MAY 6のDIARY  『エコロジカルな考え方』

 

 エコロジカルな考えはもともとある方だと思っていたが、エコロジカルな行動をするのはそれほど好きではない。というのも、自分としては、エコロジカルな生き方や行動がかなり偽善的だと思っていたからだ。割り箸を使うのが森林を助けるみたいな考えには、ちょっと底の浅いエコロジカル的な欺瞞を感じないわけにはいかない。
 最近、米のとぎ汁がほとんど出ない米が売り出されていて、それが環境にいいとか言われたりする。昔、中性洗剤が諸悪の根源のように言われて、洗剤を使わないために米のとぎ汁で何でも洗っていた時代があった。これは環境のために、川を汚さないようにとやったことだった。でも、この「とぎ汁のない米」の考え方からすると、私のこの行為は、環境にとっても悪いことをしていたということになる。本当はどちらが正しいのかよくわからないが、私としては今でも米のとぎ汁がそんなに環境を悪化させるとは思えない。そんなことに気を使うのならもっと気を使わなければならないことはゴマンとあるような気がする。
 これも昔の話しだが、御飯を炊いた時にできるオコゲが体にいいと言って食べさせられていた時代があった。しかし、これも最近ではオコゲは炭素だから逆に癌の原因になるとか言われて悪者扱いされる。それと、これはあまりエコロジーとは関係ないが、お米を食べると頭が悪くなる、パンを食べれば頭が良くなるとか言って、戦後の学校給食はすべてパン食になってしまった。それと同時に、この世で一番まずい食べ物の脱脂粉乳のミルクを当時の子供たちは給食で飲まされた。これは、今思えば、単純にアメリカの陰謀だったことになる。無理矢理、日本に、アメリカの麦とあまった脱脂粉乳を輸入させていたのはアメリカで、パンを食べると頭が良くなる云々は、アメリカと日本の政府が考えたキャッチ・コピーである。つまり日本人のほとんどはこの広告に踊らされてパンは体に良くて米を食べると健康的でない(米を食べると太るとまで言われていた)思い込んでいたのだ。今では、逆に米はダイエット食品で、パン食よりも健康食品とまで言われている。要するに、時代が変れば、政治的な状況が変ればものの見方もおのずと変るということで、結局は何も信じない方がいいということになる。
 政治は信用できない。政治家は信用できないと簡単に切って捨ててしまうのは簡単だけど、それでは本当は私たちが困ってしまう。南海の孤島に一人で住むのでもない限り、政治のつけは必ず私たちにハネ返ってくる。本当はエコロジーの問題にしても、政治がちゃんと何が正しくて、何が間違っているか教えなければいけないはず。そうでなくては、企業の論理ばかりが優先して、本当は必要のない「とぎ汁の出ない米」を買うことがエコロジーなんだというような、「パンは頭がよくなる」式のキャッチに私たちはまた騙されることになってしまうからだ。

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