MAY 3のDIARY 『男と女』

 
  駐車場で車を降りると、目の前にコンビニがある。帰り道、ついついいらぬ買い物をしてしまうのだが、今日は帰りを急いで寄らずに帰ってきた。しかし、いつもなら中学生がたむろしているコンビニの前に、一人中年の男性が腰を下ろしてパンを食べていた。深夜の1時近くである。単身赴任なのだろうか、それとも、酔っぱらってそのまま帰りずらく、コンビニの前で時間をつぶしているのだろうか?どちらにしても、寂しい光景だ。家にいたくない中、高生が、わざわざコンビニの前でパンや駄菓子を食べているのとはわけが違う。五十近く、あるいはそれ以上の男性が一人、コンビニの目の前で黙々とパンを食べている姿は、正直言ってあまり見たい光景ではない。
 連休の前半に伊豆に行っていた(込み合う3日以降の前に帰ってきたが)。伊豆の家にはテレビもビデオもないので、近くのツタヤでよくDVDを借りてくる(パソコンで見れるからだ)。
 借りてきたのは『マグノリアの花』。典型的な女性映画。前に何度も見ているくせに、しょうこりもなくまた借りてきて見る。この映画、サム・シェパードとか、演技派のいい男性俳優がたくさん出ているにもかかわらず、男の影はとことん薄い。もちろん、そういう作りの映画なのでしょうがないのだが、こういう映画を見ると、「男ってのは、とことんしょうもない存在だよな」と思ってしまう。現在、環境ホルモンとかの影響で、雌雄同体の生物が増えているという話しをよく聞くが、その場合、雄が雌の役割も兼ねるというよりは、雌が雄の役割もこなすという方が正しい。雄の生殖能力が衰えているから、雌が代わりに雄の役目を果たす。どんな生物でも、子供を産むのは雌の役割。雄の役割は、ただ単に精子を卵子に注ぎ込むだけ。その役割さえ果たせば、後はメスがすべての面倒を見ることができる。
 ということは、果たしてこの世の中に男性の役割がどれだけあるのだろうかはなはだ疑問に思える。学生時代に、私の所属していたサークル(といっても名ばかりのものだったが)が学園祭で野坂昭如を招いて講演会を行ったことがあった。ちょうどその頃、彼が歌った『黒の舟歌』という曲がヒットしていて、彼に講演と一緒にその歌を歌ってもらった(その頃は、カラオケなどという便利なものがなかったので、私がピアノで全部 伴奏をつけた。あんまりウマクはなかったが...)。今、彼が歌手だったということを知っている人はそんなに多くはないかもしれないが、彼は、当時ある意味アーチストの一人でもあった。その曲の歌詞は、「男と女の間には、深くて暗い河がある......」という風に男と女のスレ違うさま、理解できないさまを厭世的に歌った非常に暗い歌だったのだが、今でも、この歌は真理をついていると思う。
 男性と女性。所詮、まったく違う生き物。そう理解した方が、逆にお互いを理解しやすくなるのではないだろうか?つくづくそう思う。女性の染色体がXX で、男性がXY。もともと能力的に劣るY遺伝子を半分持っている男性は、最初から女性には太刀打ちのできない存在。だから頑張るんだろうナ。そう理解した方がわかりやすい。「弱い犬ほどよく吠える」というけれども、男性は女性より弱い存在だからこそ、威張っていたいのだろうし、わがままを言っていたいのかもしれない。
 所詮、お釈迦さまの手のひらで踊らされている孫悟空のように女性の手のひらで踊らされている男性、という図式が見えないでもないが、それにしても、コンビニの前のお父さん。もっと頑張って欲しいナ。まだまだ人生終わったわけではないんだから....。あんな姿、娘さんや息子さんが見たらどう思うだろうな?
 カラ威張りでもいいから、お父さんはもっと凛々しく立派であって欲しいと思う。

ダイアリー.・トップへ戻る