ANURARY 7のDIARY 『建物の価値』

 
 今日は七草粥。近所の八百屋に売っていたので、早速作って食べる。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロと小さい頃に覚えさせられた七つの草の名前は今でもスラスラと淀みなく出てくる(太陽の惑星の名前のように小さい頃に無理矢理暗記させられたものは意外と忘れないものだ)。ただ、その姿形はよくわかっていなかった。スズナがカブみたいで、スズシロが大根のミニチュアみたいなものだということは、今日初めて知ったかもしれない。とにかく、食べてみるが、この七草たちに格別深い味わいがあるわけではないので、やはり正月のおせちをたくさん食べた後の胸焼け気味の胃腸を整腸する意味あいの方が強かったのではないだろうか。
 そう思って七草を食べていたら、ラジオで園児とそのお母さんたちが七草を食べていると、目黒の幼稚園の話題を放送していた。何でも、この幼稚園、今とんでもない方法で校舎を改築しているのだと言う。福島県の廃校になった小学校の校舎をそっくりそのまま持ってきて増改築をしているのだ。それは、さぞかし大きな幼稚園なのだろうと思って聞いていたら、2970平方メートルもあるという。うわあ、これはかなり大きな幼稚園だ。目黒区にそんな大きな幼稚園があったこともかなりの驚きである。
 福島県にあった築68年もの古い校舎を4トン・トラック22台で運んだというのだから相当大掛かりな引っ越しだったに違いない。栗の木の梁に福島杉とくれば本当に古い昭和初期の田舎の校舎が目に浮かんでくるようだ。
 この話しを聞いてこれまでの日本の建築の歴史と街作りの歴史とヨーロッパのそれとの違いを思った。ヨーロッパでは、古い建築物が老朽化すると、外観を残したまま内部だけ新しいものにしていく。つまり、外観はそのままだが、内部がすっかり新しくなるので、また数十年はその建物は外観をまったく変えずに維持されていく。しかし、日本では建物としてよっぽどの価値があるもの以外はあっさりと取り壊されそこにまったく新しい建築物が建ってしまう。しかし、奈良、京都、鎌倉、金沢といった古都では若干事情が違う。それは、環境と建物がそれなりの歴史的・環境的調和を保っているために、その場所に当然あってしかるべき建物ばかりだから、ヨーロッパの場合と同じように外観も中身も両方、なるべく維持していこうと努力する。国も、そのためには多少お金を出す。それが、東京ではデタラメだ。もともと都市計画なんていうものがなかった都会だし、江戸時代から「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていたぐらいなのだから、壊れちゃ建て、壊れちゃ建てを繰り返してきた。だから、その建物がその環境に合うか合わないかなんてことを一切無視して建物が建てられている。結果、自分の家の壁は白で、隣の家はブルーなんていう外観上とんでもない街ができあがってしまう。
 その目黒の幼稚園の園長さんの話しでは、そういった古い建物の自然環境を生かして、子供たちの教育に役立てようという意味あいのことは言っておられたが、それだけで、この福島の校舎を東京まで持ってくるのはかなりの一大事である。もちろん、費用の面でもそうだが、何もそこまでという気が私たち部外者にはしてしまう。おそらく、もっと遠大な意図が隠されているのだろう。戦後日本はそれこそむやみやたらにダムを作ってきた。今でも、長野県で田中知事がその問題をかかえているが、そういったダムができるたびに私が思ってきたのは、そうしたダムの底に沈む家々や学校、そして診療所、役場などの建物のことだった。こうした建物を何らかの形で残しておけないものなのだろうか?ずっと思い続けてきた。そして、今日のラジオの番組だ。
 そうだ、こういう方法もあるではないか。福島の閑村に置いておけないものであれば、それをどこか別の場所に移してしまう。それが、たまたま東京のど真ん中というのがある意味驚きではあったが、この方法は他の場所でも考慮すべき方法なのではないだろうか?ラジオのレポートを聞きながら本当にそう思ってしまった。

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