SEPTEMBER1のDIARY 『ワナにはまった大人たち』

 
 暑さがまたぶり返しているけれども、夏がそんなに簡単にひっこんでくれると思う方がアマイのかもしれない(?)。 まあ、とにかく、木犀の甘い香りがそこいら中から匂ってくる季節はすぐそこまで来ていることだけは確かなようだ。
 最近、面白いニュースが多いなと個人的に思う。日本ハムのことや、アニータさんのことなど......。
 人間は生まれながらにして平等だなんてことは誰も信じてはいないだろう。人間は、生まれおちた時点から不平等極まりない状態なのに、日本の社会はそれを無理に平等だと言い包めようとする。社会主義の国でもないのに、システムだけは社会主義国以上に社会主義的なこの国では、誰でも同じような価値と目標を求めることを善とする。それがそもそも間違いの元なのだが、社会が現実的に潤っている間はそれに誰も何の不満も訴えないけれども、いったんそれが崩れ始めると、社会の不平等さや、金銭的な不平等さへの不満が一挙に吹き出してしまう。日本ハム、雪印、そしてアニータさんの事件など、それの典型的な現れのような気がしてしょうがない。
 こういう事件が発覚するのには理由があるわけで、それが全部内部告発で発覚しているということは、まあ要するに、昔だったら、この程度の不正は誰もがやっていることでこれは社会の必要悪だぐらいに大目に見られていたのがそうでもなくなってきたということ。世の中がぎくしゃくしてくると、そんなことされていたんじゃあまりにも不公平だぜ、小さい悪なら目もつぶれるけど、こんだけ大手をふってデカイ所に悪事を働かれたんじゃ黙って見ているわけにはいかないぜ、というようなことで平等論者がどんどん内部告発をし始める。
 ムネオさんのことにしたって、景気がいい時は、ムネオさんと親しかろうが親しくなかろうが、地元なら何らかの利益があったわけだけれどど、景気が悪くなってくると、地元の中での不公平さがもろに目立ってきて、まったく利益を得られない人にしてみればこりゃ黙っていられんぞ、ということになってくる。どうせ地元に利益を持ってくるのだったら、地元全部が潤おうようにしなければ意味がないのにとムネオさんは思わなかったのかな?
 まあ、世の中、「性善説」か「性悪説」かなんて議論があるけれども、本当に性善説なんていうことを信じているのだったら、世の中にルールなんてことも法律なんてものも必要ないわけで、家の戸締まりをする必要だってまったくない。泥棒は百人に一人ぐらいしかいないかもしれないけれど、一人でもいれば戸締まりは必要になってくるわけで、それを取り締まる罪と罰を人間は作ろうとする。本当に公平なのは、この「罪」と「罰」ぐらいしかないと人間は信じているからだ。
 それにしても哀れなのが、アニータさんに大金貢いだ彼氏。愛されてもいないことを知りながら、お金で女性をつなぎ止めようとして結局谷底に突き落とされてしまった彼の今の心境を思うと、もう少し若い時に、愛とか遊びとかを真剣に学んでおくべきだったのではないのとつい言いたくなってしまう。お金を持っていない若い時に、お金で愛情が買えるなんてことは誰も思わないだろう。しかし、ある程度お金を自由にできる年令になってくると、こういう錯覚にとらわれる人が意外と出てくるところが人間の不思議なところ。そのワナにまんまとハマってしまったのかな?アニータさんのダンナは。

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