JUNE12のDIARY 『スポーツと組織』

 
  最近サッカーをよく見る。それも当たり前のことなのかもしれない。何せ、この先いつあるかわからない日本で開催されるワールド・カップなのだから。
 日本がどこまで勝ち進めるのかに対する興味はもちろんのことだが、それとはまったく違うことにも興味がある。それは、あのFIFAという団体の中身のこと。
 オリンピックのたびにとりざたされる国際オリンピック連盟(だったか協会だったかよく思い出せないが)という組織や世界各地に散らばる各種のスポーツ組織や団体。スポーツの組織になぜこれほどまでの利権が絡むのか?以前はこれが不思議でならなかったが、最近では、これも当然のことだなと思えるようになってきた。スポーツを単なるスポーツと考えるとわからないことも、これを戦争だと考えると至極納得がいく。スポーツは勝負事。勝ち負けがある。その意味では争いだ。戦争が人類の必要悪だという人は世の中に多いが、それには二つの意味があると思う。一つには、人間の業としての争いに対する欲求。
 これだけ意見の違う人間が何億とひしめきあっているのだから、争いの種は尽きない。だから、戦争は常に起こるもの。そして、それによって人類は発展してきたのだから、これは必要悪。この論理もよくわかる。確かに、今私たちが日常的に利用しているインターネットだって、もともとは軍事目的で開発されたもの。そう考えると、戦争が人類の科学の発展に果たした役割もまんざら捨てたものではない。そう自分に言い聞かせようとするが、いや待てよ、である。どんなに科学的な発展が人類に持たらされようとも、悪は悪だ。これをそう簡単に容認することはできない。
 そして、さらにもう一つの必要悪はさらにもっと始末に悪い。FIFAや国際オリンピック連盟が利権まみれなのは、人類がそうした勝負ごと(つまりスポーツ)に夢中なのを利用してそこから莫大なお金を巻き上げていることだ。戦争はいつの時代でもその当事者以外の人間や国が利益をあげるような仕組みになっている。第二次世界大戦直後の日本の経済が復興できたのも、戦争が終わって5年足らずの1950年に朝鮮戦争が起こったことが大きな役割を果たしているとも言われている。戦争の当事者は多額な金を使わざるをえないが、第三国や第三者はけっこう利益を得ることができる。つまり、「死の商人」というのは、そういう第三者だからこそそう成り得るのだ。そう考えると、FIFAのようなスポーツ団体はけっしてスポーツを行う当事者ではない。だからこそ、ノーベルティや放送利権、著作権などで莫大な利益をあげる仕組みを作り得るのだろう。これは、鈴木宗男の比ではない。通常の建設や土木の利権では、大体その関連業者だけが潤おう仕組みだが、サッカーやオリンピックで潤おうのは単に建設や土木だけではない。国家規模の経済そのものが関係してくる。その意味でも、FIFAの方が、鈴木宗男よりも悪のスケールはデカい。これを、極悪人と言わずして誰を言おうか、だ。韓国は、FIFAに向って堂々と、「あんたら悪党だよ」と言って訴えているみたいだが、日本はきっと何にもできそうもないな。おそらく、日本のサッカー連盟も同じ穴のムジナだからだろう。小悪人が大悪人を訴えられるわけがない。サッカーは実に面白いスポーツだが、このワールドカップの裏にこれだけの問題が起こるのも、これが世界最大のスポーツだからだろう。
 それにしても、人間というのはつくづく組織を作りたがるものだなと思う。組織は数。数は力。だから、人間はその中に群れたがる.....。
 ああ、やだやだ。組織とはまったく無縁の私は、ビール飲んで、ただただサッカ−見てる方がよっぽど楽しいナと思う。

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