DECEMBER22のDIARY 『百歳の映画監督

 

 年末になるとなぜにこれほどまでに道路が混むのかよく理解できない。ふだん車を利用しない人までが利用するからとしか思えないが、きっとそんなことではないんだろう。ただ単に12月が終わるまでに仕事や用事をやり終えてしまわなければ気がすまない人が世の中にはたくさんいるからだけのような気がする(年が変ることがそれほど一大事なことなのだろうか?)。
 今年最後のライブも無事終わった。考えてみれば、今年はかなりいろんなことにチャレンジしたような気がする。コース料理を作ってそれをお客さんに出し、そしてその後に演奏するというキッチン・ライブのスタイルを始めたのも今年だ。シェフとアーティストの両方を一人でやってしまう「一人完結型ディナーショー」みたいなものだ。何事につけ人の力を借りるのがキライな私は、すべて自分一人でやってしまいたがる自己完結型の人間なのかもしれない。でも、そういうタイプの人間は往々にして「一人よがり」になってしまうので、私自身それだけは気をつけてきたつもりだ。だから、今回のライブで「歌を歌った」ことも、お客さんの心に何かしらのものを届けられなかったのであれば、次回以降も続けていくつもりはまったくなかった。自分が客になってみれば、単に一人よがりのアーティストの自己満足の舞台に高い金を払う必要はこれっぽっちもない。何かしらのモノを得たいからお金を払ってライブやコンサートに行くのだ。至極当たり前の話しだ。逆に言うと、アーティストは、お客が払ったお金に見合うだけのモノを客に与える義務がある。これを忘れているアーティストは意外と多い。「自分たちは<アート>をやっているのだからお客が満足しようがしまいが関係ない」といった態度のアーティストを見ると私自身とっても腹がたってくる。音楽がそこにある理由はただ一つ。人間がハッピーになること。「不幸の手紙」じゃないんだから、わざわざ高いお金を払ったり忙しい時間をさいてまで不幸になりたいなんて思う人はいない。人が音楽に求めるものを与える役目をアーティストは負っている。ただそれだけ(幸い、私の歌は評判ヨカッタみたいだから来年以降も続くかナ?)。
 先日『8人の女たち』というフランス映画を見た。つい数カ月前に見たシャーロット・ランプリングの主演した『まぼろし』という映画を撮ったフランソワ・オゾンという監督が作った映画だ。実に面白い。まだ見てない人はぜひ見ることをお勧めする。密室殺人事件の謎ときストーリーも面白いし(意外なオチがある)、何よりこの映画で一番イイのは、登場する8人の女優たちの演技と歌と踊り。そう、この映画はシリアスな劇なのだが、ミュージカルのように、突然歌や踊りが出てくる。要するに、キャラクターの違う8人の女性(全員が犯人に思えてくる)たちの心情や境遇をそれぞれが歌で表現するという仕掛けになっている。しかも、フランスやイギリス、アメリカの50〜60年代の古いポップスの中から彼女たちのそれぞれの気持ちにぴったりの楽曲(歌詞)をあてがって歌わせるシーンがとてもいい。カトリーヌ・ドヌーブやエマニュエル・ベアールといった女優の歌や踊りが「滅多に見られない」モノを見たような気がして得した気分にさえなってくる。
 『アメリ』の時もそう思ったのだが、最近のフランス映画、大分変ってきているなと思った。よく言えば、これまでダサかったフランス映画のエンタテインメント性がより洗練されてきたとも言えるし、悪く言えば、ハリウッドかぶれしていなくもない。ただ、気位の高いフランス人がアメリカの物まねだと言われて満足するはずがない。この傾向がこれから先どうなるか楽しみなのだが、その『8人の女たち』を見た同じ日の新聞に、レニ・リーフェンシュタールの最新映画『海中の印象』がフランスとドイツで公開されているという記事があった。彼女は、言わずと知れた現在世界最高齢の映画監督(百歳ですよ、今年!)であり、ヒトラーの愛人とも言われたナチのプロパガンダ映画をたくさん撮った女流映画監督の草分け的な人物だ。
 このリーフェンシュタールという人の生き方を見ていると、人間にとって一番大事なものは「生きたい」という情熱であり、その情熱を燃やすために必要なモノこそが自分の存在を確認できる「何か」を持つことであるということがよくわかってくる。もちろん、この人は、第二次大戦中の自分の行動に対して何一つ自己批判はしていないのだが、戦後のそうした自分に対する非難や糾弾をもろともせず、七十代でダイビングの免許を取り(これもウソみたいな話しだが)海中記録映画を撮ったり、アフリカで長年に渡っていろんな部族の写真をたくさん取ったりして自己の「アート」を継続し現在に至っている。百歳で未だに現役映画監督としていられるという彼女の中に(戦時中の問題は抜きにしても)、必死にアーティストたらんするあくなきエネルギーのようなものを感じる。人間、自分の居場所や自分の存在が確認できるうちは、「生きる」ことをやめない。彼女は、まさにいつまでもそれを持ち続けている人なのだろうと思う。

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