OCTOBER 30のDIARY 『無名ということ』

 

 今年の秋は、何ともあわただしい時間を過ごしてしまったようだ。家のリフォームやら、仕事、そしてさまざまなトラブルで、「あっ!」と気がついたら、もう11月はもう目の前。用事に追いまくられるのは私のスタイルではないし、トラブルで落ち込むのも私の性分に合っていない。ストレスを感じないままにここまでやってきた自分が今さらストレスの種に悩んでどうする?ここは、ひとつ自分を叱咤激励するしかない。
「何やってんだ、私らしくないぞ!」。
ということで、久しぶりに銀座で映画を観る。観たのは、フランス映画の『私の好きな先生』。フランスの田舎オーベルニュ地方の過疎の小学校の先生と生徒のドキュメンタリータッチの映画。これがどこまで本当のドキュメンタリーなのか私にはよくわからないが、先生も生徒も本当の先生と生徒の関係ということなのだから、ある意味ドキュメンタリーなのだろう。イラン映画には、よくプロの俳優ではない子供たちがドキュメント風に登場するが、彼らの作り方は周到な計算と演出のもとに撮影されているので純粋なドキュメンタリー映画とは言えないことが多い。でも、このフランス映画は、かなり自然に見れた。ほんの数カ所先生の側に意図的なセリフや表情が見られたが、それは単に大人ゆえのあざとさなのだろう。それに対して、子供たちの何とカワイくて純粋なことだろう。今どき、日本でも、一年生から六年生までが一つの教室で授業を行うような山村の小学校など珍しい風景になってしまったが、フランスの田舎にはまだこんなのどかな風景が残されていたことを知るだけでもとっても興味深い映画だった。
帰りに、ちょっとお腹がすいたので私がよく行く銀座の老舗の洋食屋で食事をした。しかし、そこで私はかなり不快な思いをしてしまった。私がたまたま座ったテーブルのすぐ前に、テレビでよく見る男性作家の顔があった。そして、その目の前にはサラリーマン風の男性3人。何となくイヤな予感がしたが、その予感が的中したのは、そのテーブルにもう一人恰幅のいい別のサラリーマンが同席した時だ。その彼の声の大きいことといったら。ほぼ満席のそのレストランの他のテーブルはみな静かに語り食事を楽しんでいる風だったが、このテーブルだけが異様にウルサイ。彼らの会話は部屋中に筒抜けだ。話しの内容からすると、その作家先生の登場するテレビ番組のスポンサー企業の社員諸氏なのだろう。テレビの話しから大リーグの話しから、外国で誰に会った会わないのといったいわゆる業界ノリの話しばかり。私は、ただでさえこういった話しの類いが大嫌いなのに、そのひときわ声の大きな彼がやおら携帯電話で話しを始めた時にはさすがにキレそうになった。しかも、かなりの大声で。私は、もう食事を楽しむどころではなくなって、よっぽどそのテーブルにどなりこもうかと思ったぐらいだったが、私も連れが二人いた。あまり事を荒立てるのも大人気ないと思い、最後の最後までがまんをしたが、テーブルを離れ会計に向かう時、こらえきれずにそのテーブルの前に行き、ひとこと文句を言ってその店を後にした。あの人たち、私の言った意味がわかっていただろうか?
私は、基本的に、有名人がキライだ。そして、もっとキライなのは、そういった有名人や芸能人を取り巻く「取り巻き」たち。有名な人やエライ人(世間的にそう言われている人)にへつらいヨイショをする人間を見ると吐き気がするほど不快な気持ちにさせられる。地位や名誉にへつらい、弱者を足げにする人間の「弱さ」は誰にもあるのだろうが、それは、人間の最も弱い部分だ。そうした人間のスノッブな俗物根性は、時として人間の大事な部分を覆い隠す。期しくも、今日の昼間、久しぶりに古くからの友人であるスティールパンの奏者と電話で話しをしたばかりだった。お互い一匹狼で音楽業界でキャリアを積んできた人間同士だが、彼も、メジャーの音楽業界と付かず離れずしながら自分のスタイルと生き方だけはけっしてまげずに生きてきた人間だ。彼は、けっしてメジャーな形での名声は持っていないが、それでもしっかりとしたファンが日本中に存在している。地位や名声、富におぼれることなく生きて来た彼の生き方を私は尊敬する。しっかりと自分の信念を持って子供たちを教育している、あの映画の中の「無名」の先生のように。
別に、今日たまたまレストランで出会った有名な作家先生には何のうらみもないし、彼自身が悪いわけでも何でもないだろう。ただ、その周りにいた人間たちのあの俗物的な態度に不快感をおぼえたのだけなのだと思う。だから、私は、街で有名な人とはいつもスレ違いたくないと思っている。街というのは、一人一人の人間が雑然とした風景の中に無名のまま埋没している風景が一番落ち着くのだから。

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