JANUARY6のDIARY 『年賀状』

 

 年末にパソコンがダウンしてメルアドが全部なくなってしまったりして右往左往していたために日記を更新するどころではなかった。あまり器械に振り回されないようにしなければ...。
 年々減っていく年賀状の整理をしながら(自分から出さないんだからあまり来なくなるのは当然か?)、相変わらず子供の写真を堂々と張りつけてくる年賀状にはしばしタメ息。確かに子供の姿はカワイイのだけれども、それだけを家族の代表のように見せるのも、見せられた方はどう反応していいものか。
 アメリカは日本以上に家族を大事にする国だが、それでも子供だけを前面に押し出してくるような家族に出会ったことは一度もない。家族全員が揃って正装した写真はごく当たり前のように見かけるが、日本のように赤ん坊や子供だけの写真を「さあどうだ」と言わんばかりに見せる習慣はあまりないのではないのか。
 いつの頃からか日本の社会全体が子供に甘くなってしまったような気がする。おそらく戦後のベビーブームのあたりからそうなってしまったのだろう。高度成長とちょうど重なったことで、GNPを増大させることに躍起になり、消費だけが第一義的な目標になってしまったのかもしれない。その結果、自然と数の多い若い世代の消費ばかりを狙った商品ばかりが店頭に並ぶことになる。政治だけは未だに若い世代中心にはなっていないようだが、それ以外のすべての分野で若い世代の顔色ばかりをうかがう世の中が出来上がってしまった。その典型が「遊園地」のような渋谷の街だったりするのだが、若い世代にばかり迎合すると、内容のあるモノが尊重されるのではなく逆にそれはあまりにも「重すぎる」ものとして敬遠されてしまうようになる。すべてがカタログ的なものばかりに支配されて、上べだけキレイでカッコイイものだけしか見ようとはしなくなってくる。ひと頃カルトクイズというのが流行ったことがあったが、あの番組を見ていて印象に残ったのは、これだけ細かいことを知っていて一体何の役にたつのだろう?ということだった。カルトだから、非常に狭い分野の細かいことの知識が豊富な人が多いのだが、ああいったものが深い知識だとは到底思えない。一つの物事をとことん深く掘り下げていく人たちにああいったオタク的な知識を持っている人はほとんどいない。一つの分野で深さを追求していった人たちは必ず一つの真理に到達するはずだからだ。世の中のすべての事柄に共通してあるもの。それが見えた人たちは本当にシンプルな答えしか出さない。カルト的な知識は、単に細かい分野での浅いオタク的な知識の羅列にしか過ぎない。だから、それを応用することも社会に役立てることもできない。
 世の中が不景気でモノが売れないと嘆く人たちは、中国のことわざにもあるように、「人が月を指差した時バカは指先を見る」のとまったく同じ。そこにモノを置けば消費が伸びるのではなく、買いたいモノがなければ誰も買わないという真理がまったくわかっていない。別に世の中から急にお金が消えてしまったわけではない。バブル期にだけお金があまっていたわけでもない。バブル期に私たちが錯覚したのは、そこにお金がたくさんあると思ったこと。実際にお金が動いてわけではなく、単に数字だけが動いていたに過ぎない。今は、数字が動かないだけ。若い世代しかお金を使わないという思い込みが消費を鈍らせている一つの大きな要因だということに気がついている人もいるし、いない人もいる。世の中の真理として、若い世代が年寄り以上にお金を持っているわけがない。彼ら(若い世代)はローンという借金を平気でできるだけ(それでモノを買う)。年寄りはローンには慎重で、お金を持っていてもそれを使うモノが今の世の中のどこにもないだけ。それならば、年寄りが買いたくなるようなモノを作ればいいということになるが、今の年寄りはそんなリスクを負う気もないし、そんなエネルギーも持ち合わせてはいない。だから、俺についてこいとばかりのどこかの知事に多くの支持が集まったりするのだが、考えてみれば、映画も音楽もTVも料理もすべてカタログ的で「アイスクリーム」のような甘いモノばかりしか作ってこなかったのは今の大人たちなのだから、本当は自業自得なのかもしれないとも思う。だから、そんな自分たちの姿ではなく、これからの世の中を作るのはこういう若い世代なんですよと責任転嫁して子供の写真を年賀状に張ったりするのだろうか?いや、そこまで深く考えているのだったら(ホントは違うと思うけど)、今からでも遅くはない。虚勢でもいいから、自分たちの堂々とした姿を年賀状に張りつけた方がいいのではないのだろうか...。

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