MARCH 1のDIARY  『保育園での演奏』

 

 ひな祭りは3月3日だが、今日は、友人の作曲家夫婦に頼まれて彼らの次女の通う保育園のひな祭りのイベントで演奏した(もちろん、ノーギャラで)。昨年も、彼らに頼まれて長女の保育園で同じようなイベントに参加したが、今年もまた頼まれてしまった。頼まれてしまったと若干無理矢理頼まれてイヤイヤやっているような言い方をしているが、本当は私の方が彼らよりも楽しんでいるのかもしれない。昨年参加した笹塚の保育園よりも今年の幡ヶ谷の保育園の方が幾分大きく、園児の数も0才児から5才までとかなり幅が広く多い。昔、目黒のアメリカン・スクールの保育園で、おおぜいの3才児と4才児の前で交互に演奏したことがあったが、3才と4才ではこれほど反応が違うのかびっくりするほど、この時期の1年の違いは大きい。 私は、これまでに一度も子供を育てた経験がないので、実際の育児がどんなものかわからないが、子供が好きなことは自分でも確かだと思っている。この年令でずっととまっていてくれないかと真剣に考えるほど、この年代の子供たちは本当にカワイイ。5曲ほど彼らと演奏した後、園児や先生たちと一緒に食事をした。50人以上のの園児が7、8人ずつのグループに分かれて小さなテーブルと小さなイスに座っている所に私が割り込むような形で園児たちと一緒に食事をする。私が座ったら壊れてしまうのではないかと思われるようなオモチャのような小さなイスだ。ひな祭りにつきもののばら寿司を、一つは海苔で巻き、もう一つは錦糸卵で巻いた上にうずらの卵で頭を作った一対のかわいいひな人形のような食事と、野菜や鳥の空揚げなどを一緒に食べたのだが、子供たちがすぐにちょっかいを出してきて食べ物をくれたりする(なぜかカルピスが飲み放題だったりするところがオカシかったが)。 横の女の子たちは、「卵が嫌い」とか言いながら私にうずらの卵をよこす。おかげで私は、うずらの卵を5つも食べなければならなかった(男の子たちは、食事を早めに終え、デザートのイチゴの大食い競争に走っている)。あんな小さなウズラの卵と言えどもニワトリの卵と同じだけのカロリーとコレステロールを持っているわけだから、もう2、3日卵を食べるのは禁止しなければならない。
 とにかく、子供たちと一緒に食事をするのがこれほど楽しいことだとは知らなかった(知っているわけはないのだが)。日本の大学を卒業する時に、知り合いに保育園を経営している人間がいて、保母さんを探しているという話しを聞き、私ではダメかと尋ねたら、男の人ではどうもと鄭重に断わられたことがあった。まだ保父さんという職業が定着していない時期だった。今だったら、きっと二つ返事で雇われたに違いない。ここが私の人生の一つの転機だったのかもしれない。人生にタラレバはないわけだが、私があの時保父さんになっていたら、その後の私の人生はどうなっていたのだろうと時々考える。いや、きっとまたそれはそれでまったく違った人生があったのだろうが、現実には今ここにこうしている自分しかありえないし、ありえなかったことは確かだ。音楽や文章を書くことを生業にする自分が今ここにいなければ、これまでの人生もなかったことになる。どうあがいても保父さんにはなれなかったに違いない。子供たちと一緒に食事をするのは実に楽しいが、それが仕事だったらまた違った感覚になるのだろう(年に一回しかやらないから楽しいのかもしれないが、1回ではあまりにも少ない。また、彼に無理矢理イベントを作ってもらおう)。

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