SEPTEMBER 15のDIARY 『9/11テロの問題点』

 

 ライブが14日(金)だということもあって、今週はそのためのリハが数回あった。12日もリハが昼から夜まであったのだが、その前日のニュースのために、ほとんど睡眠もろくにとらずにリハーサルをやるはめになった。そのニュースとは、もちろん、例のテロ事件のニュースだ。おそらく、あの日は世界中の国であのニュースにかぶりついている人が大勢いたに違いない。アメリカのネットワークは、未だに24時間体勢で、「AMERICA ON ATTACK-襲われたアメリカ」というコピーであのニュースを流し続けている。
 今日、車の中でFEN、つまり在日米軍のラジオ放送を聞いていたら、アメリカがイスラム原理主義者に対する報復行動に同調する国としない国で「踏み絵」をするような意味あいのことを言っていた。 私が最も恐れていたのはこの事だ。アメリカにこれをやる権利はどこにもない。アメリカが「襲われた」最大の理由は、このアメリカのごう慢さにある。その事に気がついていないのは、当のアメリカだけかもしれない。
 私はアメリカが大好きだ。私は、アメリカ人の税金でアメリカの大学と大学院で勉強できた。私のもらっていた奨学金は、すべてアメリカ人の税金だ。だから、私はある意味、アメリカという国に育てられたわけで、そのことを私はとっても感謝している。しかし、私がどうにも我慢のならないアメリカもそこには同時にあった。世界の覇者という自信とその傲慢さ。アメリカという国の最大の欠点はそこにある。もちろん、それはかつて欠点などではなく、とても有効に機能していた。産業革命以降の西欧合理主義が支配していた二十世紀という時代には、アメリカという国の合理的なシステムは、最も便利で最も有効なシステムだったのだと思う。でも、今は違う。十八、十九世紀のヨーロッパ覇権主義が、アメリカという合理性にすべて取って変られた二十世紀の新しい覇権は、二十一世紀の現在、アメリカにはないと思う。かと言って、アジアにあるわけでもアフリカにあるわけでもない。 ではヨーロッパかというとそうも言えない。おそらく、二十一世紀に、国家というシステムが覇権を持つことはあり得ないのではないか。私には、そんな気がしてならない。
 イスラムというシステムは、国家を超えている。もちろん、イスラムは宗教だが、宗教だからこそ、最初から国家を必要とはしていない。
 一体アメリカはどこに報復しようとしているのだろうか?
 アフガニスタンという国家がその攻撃目標になるとは思えないし、アフガニスタン一国をつぶしても何の解決にもならない。二十世紀型の戦争では、勝利した国が占領した場所に旗をたてて、「勝った、勝った」と勝利宣言をすればよかったが、現在、そんな戦い方で勝利をおさめたと思っている国はどこにもない、アメリカを除いて。アメリカは、未だにこのやり方が戦争だと思っているのかもしれない。イスラム原理主義の集団タリバンは、「聖戦」でアメリカと戦い死ぬつもりだというようなことも言っていた。 大体において、タリバンは国家でも何でもない。アメリカは、またベトコン相手のような泥沼の戦いに突入しようとしているのだろうか?もちろん、今回の「戦い」のきっかけは、今回のテロかもしれないが、そもそもの原因を作ったのはアメリカだ。アラブとユダヤの戦いは、エルサレム建国の時から。この2つの宗教の間には、それまでにそれほどの軋轢はなかったのだから。 世界の流浪の民ユダヤ人に無理矢理国家を作らせたのはアメリカではなかったのか?昨年のクリントン大統領の無謀な点数稼ぎのスタンドプレーが今回のテロの直接の引き金を引かせたとはアメリカ人は考えないのだろうか?おそらく、そう考えるアメリカ人は少ないだろう。単に、アラブやイスラム憎し、しか彼らの頭にはないのかもしれない。そのアメリカは、これから世界中の国に、アメリカの味方なのかどうかの「踏み絵」を踏ませようとしている。
 「アメリカ」という「国家」の存在が世界の危機の源だということにアメリカ自身が早く気づかない限り、世界の緊張が解かれる日はなかなか来ない。

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