MAY11のDIARY 『音楽の未来』

 

 来週の末ぐらいだろうか、私の新しい本(著作では4册目、翻訳もいれると5册目か)が出版される(店頭に並ぶのが具体的にいつなのかは私も知らない)。タイトルは、『音楽はなぜ人を幸せにするのか』。
 この本が企画されたのはほぼ3年前で、最初は『音楽のサイエンス』というタイトルで書き始められた。ただし、一度書き終えて、原稿を編修担当の人と読んでいくうちに、急に方針転換した。理由は、若干内容が難し過ぎるのではないかということ。確かに、音楽を科学的に分析していくとなると、かなり読みづらい部分はどうしても出てきてしまう。ただ、それでも核心部分だけは残した。つまり、音楽を科学的に分析していくと結局「音楽とは何か?」という問いに行き着くということ。ならば、いっそのこと「音楽とは何か」を真正面から論じていけばいいのではないかということで、「音楽の意味」を追求する本として書き直した。その結果が、今回の著作「音楽はなぜ人を幸せにするのか(新潮選書)」。 
 自分の好きな音楽、イイ音楽を聞いた時、人間は幸福を感じることができるし、感動することもできる。そこに理屈はいらない。だから、そんなこと、ことばで説明する必要なんかないじゃないかと言われればその通りなのだけれども、根が理屈っぽいのか、物事の理屈が理解できないのはとても気持ちが悪い。「子供電話相談室」じゃないけれど、「低気圧があるとなんで天気が悪くなるの?」と言われれば、それを理屈で(頭で)理解できないのは何ともモヤモヤして気分が悪い。高気圧と低気圧の等圧線の狭さや広さ、形の意味まで理解しないと納得しないタイプの私は、「音楽はなぜ人を幸せにするのか」といったトンデモナイ領域にまで理屈を持ち込んでしまった。
 人類が誕生した時から音楽は人間と共にあった。これからも、人間が生きている限り音楽がなくなることはないはず。だったら、そこには何らかの普遍的な理由があるはず。じゃあ、その理屈を探してみよう。とまあ、こういう論理展開の果てにできた本だと思ってもらえばいいかもしれない。
 そして、その出版記念のライブを20日に行う。会場は、いつも私がライブをやっている赤坂のノベンバー・イレブンス。どうせなら、私ができることはすべて見せよう(なんて、ホントは無理なんだけど)とばかりに、この記念ライブもキッチンライブ仕込み。前回の本を出版した3年前には、帝国ホテルでパーティをやったのだけれども、ああいう場所でやるとどうしても料理がバイキング形式なので、味がとても気になってしまう。別に、帝国ホテルの料理がまずいとは思わないけれども、ホテルのバイキング料理は概してまずい。そして、レパートリーも定番モノばかりで面白くない。だから、今回は私のレシピで私の料理でやった方がよっぽどイイのではないかと思い、思いっきりライブ形式で出版パーティをやることにした(こうすれば、私の音楽家としての顔と、作家としての顔、そして料理人としての顔のすべてが見せられる)。
 そもそも、この料理というのも、今回の私の本のテーマとはまったく関係がないわけではない。音楽も料理も単純に人を幸せにしてくれるもの。おいしい料理を食べた瞬間、いい音楽を聞いた瞬間、人は簡単に幸福感を味わうことができる。ただ、その答えをこの本で出したわけではない。だいいち、そんなもの出せるわけがない。でも、それを考えるヒントは本の中で与えることができたつもりだ。音楽も料理も人間にとって必要なもの。だから、それを長い人類の歴史の中で綿々と伝えてきたわけだし、これからも多分それは続くだろう。だから、その中には人類が種として持っている遺伝子が何らからの形で私たちの身体の中にはインプットされているのではないのか?そして、それは地球という環境で生きてきた人間だからこそ持てたモノなのではないのか?それが、もし、地球という環境から人類が脱する日には一体どう変わっているのだろうか?
 人間が地球という星以外で住むためにどうしても克服しなければならないものは、重力と放射線(地球以外の環境では重力も少な過ぎるし、大気圏を一歩出ればそこは放射線の嵐。とても人間が生きて行かれる環境ではない)。この二つの問題を克服するために、人間は今さまざまなことを考えている。宇宙服というのもその一つだろうが、人間が生まれてから死ぬまであんな服を着ていなければ生きられないとしたらどうだろう?(私はイヤだな)でも、あれがなければ人間は重力と放射線の問題から逃れることはできない。そのために考えられるのが、遺伝子組み換えによる、人間を人間でなくす方法。きっと、最終的にはこの方法しかないのだと思う。遺伝子を組み換えて人間の通常の能力を越えたスーパー・ヒューマンを作る。無重力で筋肉を使う必要のない人間が持つ肉体は一体どうなってしまうのか?放射線に耐えられ、冬眠さえもできる人間の感覚は一体どうなってしまうのか?そうしたSFの世界(実際に起こる世界でもあるが)で、音楽はどういうものになり、どう聴かれるようになるのか?
 要は、人間にとって音楽とは「どう必要なのか?」ということだろうと思う。何万年も前から人類と共にあった音楽が、これから先にも人類にとって必要なものなのかは、人類がそれを必要としているかどうかにかかっている。少なくとも、今の私には必要だ。そして、今の人類すべてにとってもそれは必要なものだろうと思っているけれども、果たして本当のところはどうなのだろうか?

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