OCTOBER 1のDIARY 『男はつらいよ』

 

 また今年も金木犀の香る季節になってしまった。毎年、この匂いを嗅ぐと、その匂いのかぐわしさと共に何とも言えない寂しい感情も同時に湧いて来るのだが、今年は、夏という季節をほとんど感じなかったせいか、その寂しさはいつもより少ない気がする。春から夏は明るさへ向かう季節なので、人間の心はわりと開放されるが、秋から冬へ向かうこの季節、人は、次第に迫ってくる冬に向かって、ある種の暗さと寂しさを感じてしまう。木犀の匂いは、そんな季節の到来を私たちに告げてくれている。
 前に書いた映画『フリーダ』のことに関して掲示板に書き込みがあったせいで、男女の恋愛観の違いをちょっと考えてしまった。恋愛という感情が本当に人間にだけ特有の感情なのかという気もするし、同じ人間であっても、旧石器時代、新石器時代の人類が今の人間と同じような恋愛感情を果たして持っていたのかという気もする。ましてや、男と女の間にはどうしても越えられない一線というものがあるような気がしてならない。
 「女性は感覚的に物事をとらえ、男性は理性的に物事を考える」とよく言われる。でも、この言い方、私には疑問に思えてならない。本当に女性は感情的な動物なのか?
 それは、単に、世の中で「仕事」をするのが男性であり、家事、子育てをするのが女性だというような社会的な役割分担から導き出されたある種の「神話」なのではないのかという気がしてならない。
 よく女性同士で会話では、何の脈絡もなく話しがいろんな方向に飛ぶが、男性は筋道をたてて論理的に話しを進める。だから、男性の方が論理的な思考をしているのだ、というような言われ方もするが、これもちょっと見方が浅いような気がする。私は、女性同士の会話がけっして、何の脈絡もなく非論理的だとは思わない。むしろ、女性同士の会話で話題がどんどん違う方向に飛んで行くのは、その人の思考の奥の方では論理がしっかりと繋がっているからであり、ただそれが表面的なことばでつながっていないだけのこと。その証拠に、女性同士ではしっかりと話しが通じあう。つまり、どの女性もことばの裏側で話題の筋道をしっかりと考えているということなのではないのか。
 男女の恋愛のことを考えると余計にその疑問が膨らんでくる。こと恋愛に関して、男性はけっして理性的な行動はとらない。愛しあっていた二人の間にいったん問題が起こると、たいていの場合、男性は問題を深く考えようとせずそこから逃げようとする。「そんな問題、知ったこっちゃない」と開き直るか、あるいは、ひたすら防戦一方にまわるのも男性。別れ話しがこじれようものならば、おおかたの男性は逃げの一手。女性に問題をつきつけられれば突き付けられるほど男性の頭は混乱してくる。それ以上の論理的な思考はもうできない状態になってしまうのが世の男の常だ(「男の思考はこういう問題には向いていない」と男は逃げるが、女性はしっかりと論理的に男性を攻めている)。結果、二人に破局が訪れた後感情をいつまでもひきずるのは男性の側。女性は、いったん納得した結果には絶対に従う(かなり論理的だ)。いつまでも未練がましい行動の取るのは男性の側だ(こういうのを感情的というのではないのか?)。あげくの果てがストーカーに及んでしまうのも男性(女性のストーカーはちょっと意味が違う)。こんな男性の行動を、けっして理性的とは言えないだろう。
 映画『男はつらいよ』の主人公の寅さんは、いつも劇中でマドンナにふられてばかりいる。しかし、実際はふられてばかりいるわけではない。何回かはマドンナの方から求婚されている(私は、「男はつらいよ」を全作品見ている)。でも、そういった時の寅さんは、ただ相手をはぐらかすばかり。自分からモーションをかけることはしても、相手からモーションをかけられた途端、寅さんは一気に「逃げ」に入る。要するに、「ズルイ」のだ。男性が女性に対して最終的にとらなければならない態度は、「愛してる」でも、「好きだよ」でもない。ただ一つ、責任がとれるかどうか。それは、恋愛に対する責任でもあるし、人間としての責任でもある。これは、人間が「社会」という掟を作った時から現在まで変わらない真理だと思う。単純に、「動物」としての人間であれば、男の仕事は「種」をつけるだけ。でも、社会に生きる男性には、「責任」というふた文字がその背中に覆いかぶさってくる。それを、寅さんは拒否するのだ。寅さんが人気があるのは、このあたりにも秘密がある。サラリーマン社会の日本の男性に、寅さんのような生き方などできるわけがない。だからこそ、そうしたことを平気でやってのける寅さんに憧れや羨望を持ってしまう(自分ではできないことを寅さんがやってくれているという意味で)。でも、寅さんみたいな生き方は社会人としても男性としても失格だ。ただ「優しい」だけの「義理」や「人情」にあついだけの男性は、けっして「男」にはなれない。
 ただ、それでも、寅さんの周りには寅さんをにくからず慕う女性が絶えない。三島由紀夫は、女性はいつの時代も「悪い」男と「子供のような」男に魅力を感じると言っていたが、それは多分真理なのだろうと思う。つまり、男性のアウトロー的な不良っぽさと、けっして自立できない「子供」っぽさは、女性にとっては一つの魅力。でも、これを勘違いしてはいけない。こういう男性をにくからず思う女性は、ことばを変えれば、男性よりもはるかに「大人」だということでもあるのだから(しかも、女性には母性本能という強力な武器がある)。
 男性は、ただ単に年を重ねるだけで「大人」にはなっていかない。ある意味「大人」になる努力をしない限りけっして「大人」にはならないものなのではないかと私は思っている。それに比べて、女性というのは、年を重ねるごとに自然に「大人」に成長していくことのできる生物。それは、子供を持とうと持つまいと、家庭を持つ持たないにかかわらずだ。女性が子供を産んで母親になることで変わることは、女性としての一つの大事な「責任」を果たしたという実感を持てることなのかもしれない。それは、男性にはけっしてできないこと。だから、男性は違う「責任」を社会に求める。ただ、男性は、仕事をすることで社会に対する責任を果たしたと誤解する場合が多い。男性が、人間としての責任を果たすためにやらなければならないことはけっしてそんなことではないような気がする。
 そうやって考えると、寅さんの登場する映画のタイトル「男はつらいよ」の意味するところは大きい。このタイトル、本当は、「男」がツライのではなく、「男になるのはつらいよ」と言っているはず。けっして「男」にはなりきれない主人公の寅さん。いつも、男としての責任を放棄しながら、生きること自体に迷っている寅さん。そんな寅さんの回りを、あまりにも堅実に、あまりに律儀に社会に責任を果たしていこうとする健気な人間ばかりが取り囲んでいる。一人の人間を「男」にしていくために、何と犠牲の多いことか。

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