MAY17のDIARY 『集団ヒステリー』

 

 最近の白装束集団に対する報道は、どうにかして欲しいと思う。イラク戦争が終わって、ネタがなくなったのでちょうどいいとばかりに飛びついたのだろうけど、あれはちょっと過剰だと思うし、一種の「魔女狩り」のようで気味が悪い。こうした集団の「気味の悪さ」はカルト集団ならどこにでもあるものだし、現実に何か事件を起こしたわけでもないし、これから起こそうという風でもない。他にもっと悪質なカルト集団なら世界中に掃いて捨てるほどある。今の時点でどちらが悪質かと言ったら、これだけの過剰報道をするマスメディアの方がはるかに悪質だと思う。
 私は、TVや雑誌の情報は基本的に信じないようにしている。情報の一つとしては自分の中にインプットするが、それを百パーセント信じるほど自分は愚かではないと思っている。特に、TVのヴァラエティ系の番組がよくやるような隠しカメラつきのドキュメントの類いは百パーセントやらせだと思っているし、旅番組やグルメ番組で、レポーターが声高に「おいしいです」と叫んでみても自分で食べてみるまではそのことばをおいそれと信じるわけにはいかない。
 私は行列のできる店に行った試しがない。多分期待はずれだろうと思っているし、どうせ店側とのタイアップがらみの情報がほとんどだと思っているからだ。雑誌やTVが勝手に作り上げるカリスマなんとかは余計に信用ならない。そういう情報こそ今のメディアから真っ先に除外してもらいたいとすら願っている。行列のできる店に行かなければ、カリスマなんとかの店に行かなければ自分が社会から取り残されてしまうのではないかという強迫観念を植え付けるだけのマスメディアはジャーナリズムとはまったく無縁の存在だ(こういうのを集団ヒステリーと言う)。どうして、一人一人の人間が自分の目や耳や舌で判断できる余地を残してあげないのか(そういう能力を養わせるようにしないのか)とさえ思う。
 私は自分で作る料理が一番オイシイと思っている。これは、別に、私が世界中で一番オイシイ料理を作れると言っているわけではない(そんなこと、口が裂けても言えるわけがない)。そうではなく、私が自分で作る料理は、私にとってベストの味。つまり、私にとっては一番オイシイ料理ということを言っているだけ。人それぞれに価値基準も感覚的な基準も違う。だから、何がその人にとって最も益のある情報かと言う事は、個々の人間が判断すればいいこと。それを、あたかもこの情報を知らなければ世の中から取り残されてしまいますよ的な情報の垂れ流しをするマスメディアこそ、最も社会にとっては害悪なのではないのか?
 例の白装束集団の活動にしても、イラク戦争にしても、北朝鮮の問題にしても、みんなそれぞれの人たちがちゃんとした価値基準で判断して欲しい事柄。しかし、今のTVを見ていると、北朝鮮の社会すべてがオカシイかのような報道をするし、白装束集団は何かオームの再来かのような決めつけをしているし、イラク戦争にしても、クルド人という民族の歴史のみならず、中東という社会で国家と民族がどういう関係にあるのかといった根本的な問題すら何も語られていない。
 ジャーナリズムの基本的な役割とは、それを見たり聞いたりする一人一人の人間が自分の価値基準をきちんと持てるような情報を届けること。それには、まずメディア自体に哲学が必要になってくる。報道をする主体が自分の存在をはぐらかし、自分たちの哲学も語らずに、ただ過剰な報道を垂れ流しているだけの今のマスメディアに未来はない(とすら私は思っている)。これを飲みなさいと言って、何の説明もなくただただ大量の薬をバラまいている医者と同じで、その薬を飲んだ結果病状が悪化しても何の責任も取らないのでは、医療どころか犯罪にもなりかねない。そんなメディアの過剰報道をオカシイと考えるのは私だけだろうか?

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