JANUARY 11のDIARY 『味』

 
 『味』という映画を観た。渋谷の小さな映画館で細々とやっている映画。監督は中国人だがスタッフはほとんど日本人。日本製作のドキュメンタリー映画だ。
 東京で中国料理店「済南賓館(これは実際に四ッ谷にある)」を経営している佐藤孟江さん夫妻のストーリー。戦前の1925年に生まれてから戦後の1948年に引き上げるまでずっと中国山東省の済南で暮らしていた彼女が青春時代に習い覚えた伝統的な山東料理を、現在中国で引き継いでいる人はまったくいない。しかし、彼女こそが唯一の伝統料理の継承者ということで中国政府から「正宗魯菜(山東料理)伝人」と認定され、中国に招待され毎年料理人達に指導を行う事になる。でも、中国人の考える料理とこの夫妻の考える中国料理には既に埋めることのできないミゾが存在している...。
大雑把な話の流れはこういうことになるのだが、大体において、魯菜(山東料理)というのは今の北京料理(つまり、宮廷料理)の基礎となったもの。ただ、山東、上海、広東、北京とある中国料理の中でも最も地味な料理だ。これが、もうほとんど絶滅に瀕しているというか、完全に中国では絶滅してしまっている。ただ、日本で細々とこれを継承していた佐藤さんたちだけがかろうじて残していたということは驚異的なことだが、佐藤さんたちと中国側の意見の違いが面白い。佐藤さんたちは、伝統をそのまま残せと主張する。片や、中国側は、時代が変われば人の好みも変わる、だから味も変わっていかなければならないし、料理のノウハウが変わるのは当然のことと主張する。
 まあ、かなり難しい話ではあるが、この考え方はとっても中国人らしいなと思う。文化大革命ですべてのモノを壊してしまったあの国は、長い長い歴史の間に「人間も社会も常に動いてなければならない」という思想でこれまでやってきたのだと思う。だから、結局何にも残せずにただ破壊しかしなかった文化大革命(百害あって一利もない革命だったが)も受け入れてきたし、今また自由経済の長所を社会の中に取り入れようとしている(きっと、これから中国はまた激変するのだろうナ)。
 映画の中では、この伝統的な魯菜(山東料理)を絶滅させたのは文化大革命だったかのような描き方をしているが、私は必ずしもそうとばかりは言えないと思う。一時、アメリカでチャイナクッキング・シンドロムみたいな言い方で、中国料理を食べると身体に悪いということが社会問題になった時期があった。要するに、化学調味料を使い過ぎるアメリカの中国料理がアメリカ人の身体を蝕むという論調だったが、これを中国料理のせいにするのはちょっとオカシイ。佐藤さんたちが主張するように、もともとの中国料理は「砂糖を使わない。化学調味料を使わない。ラードを使わない」というのが基本だったハズ。それを、微妙な味のわからないアメリカ人が「甘い、からい」をハッキリさせるために大量の砂糖、化学調味料、ラードを使わせたのがそもそもの原因だったのではないのか?今や化学調味料だらけの中国料理。その「味」がスタンダードになって世界中の中華料理店に波及してしまい、今やどこに行っても中国料理は大量の砂糖と化学調味料だらけ。その点、日本の中国料理もわりと長い間、砂糖の大量使用や化学調味料には気を使ってきたのが、最近のTVでやっている中国料理は本当に有名な調理人までが堂々と「ここで、化学調味料を少々」とやっている。私はあれを見るたびに「ああ、やっぱりこの人も名前だけの人なんだな」と思ってしまう。本当に味のわかる料理人が化学調味料の味に耐えられるわけがない。
 最近スローフードがいい、といったいわれ方で伝統的な調理方法や昔ながらの料理がもてはやされているが、それはそれでいいとは思うけれども、これが一過性のただの流行りになってしまわないようにしてもらたいナと願う。料理に甘味は必要だと現代の中国人シェフは言う。確かにその通りだと思う。でも、「甘み」というのは砂糖だけで得られるものではない。タマネギをじっくり炒めていれば「タマネギってこんなに甘かったんだ」ということは誰しも経験すること。世の中にはもともと「甘味」を持っている食材はゴマンとある。同じように、辛みも塩気も酸っぱさも至る所にころがっているのに、そうしたものを引き出さないで、ただ安易に「砂糖と化学調味料、ラード」で誤魔化していくのは料理の発展ではなく、佐藤さん夫妻の言うように、ただの「堕落」でしかないと思う。
 料理の基本は「手間」。手間をかければどんな素材でもオイシクなる。それを大量に同じような味で提供する必要のある店が増えたことがきっと料理そのものを堕落させた原因なんだろうナと思う。
 きっと家庭の主婦も、大きな店のシェフも「そんなに手間ひまかけていられません」と言うかもしれない。でも、それって絶対に違うと思う。私は、いつもソバが食べたくなるとおソバを自分で打ち始めるが、その話しをするときっとこう思われるに違いないなと思う。「よくメンドくさくないネ」「よくそんなヒマがあるネ」。
 私もそれほどヒマ人ではない。いつもいつも仕事に追われている。でも、時間というのは工夫次第でどうにでもなるもの(大体、忙しい人ほど時間の使い方は上手だ)。手軽にコンビニで買ってくればすぐに食べられるわけだけれども、およそ料理とは言えない代物をがまんして食べる苦痛(しかも、身体に有害なモノがゴマンと添加されている)を考えれば、ちょっと1時間待てばおいしいおソバが食べられる(近所のソバ屋もたいしてうまくない)。
 食事のたびに、栄養剤や大量のサプリメントを食卓に並べながら料理を食べるアメリカ人は、絶対に料理の喜びを知らないし、食べ物で幸福感を味わうことはできないハズ。だとしたら、彼らはそれこそ人生の楽しみを一つ失っているだけでなく、その感覚を世界中の人間に押し付けようとしているだけのこと。「ファーストフードを小さい頃から食べさせてその味に慣れさせる」という文章は、世界で最も大きいハンバーガー・チェーンのアルバイトの子たちに教えるマニュアルに堂々と書かれている。そんな「堕落した味」を世界中に押し付けるような企業に世界の食文化を破壊する権利はどこにもないと思うのだが。

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