JULY8のDIARY 『常識のコワサ』

 
  ふだん、毎日のように車を運転している。いつも運転していて一番コワイ存在なのが、バイクとタクシー。なぜコワイか。理由は簡単。次ぎの行動の予測がまったくできないから(現実に怖い目には何度もあっている)。
 トラックは、大きくて邪魔になるだけで、トラックの運転手は運転技術の優れた人が多いので、比較的安心していられる。しかし、バイクとタクシーの後ろにだけはつきたくないといつも思う。おそらく、バイクにはバイクの運転の常識、タクシーには、タクシーの運転の常識があり、その常識が一般的な運転の常識とは相容れないからこうした問題が起きるのだと思う。割り込みや急停車が、一定の路線に従って進まないバイクと、客中心の運転を強いられるタクシーは、私たち一般ドライバーの予測をはるかに越えている。
 世の中何がコワイって、この「常識」ほど怖いものはないとつくづく思う。私たち音楽業界には、その業界の常識があり、芸能界には芸能界の常識があり、政治家には政治家の常識がある。そして、それは普通の一般常識とは相容れない。私たちの間でごくごく当たり前と思っていることでも、一般の人たちの間では全然当たり前ではないことがゴマンとある。音楽業界のような狭い社会の常識が当たり前だと思う方が、本当はオカシイのではないのか?私は、いつも、そう思っている。
 タクシーは急に止まるのが当たり前。タクシーにとっては、それがいくら常識でも、それと同じ道路を走る一般ドライバーにとってそれは脅威でしかない。おそらく、こんなような常識が世の中にはたくさんあるのだろう。
 国と国で常識が違うからお互いの存在が脅威になる。アメリカの常識だけが横行すれば、同じ地球に住む他の人たちは本当に困り果ててしまう。逆に、アラブの常識が、日本でもアメリカでも普通に通用するはずがない。でも、考えてみれば、このような常識の摩擦というか対立というのは大昔からあったのだろうかという気もしてくる。少なくとも、日本にはそれが比較的希薄だったのではないだろうかと思う。
 長い間、島の外の世界を知らなかった日本人にとって、異国のまったく異なる常識との擦り合わせなど、ほとんど必要のなかったことなのかもしれない。それにひきかえ、常にお互いの領土の奪い合いに明け暮れしていたヨーロッパでは、異なる「常識」同士の争いなど日常茶飯事だったのかもしれない。となると、日本だけが取り残されているのだろうか?
 いや、そんなことはないと思う。今、すべての人間は、地球という所に住む生物としての「常識」と、それぞれの場所での「常識」のダブル・スタンダードの擦り合わせを日常的に余儀なくされている。日本人として暮らしていくための前提は、まず地球人。そんな常識を、おそらく二十一世紀ではどんどん迫られてくるのだろう。それぞれの家庭での常識は、いったん外に出れば、すぐに世の中の常識に置き換わる。そして、そのダブル・スタンダードをほとんどの人は苦にしないのと同様に、「日本人」と「地球人」のダブル・スタンダードもそれほど苦にはならなくなってくるに違いない。
 しかし、なかには、それがうまくできない人もいるようだ。バイクを運転する人や、タクシーの運転手が、それぞれが運転している道具は、何のための道具か一歩下がって考えてくれれば、もうちょっとその「コワサ」もなくなるのになとつい思ってしまう。

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