普通だ。他人の意見を聞かなくなる人も多い。自分が一番正しいと思い込む。自分中心に世界が動いていないと気がすまない。多分、こういう人が真っ先にボケる。つまり、他者との間に「壁」を作って「思考を停止」している状態そのものが既に一種のボケだとも言えるのだ。新しいモノに興味を示さなくなる。同じことばをくり返す。狭い範囲でしか行動しなくなる。相手を否定する。自分だけの世界に入りこむ、....。ことばだけ見ると一種オタク的な世界にも見えるが、こうした老人の特色って、今の中東問題にも当てはまるような気がしてしょうがない。
 エルサレムという聖地に無理矢理キリスト教、イスラム教、ユダヤ教を混在させてしまおうとしたイギリスがもともとの問題を作ったクセに、今はその後始末をアメリカがしている(イラク戦争に積極的だった2つのアングロサクソン国家だ)。これが中東問題のそもそもの起こりだし、これが遠因となってその他のすべてのテロが起こっていると言ってもけっして言い過ぎではないだろう。この問題を解決しないうちに、単純に「テロが悪い」と言ったって何の解決にもならない(クサイものは元から断たなければダメだ)。それに、この3つの宗教はもともと同じ一つの神を信じている。それぞれイエス、モーゼ、モハメッドと信奉する預言者が違うだけなのに、いつの間にか宗教が違うから争いが起こるんだみたいなところに落ちつかせられてしまっている。「ウン?果たしてそうなのか?」と思ってしまう。人間の争いごとって、単に宗教が違うから起こるわけでもないだろう。民族が違うから起こるわけでもないだろう。そもそもは、自分の考えが一番正しいという思い込み、そして、相手の意見は間違っているという単純な二元論で思考を停止させてしまうところから起きているのではないのかといつも思う(「悪の枢軸」をやっつけるという人たちだけが「善」なのか?)。世界中の人たちの頭がみんなヤワラカだったら争いごとなどほとんど起こらないハズなのになあと思う。
 多分、問題は想像力だという気もする。人間が他の動物と違うのは道具を使うこと。つまり、道具を作り出したことだと言われている。これって、別に道具を作り出す技術の問題ではない。要は、想像力の問題。人間はモノがないところでは本当にいろんな想像力を働かせることができる。火がなければどうやったら火が作れるか考える。魚が捕りたかったらどうやったら捕れるかを考える。考えるからこそ道具が生まれる。つまり、想像力こそがモノを作り出す源。想像力は創造力に他ならない。別に、音が同じだからそう思うわけではない。これは、一つの真理だ。楽器なんていうのは、想像力がなかったら絶対に生まれてこなかったものの代表だと言ってもいい。
 現代社会の根本的な問題は、この想像力の貧困にあるんじゃないのかといつも思っている。モノがあり過ぎる。人間は石油に頼り、モノを作り過ぎた。だから、想像する意欲そのものが失われている。人間に必要なものは、知識とモノとお金だと錯覚している。本当は、人間にはそんなもの何も必要ない。人間に本当に必要なものは想像力だけ。知識なんかいくら多く持っていても何の役にもたちはしない。大体において、知識が多い人間ほどその使い方をわかっていない。お金を多く持っている人もしかりだ。そして、モノにとらわれる人はますますモノの奴隷になる。
 今頃、スローフードだ、スローライフだと言ってみてもちょっと遅いような気もするが、やらないよりはやった方がいいだろう。地球が本気でなくならないうちに何とかしなければとみんなが思い始めている。でも、未だにあんまりマジになっていない人たちもけっこういる。牛肉を食べながら、森林破壊をやめましょうなんていう矛盾したことを言っているのはまだましな方で、自分たちが環境破壊の元凶でありながらそれにまったく気づかず世界中で意図的に戦争を作りだしひたすら世界の覇者気取りでいる国があること自体が地球にとって最もヤバイことだと思うのだが.....。

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