SEPTEMBER18のDIARY 『右目と左目』

 
  ライブが終わって、さあ遅れている本の執筆に専念するぞと意気込んでみたもののいま一つテンションがあがらないところに、何とも気が滅入るニュース。
 北朝鮮に拉致されていた人たちの死亡の報道はいろんな意味で、改めて人間とか国家とかいったものの本質を考えさせてくれた。カップルがデ−ト中に二人共さらわれて他国に連れていかれるなんてことが二十世紀の日本で現実に起こっていたことにも衝撃を受けるが、それ以上に、こうした事実を北朝鮮の人たちがまったく知らされていないことにもそれ以上の驚きを覚えてしまう。言論統制と言ってしまえばそれだけのことだけれども、そうしたことに何の違和感を感じずに暮らしていける社会というのは、ある意味第二次大戦中の日本や、ナチス政権下のドイツと何ら変らないわけで、その状況にある北朝鮮という社会に生きる人たちのバランス感覚をつい考えてしまう。
 いつも口癖のように言っていることだが、人間にとってバランス感覚というのはもっとも大事な本能だし、ある意味人間にとって最大の防衛本能ではないかと思う。宇宙というもの自体が微妙なバランスの上に存在しているとすれば(これ自体正確な表現なのかよくわからないが)、そのバランスが崩れた時、地球自体がいとも簡単に消滅してしまうのは自明の理(大きな隕石一つの衝突で地球が消滅してしまうらしいから)。だとすれば、宇宙のバランスの上に微妙に安定している地球という星の存在もこれまた微妙なバランスの産物。そして、人間の存在も。
 考えてみれば、人間の造形が常に対象のバランスの上に成り立っているのも妙な話だ。目が二つあり、耳が二つあり、鼻の穴だって二つある。口は一つだが、その出口とのバランスがあって始めて成り立つ入り口でもある。
 北朝鮮の人たちが、ある一つの情報しか受けられないというバランスの悪さが社会のバランスを崩し、北朝鮮という国家自体が今現在ほとんど崩壊状況にあって始めて出てきたことが昨日の報道だとしたらあまりにも悲しい。それは、人間そのものの悲しさでもあるから。
 片方の目をとられ、片方の耳をそがれた社会に生きる人間が本当のバランスを保って生きていかれるわけがない。アメリカも、ある意味バランスを失いかけているきらいがあるけれども、それでも、一方の目に反対する片方の目もある分まだ健全さは保っていかれると思う(ブッシュ大統領の意見に、前大統領のオヤジさんが反対しているというのも面白い話だ)。
 もし、この世の中に絶対的な真理があるとすれば、それは唯ひとつのものなのだろう。でも、それを探る人間は相対的な存在。相対的な人間が見る真理は、やはり一つだけではあり得ないのかもしれない。右がいれば左もいる。だからこそ、バランスが保たれるのかもしれない。右目しか持たない社会や左目しか持たない社会はそれだけで、そういう人間的な意味での真理は持ち得ないのだろう。一つの宗教的理念や一つのイデオロギーだけに守られた社会の中では、そのバランスの悪さに人間は気づきにくい。右目と左目の両方で見なければ、人間はモノの形も色も大きさも正確には把握できないはずなのに...。

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