SEPTEMBER 9のDIARY 『歴史の香り』

 

 2日前にスーパーで買い物をしていたら、松茸を見つけた。小さなものが2つ入って1000円。輸入ものの安いやつだ。国産のものだったら、この3倍か4倍はする。一瞬どうしようか迷った末買った。 別に松茸を買うつもりでスーパーに来たわけではないので、この衝動買いに自分の気持ちをどう決着つけようか迷い、帰って松茸御飯を作った。 出来上がった松茸御飯を食べて、やはり買わなければよかったと思った。御飯自体のできは上々だった。でも、松茸の香りがあまりしない。いや、しないわけではない。 香りは何となくするものの、あの「匂いマツタケ、味シメジ」と言われるような馥郁(ふくいく)とした香りがどこにもない。 「松茸から香りをとったら何が残るのだ?」。やはり安物の松茸を買った酬いだ!?
 今年は木犀の香りが遅い。昨年は、夏が終わるか終わらないかの頃から芳香を漂わせていた。7月のあのバカ暑さの後、かなり涼しくなり、夏から秋への切れ目がいまいちはっきりしないまま9月に突入してしまったせいなのだろうか?あの金木犀の香りを嗅がないと秋が来たという実感がわかない。 でも、最近は、沈丁花やクチナシ、バラ、モクセイの有名な香りは化学的に合成が可能になったせいか、季節感に関係なく嗅ぐことができる。極端な人は、こうした匂いを「トイレの匂い」と形容する場合すらある。香水の故郷のフランスのグラース地方(南仏のプロヴァンスにある)では、ヴァイオレット、バラ、ミモザなど、季節ごとの花が咲き乱れ、それを香水の原材料として抽出し、そこから香水を作る産業が発展してきた。 日本や中国では、香水という製品ではなく、「源氏物語」にもあるように、ビャクダン(白檀)やキャラなどの香木をいぶして薫香する習慣が代わりに盛んになった。だから、オーデトワレとかオーデコロンなんかがあったわけではないにもかかわらず、香りの楽しみ方は実によく工夫されている。扇子に香りを焚きしめたり、和服を衣紋掛け(えもんかけ。この場合、ハンガーといってしまってはダメ。実際、ハンガーではないし)にかけ、その下から香を焚きしめる。 だから、その移り香が着物にしみこんで、香水の役目を果たしていた。歌舞伎役者は、自分の出番の寸前まで十分に香りをしみ込ませた衣裳をまとい花道をさっそうと舞台へ駆け上がっていったので、花道の周りの客はその香りをもらうことを楽しみにしていたという話しだ。きっと、目をつぶっていても、「あ、成駒屋が通った」とか香りでわかったのだろう。香りのオシャレというのは、けっこう粋だ。別に、歌舞伎役者でなくても、江戸時代は、一般庶民でもそんなことをしていたのだろうと思う。
 江戸時代の江戸の街の匂いがどんなものだったのかなんて、今ではわかりようがないけれど、きっと同じ頃の十八、十九世紀のパリの街よりはいい匂いだったのだろうと思う。汚物を家々の窓から通りに投げ捨てていたパリの街や、汚物を垂れ流しで歩いていたベルサイユ宮殿の中の匂いより、江戸の街の方がはるかに心地よいものだったに違いない。ヨーロッパは、日本よりもかなり早く下水道の設備ができていたはずだが、あれだけ匂いの強いスパイスを使った料理とか、香水を体中にふりまかなければ生活できなかったことを考えると、街の匂いは相当臭かったに違いない。それに比べて、江戸も街には下水道はなかったけれども、江戸中至る所に運河や川があったわけだから、きっとそのせいで匂いが浄化されていたのかもしれないなんてよく考える。 もちろん、これは、私の勝手な推測なので、学者でもない私には本当のところはよくわからない(杉浦日向子、荒俣宏の化け物夫婦にでも聞けばわかるのかな?)。
 香りはすぐに消え去ってしまうが、香りの記憶は永遠に残る。私の遺伝子のどこかに、江戸時代に生きていた先祖の誰かの匂いの記憶が残っていないものだろうか?そして、それが何とか抽出できないものだろうか?そんなことができたら、歴史は香りを通じて脳細胞レベルで永久に残っていくのに。
 そんなSF、書いてみようかな?

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