FEBRUARY 28のDIARY 『政治と夢』

 
 おそらく、今年の2月を絶好調で終えた人も珍しいのではないのだろうか。それぐらい、今の日本の不況は深刻だ。私もご多分にもれず、最悪の2月だったような気がする。それでも、少しはイイこともあるもので、神さまも多少のバランスは考えていてくれるらしい。
 ヴァレンタイン・デーのキッチン・ライブは、私の生涯でもかなりベストの部類に入るぐらいの気持ちのいい日だったし、昨日行った保育園でのボランティア演奏もとっても感動的な一日だった(子供は社会の宝とはよく言ったものだ)。
 自分の夢って何だろう?っていつも考える。小学校の時、「将来の夢」とかいって、自分がなりたい職業ややってみたいことを誰しも書いた記憶があるだろう。今問題になっている鈴木議員の小学校時代の夢も政治家だったというのをTVの番組で知って、「ああ、この人は自分の夢に対する思いが相当に強い人だったんだな」という感想を持った。二世議員でもない限り、将来の夢を「政治家」と書く人は、今の子供にはあまりいないのではないだろうか。しかし、現在54才という鈴木議員の小学校時代であれば、それはうなづける。社会全体で政治が渇望され、政治家が憧れられる時代だったからだ。
 夢というのは、それをずっと持ちつづける人、思い続ける人には、必ず何らかの見返りがある。私はそう思っている。現に、私がなりたいと思っていた2つの職業。シェフと保父。それは、職業にはこそならなかったが、今回のキッチン・ライブや、保育園での演奏で、ある程度、自分の思いは遂げられたような気がする。もちろん、自分が思い描いていた形はこんなんじゃない!と言ってしまうのは簡単だけれども、職業として選んだ音楽家以外に、自分が持ち続けてきた夢は、形こそ違え、何とか実現されているような気がしないでもない。必ずしも、職業として夢を実現することだけが、夢の実現とは限らないのだから。そして、これから先もまだ何が起こるかわからない。私には、まだまだ実現されていない夢がある。 それを、着実に一つ一つ実現していくという作業も行ってはいくが、ただ単にそれに向ってまっしぐらという形でなくても、どこかで、どんな形かはわからないが、自分の夢は何らかの形で実現されていくような気がする。ただ単にひとつの形にこだわっていると、その形自体が目的化して、それこそ、「仏作って魂入れず」か、あるいは、中国のことわざにもあるように、「人が月を指差す時、バカは指を見る」といった風に、本当の目的、本当に目指さなければならないものを見失ってしまうことにもなりかねない。
 鈴木議員の場合、あまりにも叩き上げ意識が強すぎて、自分の目的をどこかで見失ってしまったのではないのだろうかという気がしてならない。政治の目的は、政治家が個人や会社の利益を守ることでもなければ、政治家がエラクなることでもない。政治は、あくまで社会に生きる人たち全体の利益を守ることにあるはずなのに、今の政治は、政治という「力」を示すことだけ、あるいは、政治家がエラクなることだけが政治だと思われているところに、私たちの政治の悲劇があるのではないだろうか?

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