APRIL17 のDIARY 『匂い』

 

 春らしい陽気がここ何日も続いている。雨が少ない上に春特有の風が強い日が多いからモノモライになったりしやすい季節だ。小さい頃はこの時期、よくモノモライになった。不用意に手で目をこすったりするからだと思う。年を重ねるにつれてあまり目をこすらなくなった。かゆみがある時にはこすったりするが、なるべくこすらないように我慢する。しょうがない時は目薬をさしたりして、直接手でこすって外気の菌を目の中に入れないようにする防御策が自然と働いているのかもしれない。
 モノモライになると眼帯をする。目が腫れて人に見られたくないからなのだが、逆にこの眼帯姿がちょっとカッコいいとか思ったりして、かえって堂々と歩いて小学校に行ったりした。小さい頃には眼帯姿のヒーローが少しはいた。「独眼流正宗」(とか言っても若い人には何のこっちゃ?だろうが)とか「ピーターパン」に出てくる悪者の船長は片目で片腕だった。今眼帯をして歩いている人をほとんど見かけないが、マスクにしろ眼帯にしろ、昔より今の方が美しくないと考えて敬遠するのだろう。確かに小学校の時はどうであれ、今思うとあまりカッコいいものではない。しかし、世の中にはカッコいいものばかりが必要なわけでもない。何がカッコよくて何がカッコ悪いかの定義は時代によっても違うし、場所によっても違うので一概には言えないが、例えばカッコいいものと悪いものを物事の両端だとすると、その両端を許容する社会が最も健全な社会で、どちらか一方にふれてしまった社会はかなり病んでいるのだと私は思う。
 細いものがカッコ良いとされてすべてが細くなってしまう。白いものがカッコいいとされて世の中が全て白くなってしまう。どちらにしてもあまり健全じゃないのだが、けっこう今の社会、というか若い人たちの価値観がこれに近いものを持っていて、大丈夫なのかな?と時々思ってしまう。極端な清潔指向や無臭指向は感性の基本を奪い取っていないかなという気がする。いい匂いと悪い匂いだったら、誰でもいい匂いを嗅ぎたい。だから、悪い匂いをなくしてしまう。この考え方は絶対におかしい。おかしいだけでなく、これをやっていたら匂いという感覚そのものをなくしてしまうことになる。どんな悪臭でもすべての種類の匂いは必要で、腐った匂いというのは人間が生きるために最も大事な基本の匂いだ。
 モノが腐っていることを匂いで判別できない人間は半分ぐらい生きる能力を失ってしまっている。どんな生物でも、食べ物の匂いは2つに一つだ。「食べられる匂い」か「食べられない匂い」か。そのカギを握っているのが「腐った匂い」。これがわからなければすべての食べ物は同じになってしまう。生物を生かす匂いも殺す匂いも同じ匂いだったらその生き物は常に死の恐怖にさらされる。最近の若い子たち(別に若い子を目の仇にしているわけではない)は、すべての食べ物を冷蔵庫に入れ、食べ物に表示してある賞味期限や製造年月日だけをたよりに食べ物が食べられるものかどうか判断している。自分の鼻で判断できないからなのだろう。これは、二重の意味で嗅覚をスポイルしている。まず第一に、冷蔵庫に入った食べ物は冷えている。冷えたものは匂いを発しにくい。だから、匂いで腐っているかどうかが判断しにくい。さらに、書かれた賞味期限は単なる目安にしか過ぎないのにそれだけを鵜のみにして、まだ食べられるものを平気で捨ててしまう。肉類は、ちょっと腐りかけが一番おいしいと昔から言われているが、若い人たちにそれを試す勇気はないだろう。
 私は、多少臭い肉でも平気で調理して食べる。それが万が一悪い方に作用したところで多少お腹をこわす程度だと思っているからだ。人間、そんな簡単に死にやしない。もっとこわいのは、毒を持った食べ物だが、これは別の問題だ。これには知識が必要だ。食べ物に対して世界一どん欲な中国人は、昔からいろんな食べ物を試してたくさん人が犠牲になったのだろうなと思う。だからこそ、世界一の食文化を四千年も維持してこられたのだ。

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