APRIL22のDIARY 『シューシューの死』

 

  先週の木曜日のライブ本番の当日、こんなことがあった。ここ数日めっきり足が弱ってしまったシューシューが盛んに外へ出たがる様子を見せた。その日は、春とは思えないほど暖かい陽気の一日。玄関や窓を開け放ち、外気を入れていた。その開け放たれた玄関のドアに向かって、シューシューが盛んに鳴き続けている。明らかに、外に出たがっている様子だ。
 オスネコと違い、シューシューのようなメスネコは家ネコとして飼うことも多い。そのため、シューシューも外に出したことはほとんどない。私の住むマンションの目の前は、車の流れのまったく途切れることのない環状七号線。とてもそんな環境にネコをほうり出す気にはなれない。それでも、シューシューの気持ちが晴れるならと一緒に外に出る。ヨタヨタした足取りで歩きだしたシューシューの行く先は、これまで彼女がまったく歩いたこともないような方向。これは、ひょっとして死に場所を探しているのでは?という考えがふと頭をよぎる。このまま勝手に歩かせていたらきっと戻ってはこないのではと思い、あわてて彼女を家の中に戻す。もうほとんど固形の食べ物は口にしていなかったシューシューも、久しぶりの「大冒険」に疲れたのか、ミルクを一生懸命に舐め始める。「このまま私のいない間に逝かないでくれよ」と願いながら、私はライブ会場に出かけた。
 思えば、私がまだアメリカの学生だった頃に私の家族の一員になったシューシューは、これまで23年もの間、ほぼ毎日私と生活を共にしてきた。その間一度も大きな病気をすることもなく、健康で生きてきた彼女の生命力は一体どこから生まれてきたのだろうかと思う。20日(日曜)の昼頃に息を引き取る数時間前にも、まったく目が見えなくなっていたにもかかわらず、必死に立ち上がってミルクを飲みにいった驚異的な「生」への執着は一体どこから出てきたのだろうか?
 飼い主である私よりも先に死んでたまるかとでもいうような健気な気持ちがそうさせたのだろうか?昏睡している意識の中でも、私が「シュー」と呼びかける声に何度もシッポをかすかに振って答えてくれた。まだ耳だけは聞こえていたのだろう。何気なく時計を見る。午前11時15分を指していた。振り返ると、さっきまでかすかにお腹を膨らませながらやっとのことで息をしていたシューシューの身体がまったく動かない。思わずシューシューの身体に耳をあてる。心臓の音がまったく聞こえない。家族の誰よりも、どんな人よりも長い時間を一緒に過ごしてきたパートナーが、私の手元から離れ、「ネコの国」へと旅立ってしまった瞬間だった。
 今年の1月に急に具合を悪くしてからは、排せつの世話から食事の世話などがこれまで以上に大変になったことは確かだったが、それでも、ほとんど手のかからないネコだったと思う。自分の自由意志で自分の「生命」をコントロールできなかったのは、死の真際のほんの数日間。それまでは、私を右往左往させながらも、気の強さを最後まで失わずに「自分らしさ」を保っていたネコでもあった。荼毘にふした月曜日、火葬をしてくれた葬儀場の担当者がポツリともらした。「かなりの高齢のネコなので、火葬した後にほとんど骨が残らないのではと心配しました」。そんな彼の心配をよそに、23年1か月の天寿をまっとうしたシューシューの遺骨は、シッポの先まで完全な形でそこに残されていた。その時、私は確信した。「シューシューは、自分の生命の力を最大限に生かしきって死んでいくことができたんだな。最後まで一本の歯を失うこともなく、こんな立派な亡骸まで残していけるほど健康な生命を23年もの間保つことができたんだな」と。
 人間とペットという図式で私とシューシューの関係を考えたことはない。共に人生を歩むパートナー。だからといって、ネコっ可愛がりしたこともない。ただ、お互いに「生」を持っている生物同士の信頼関係と責任で生きてきたつもりだ。これまでシューシューがいたために長い間家をあけられないとかいう不便さは、ペットと暮らしている人間の最低限の責任であり、それが苦痛になったことは一度もない。毎日毎日トイレをきれいにしてあげるというのも、彼女(シューシュー)に対する責任でもあり、私自身の生活のためでもあった。単に、ペットになぐさめられるというような一方的な関係は、飼い主のエゴにしかつながらない。お互いがお互いを必要としている関係でなければ、このパートナーシップは成り立たなかっただろうと思う。
 「愛する」ものを失ってしまった心の空白は何ものにも代えられない。ついつい「シュー!」と、小さなお骨箱におさまってしまった彼女に呼びかけてしまう自分をおかしくも思うが、別にそれを改めようとも思わない。自然にそう呼びかけなくなる日まで、自分で自分の心を許容していくしかない。「綿の国星」のどこかで光り輝いていてくれと願う私は、いま心の底からシューシューに感謝している。
「23年間も一緒に生きてくれてありがとう、シューシュー!」。

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