APRIL 18のDIARY 『夫婦別姓』

 
  夫婦別姓のことがまた政治的な論議の的になっているようだが、この問題を法律的に制度化することも重要な問題かもしれないが、それよりももっと大事なことがあるような気がする。
 夫婦別姓に反対する人たちの意見は、父親と母親の姓が違うことによって、親子の関係が混乱して、家族がバラバラになってしまうのではということのようだが、この意見、私は、あんまり説得力を持たないような気がする。いま、ただでさえ家族の関係は正常に機能しているとは思えない。家系を守るというこれまでの旧来の家族制度を懸命に維持しようとしている家族が今の日本にどれだけあるのだろうか?長男であろうが、次男であろうが、家督を継いでいくというこれまでの家族制度や家制度の習慣が、現在の日本の家族関係にどれほどの意味を持っているのかがまず疑問だし、親子の情や愛情の持ち方にしても、今の核家族の現状では、親の側からそういった愛情による親子の絆をうまくコントロールできないのが大半のような気がする。要するに、家族関係を壊しているのはむしろ親の側の方で、子供の方は、いったん壊れてしまった家族関係を今さらどんな法律を作ろうが、もはやこれ以上取り繕うことは出来ないのではないかと思っているのではないだろうか。夫婦が永遠に別れないということを基本に考える家族関係の方がむしろ時代にそぐわない。
 クローン授精ではなくても、両親の精子と卵子がきちんと受け継がれる人工授精で、DNAだけが本当の親子の関係でいられる時代もそこまで来ている。ということは、たとえ親子であっても必ずしも同居している必要性はないし、自分のDNAを受け継いだ子供が世界中にバラまかれてしまう状況だって考えられる(私が、自分の精子をバンクに預ければ、私の精子は世界中で私のDNAを持った子供を作り続けることになる)。しかも、これは精子側だけの問題でもないし、卵子だけが一人歩きして子供を再生産する可能性だってある。
 フランスでは、ずいぶん前から結婚をせずに同棲で子供を作っていくカップルが増えている。となると夫婦別姓は当たり前というような状態だが、それでもうまく機能している家族はたくさんあるだろう。逆に、正式に法律的な夫婦の形をとっても、うまく機能しない夫婦もたくさんある。問題は、家族全員が同じ姓でなければならないという家族形式がこれから先どれだけ機能していくかという問題で、この問題と親子の愛情の問題は必ずしも一致しない。
 私の姉夫婦は、未だに別姓の夫婦。私自身も、認知された嫡子だから、当然、父親と母親は別姓。小さい頃、そういった親の事情がまだ飲み込めない頃、母親と父親の姓がなぜ違うのだろうと疑問に思ったこともしばしばだっただが、それでも、だから、親子の関係がぎくしゃくしたとかそういったことは一度もなかった。滅多に姿を見ることのなかった父や、仕事の忙しい母の代わりに、祖母や叔母がそれなりの愛情を持って育ててくれたからだろう。DNAをはっきりと受け継ぐ親子の関係は歴然とした事実としてそこにある。しかし、そのことと親子の愛情は一致しない。遺伝子を受け継ぐことは、その人間の内面的な状況をある程度は規制するが、全面的に束縛はしない。パーツが似ていたり、性格が似ていることは「何か」を親からもらったということ。それよりももっと大事なのは、どれだけ子供が愛情を「もらう」ことができて、どれだけ愛情を「与える」ことができるかということなのではないだろうか?それさえ確認できれば、子供は親を「親」として見ることができるし、親も子供をきちんと「育てた」と言えるはずだ。

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