APRIL14のDIARY 『ノラ・ジョーンズの音楽

 

  今年も、タケノコの旬がやってきたけれど、昨年のように「筍ライブ」はできそうもない。ライブそのものはたくさんあるのだけれども、お客さんサービスに筍でも煮て出そうか、なんていう余裕がなくなってきているせいかもしれない(それでも、今週の青山でのハープとのライブには、オードブルを2種類作る予定になっている)。
 今も昔も私の最も心地よいリスニング空間は車の中だ。車の中ならどんなに大きな音で音楽を聴いていても誰に文句を言われるわけでもない。実際、私が車の中で聴く音量は相当デカイ。同乗者がいる時は途端に遠慮して小さい音量になるが、一人で運転している時のヴォリュームは、おそらく他の人には耐えられないだろう(笑)。ポップスやロックを大きな音で聴くというのはわりと普通だと思うが、私の場合、クラッシックも大音量で聴く。むしろ、これの方が快感だ。特に交響曲がいい。ベートーベンやブルックナー、チャイコフスキーなどの作品は、小さい音から大きな音までの差(つまり、ダイナミックレンジ)がとても広いので、ひとたびフォルテの場所に来た時にたまらなくシビレてしまう(ハハハ、けっこうマゾヒスティックな快感かもしれないナ?)。
 つい最近新車を購入したばかりなので、その新しいオーディオ・システムが私の秘かな愉しみを助長している。で、クラッシックではないけれど最近ハマっているのがノラ・ジョーンズ。
 今年のグラミー賞を5部門か6部門かとったアメリカ人アーティストだが、彼女の声がいい。「きれい」という形容も「ハスキー」という形容も当たらないのだが、その両方の魅力を適度に持った「ヒーリング・ヴォイス」だ。あまりヒーリングということばは使いたくないのだが、私自身が癒されてしまうので、まあ当たらずとも遠からずということだ。彼女のお父さんはかの有名なインドのシタール奏者のラヴィ・シャンカール。と言っても、今ラヴィ・シャンカールの名前を知っている人は意外に少ない。ビートルズ世代ならば、ビートルズがハマっていたインド音楽の大御所がこのラヴィ・シャンカールで、特にジョーズ・ハリスンは、シャンカールのことを神様のように思っていたということはよく知られた話だ。その人の娘がノラ・ジョーンズ。強いて言うならば、藤恵子と宇多田ひかるの関係にも似てなくもないが、やはり違うな、どことなく。
 ノラ・ジョーンズの音楽をひと言で言うならば、カントリーとブルーズの要素をうまくミックスしたような音楽。ただ、このカントリーとブルーズがミックスされた音楽というのはありそうでいて実際はあまりない。と言うのも、本来はカントリーとブルーズは「水と油」の関係ぐらい方向性のまったく異なる音楽だからだ。簡単に言ってしまえば、カントリーは白人の音楽。ブルーズは黒人の音楽。この二つをうまく融合することができたのも、彼女がインド系のアメリカ人だからだろう。
 今度のイラク戦争でも、アメリカのカントリー系のアーティストが戦争批判をしたことから、仕事をほされ世論を真っ向から敵に回してしまったという。無理もないことだろう。アメリカの白人にしてみれば、カントリーこそが白人の音楽、つまり「アメリカの音楽」だ。彼らがそう信じてやまないカントリーのアーティストがこともあろうに戦争を批判するとは何ごとかと言いたいのだろう。アメリカの音楽にも、ロックやジャズ、ブルーズ、R&Bなどいろいろあるが、このカントリーは、北欧やアイルランドにルーツを持つ純粋アングロサクソン音楽で、他の「アメリカ音楽」とは出所が違う。いわば、由緒正しき白人音楽なのだ(黒人はカントリーを絶対にやらないし、やらせてもくれない)。日本ではカントリー音楽というのは、いまいちピンと来ない音楽の一つだが、アメリカの中ではちょっと事情が違う。都会ではそれほどでもないが、田舎のバーで週末にやられるバンド音楽は圧倒的にカントリー系のものが多い。ちょっとロック系のカントリー音楽。これが、田舎のアメリカ人には一番受ける音楽だ。たかが、田舎とバカにするなかれ。ニューヨークやシカゴなどを除けば、アメリカのほとんどは田舎だ(ニューヨークに比べれば、ロサンゼルスも単なる「大きな田舎」)。それに、アメリカは世界最大の農業国でもある。日本の食料品は、醤油も味噌もパンも油も、アメリカの農業がなければほとんど手に入れることはできないものばかりだ。そんなアメリカのカントリー音楽と黒人のブルーズを実に気持ちよくミックスしたノラ・ジョーンズの歌は、そんな政治的な話しとは無関係にとても心地よい。

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