SEPTEMBER 18のDIARY 『フリーダ・カーロ』

 

 渋谷から山の手線に乗るとすぐ次ぎの原宿の駅に着く。この時期、電車のドアが開き真っ先に飛び込んで来るのは、うるさいほどの秋の虫の声だ。この駅は、明治神宮とちょうど隣り合わせに位置していて、ほとんど神宮の境内との境がない。単純に、木々が神社と駅の間にほんのちょっとした仕切りを作っているに過ぎない。だから、電車は、もうほとんど神宮の境内の中にすべりこんでいくようなものだ。
 私がふだん住んでいる所は、東京杉並の環七通りに面した、日本でも最も空気の悪いぐらいの環境にある。よっぽどのことがない限り、虫の声や鳥の声を聴いたりすることはないが、この明治神宮のすぐ側にある原宿の駅は、こんな都会なのにどうしてと思えるほど自然の香りが一年中する。冬は冬で、駅全体が深閑とした土の匂いに包まれる。これほどの自然の香りは、どんな田舎の風景にもないほどだ。いや、むしろこの神宮の中の方がかえってヘタな田舎よりも自然は多いかもしれない。それこそ、農村地帯の方が農薬によって虫や動植物は生存しにくい環境に追いやられている。この神宮には農薬の「の」の字もないわけだからこそ、これだけの自然が保たれているのかもしれない。
 私の実家や通っていた小学校がこの明治神宮の近くにあったせいで、小さい頃は、この境内の中をよく歩いた。今では、年に一回も訪れることはないが、それでも、たまに初詣でと称してこの中に足を踏み入れることはある。ただ、そんな人込みと喧噪の中では、ここ本来の自然を楽しむことはあまりない。むしろ、日常的に電車で素通りするだけの原宿駅だからこそ、この中の自然を敏感に感じることができるのかもしれない。
 渋谷では映画を観た。メキシコの女流画家フリーダ・カーロの生涯を描いた『フリーダ』。十数年前にも、同じ人物を題材にした映画『フリーダ・カーロ』というのを観たが、今回の映画は、それとは若干違い、彼女の忠実な伝記的な色合いの濃い映画になっている。
 若い時の自動車事故で全身を満身創痍の身体になりながらも絵にすべての情熱をかけていったフリーダは、ロシア革命後のメキシコに起こった左翼思想にも心ひかれる。彼女の絵の才能を見抜いたメキシコの有名な壁画家のディエゴ・リベラ(彼自身も左翼運動家だ)とフリーダは恋仲になり結婚。しかし、ところかまわず女性を口説き回る夫ディエゴとの確執や嫉妬に悩まされ、ロシアを終われてメキシコに亡命してきた左翼運動家トロツキーたちとの関係などに翻弄されていったフリーダは、栄光と身体の苦しみの中で数々のシュールな傑作絵画を残していく。
 といった彼女の生涯をわりと忠実に追った映画なのだけれども、こういう女性アーティストの映画を観るたびに思うのは、そうした女性たちの側にいる才能あふれた男性アーティストの姿とそのエゴイズムだ。彫刻家ロダンの愛人でもあったカミーユ・クローデルと、このフリーダを簡単に比べることはできないけれども、どちらも身勝手な男の側で気も狂わんばかりの情念の葛藤にさいなまれる女性たちだ。しかも、彼女らは、自分たちが仕えた男性アーティストたちよりもはるかに才能を持った女性たちでもあった。別に、男性が上だとか女性が上だとかいった不毛な議論をしてもしょうがないのだが、フリーダの残した一見不可解な絵画の数々を見ていると、自分という存在と他者との関係をしっかりと見据えている女性のまなざしというのは、男性にはないはるかに深い宇宙的なものを持っていると思わざるをえない。子供を産むことでしっかりと大地に根をはることのできる女性と、所詮根無し草のように風の中をふらふらと彷徨い歩くしかない男性との根源的な差なのかもしれない。「不倫は文化」だと言った役者は、はからずも私と同じ高校の出身だが、彼のように、不条理で身勝手な論理でも振り回さない限り、自己主張のできない男という動物は、本来どこにも「存在しない」ものなのかもしれないと思ってしまう。だからこそ、虚勢と権力をかたわらに置いておかないと一歩も先へは進めない存在、それが、男なのかもしれない。
 その意味では、先日101才で亡くなった現役最長老の映画監督レニ・リーフェンシュタールは、最も女性的であり、最も女性から遠い生き方をした女性なのではないかとも思う。なぜなら、彼女は、ヒットラーの愛人という非難をあびながらも、そのことに対する弁明をひとことも言わずに、自己の存在と宇宙への関係をひたすら映画という芸術の中に昇華しようとしていた。そして、結局、戦争中のヒトラーとの関係すらも、自らの死と共に完全に闇の彼方に葬り去ってしまった。フリーダ・カーロも、カミーユ・クローデルも、そして、レニ・リーフェンシュタールも、女性は強い存在であることを証明しながらも、自らが愛した男性の影をひたすら追い、そしてそれを守り通した人たちだ。何が、彼女たちをそこまで力強く生きさせたのか。男である私には永遠の謎としか言いようがない。

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