FEBRUARY 9のDIARY 『紫式部物語』 

 

 前回のダイアリーの続きに若干なってしまうが、もう1冊読んでいる本がある。これは、「香水」とは違って、出たばかりの本。アメリカ人女流作家ライザ・ダルビーという人の書いた『紫式部物語/上下巻』。友人の翻訳家の岡田好恵という人が書いた本なので読み始めたという理由もあるが、この本はおそらく友人が訳した本という特別な理由がなくても、書店で衝動買いをしただろうと思う。
 外国人が『源氏物語』や日本の古典文学に興味を持つというのはさして珍しくもないし、我々も外国文学をずっと読み続けているのだから、お互いさまと言えばお互いさまなのだが、この本は、ちょっと面白い。何が面白いかと言えば、このライザ・ダルビーという人の日本の古典に対する知識と日本人の感性に対する理解度が尋常ではないところだ。日本人でさえ「春はあけぼの、...」といった感性や情緒を最近ではほとんど忘れ去ってしまっているのに、この人は、そういった感覚をちゃんともっている。いや、持っていると思わせる。この本は、『源氏物語』を忠実になぞった本でも何ではなく、作者の紫式部という女性作家がどういった生活や感性をしていたかということを想像しながら書いているところがまた興味をひく。こんなマネ、よっぽどこの時代の知識や生活がわかっていないとできないことだ。自分がジュリアス・シーザーだったらこんな事をしただろう、こんな生活をしただろう、と古代ローマ人でもない現代の日本人が勝手に想像してジュリアス・シーザー物語を書くようなものだ(塩野七生さんは、それに似たようなことをしている偉大な作家だ)。でも、それをこのアメリカの女性がやってしまう。しかも、その紫式部という女性の考えていただろうことや、していたことが、現代の我々とほとんど変らないのではないかという事を実に見事に教えてくれる。
 確かに、モノやコトバは現代とはまったく違ってしまっている部分が多いが、感性的にはそんなに今と変らない気がする。でも、それは、この紫式部という女性が庶民ではなかったところにも原因があると思う。当時の生活では、庶民は文字を書く必要もなかっただろうし、綺麗な着物を着ていたのも、化粧ができたのも特権階級の人たちだけ。ましてや、和歌を作ったりして、知的な遊びをするなどというのは、庶民にはまったく関係のない出来事だったに違いない。おそらく、普通の庶民の女性は、今から比べればかなり汚い格好しかできなかっただろうし、食べ物だって質素だったはずだ。だとすれば、この紫式部の書いた『源氏物語』というのは、やはり一種のファンタジーだったような気がする。
 もちろん、ごく一部の特権階級にとってはその世界は近い世界だったとしても、『源氏物語』の光源氏みたいな人間は、この当時でも絶対にいそうもないスーパー・スターだし、超極上のドンファンだったはずだと思う。この『紫式部物語』では、架空の登場人物として紫式部の女友達や幼馴染みが出てくるが、そういった女性同士の友情から、ファンタジックや夢物語としての『源氏物語』が出現したというのは、あながちこの作者ライザ・ダルビーだけの突飛な解釈ではないような気がする。いろんな意味で面白い本だ。

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