SEPTEMBER 1のDIARY 『父子の釣り』

 

 近頃、魚ネタ、釣りネタで若干盛り上がっていることもあってちょっと思い出した映画がある。それは、小津安二郎監督の『父ありき』という映画と、ロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』だ。
 どちらも、釣りがテーマの映画ではないのだが、釣りのシーンがけっこう重要な使われ方としている。『父ありき』では、妻と死別した父親の笠智衆とその息子が一緒に川で釣りをするシーンが二回登場する。たった二回?思われるかもしれないが、これがけっこう重要な意味を持っている。高校の教師をしていた父がボートの事故で生徒の一人を死なせてしまう。別に、彼自身に責任は何もないのだが、律儀な彼は教師という職業に限界を感じて辞職する。 そして、しばらく田舎で子供と二人でのんびり暮らそうと決意する。その時に父と息子が二人で川岸で並んで釣り糸を垂れるシーンがとっても象徴的。
 川上から川下にかけて流れにそって竿を動かし、そしてまた川上に竿を戻す。その繰り返しの動作を父子で寸分違わないタイミングで行う。その姿が、川の流れと周りの自然に溶け合って実に美しい。そして、それから十数年たって、子供が生長し、父のかつての職業だった教師になって、今度は再会を機に二人でまた並んで釣り糸を垂れる。このシーンも、小さい時とまったく同じ動作で寸分違わず繰り替えされる。
 生長した息子は、仙台に就職しているが、父親はずっと東京で働いている。親子離ればなれでいる状況を一日でも早く変えたいと望んでいた息子は、仙台の仕事を捨てて、東京で働きたいと言い出す。そうすれば、父と一緒に暮らせるから。しかし、父は、その息子のことばを断固突き放す。「人間にはそれぞれ分(ぶん)がある。与えられた仕事、それが天職だ。分相応の仕事をすることが天分なのだ」と。本当は、父親も息子と一緒に暮らすことを長い間待ち望んでいたにも関わらず、わざと息子の甘えを厳しく叱る。息子を一人前に育てたい父が千尋の谷に突き落とすライオンのように諭す場面だ。そして、父の説教を素直に受け入れるこの親子関係が爽やかでけっこう美しい。 ただ、この1942年製作(戦争中だ!)のこの映画の思想、今の日本ではそれほど素直に受け入れられることはないのかもしれない。
 一方の『リバー・ランズ・スルー・イット』は、日本竿の優雅な川釣りではなく、モンタナの山の中の川でのフライ・フィッシングが、やはり父と息子(この場合は兄弟二人だが)の間で展開される。ここでも、釣りは、子供たちが幼い時、厳格な父と一緒にするシーンと、子供たちが大きくなってからのシーンの二つに大きく分類される(厳密に何回釣りのシーンがあったのかは思いだせないが)。プロットもシチュエーションも国も時代背景もまったく違う二つの映画だが、何か共通するものを感じる。それは、父と息子の心の交流に果たしている「釣り」という遊び(これをどう呼ぶかは人によって違うだろうが)の奥深さに起因しているのかもしれない。そして、「釣り」という沈黙の行為を通して対話する父と息子の心の触れあいがこれほどうまく描かれている映画を、私は他にあまり知らない。
 父と息子というのは、同性だけに常にライバル意識が働く。父は常に乗り越えていかなければならない存在。その世代の違う二つの人間を一体化させるものが「釣り」なのかもしれない。私は、父を10の時になくしているので、一緒に釣りをしたことも、一緒に遊んだ記憶もあまりない。しかし、親子というものは、いったん死別いたからといってそこでアッサリと関係が切れてしまうものではない。父が死んでもうかなりの年がたつにもかかわらず、未だに父の残像は私の中から離れない。自分が年をとれば取るほど、自分の中に父親が深く侵食してくる。どうしようもない「血」のつながりと相似性は、最近DNAとか遺伝子とかいったことばに置き換えられることが多いが、この呪縛からはそう簡単には逃れられない。最終的に、父親をどう乗り越えて生きていくのか?もがけばもがくほど、そこに収斂されていく人生が怖くもあり、またおかしくもある。
 でも、『父ありき』の中の笠智衆の息子役が佐野周二(関口宏の父親だ!)というキャスティングも、思わず「おいおい本気かい?」と思ってしまう。おそらく、この二人、映画を撮った時点でそれほど実際の年は違わなかったのじゃないんだろうか?(笠智衆のプロフィールってよくわからないが、ヴィム・ベンダースの『東京画』とか見ると、相当若い時からフケ役をやっていたようだから)。

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