JANUARY 9のDIARY『ソバうち』

 

  正月に、久しぶりにソバをうったせいか、またソバをどんどん作ってみたくなった。手打ちのソバがどれくらいおいしいかソバ好きの人はよくわかるだろう。ソバなんていう食べ物は、本来そんなぜいたくな食べ物ではないのだから、昔の人はよく家で作っていたのかもしれない。ソバは、うどんと違って、それほど時間がかからずにできるから重宝だ。うどんは、小麦粉を打ったり寝かしたりがけっこう面倒だし、何よりもかなりの力仕事だ。その点、ソバ打ちはそれほど力を必要としない。
 私が最初にソバを打とうとした時、何を混ぜていいかさっぱりわからず、近くのスーパーに走った。もうかなり前のことだが、その時売り場に置いてあった生の麺の後ろを見て何が材料に使ってあるかを確かめるところから私のソバ作りが始まった。ソバ粉、小麦粉、卵、山芋、水、食塩と、確かそのソバ麺には書いてあったはずだ。
 ウム、なるほど、この材料を全部混ぜればソバは出来上がるのだな?
 私の発想は、いたって単純だ。材料はわかってもその分量は何にも書かれていない。でも、東京では俗に二八ソバと言う。小麦粉2に対してソバ8の割合で作ったソバという意味だ。私の場合もこれが基準だった。何よりも江戸前のソバが大好きな私としては、濃いだし汁に合うソバが作りたかった。つなぎに山芋を混ぜるのが私のやり方だが、粘りの強い山芋はソバが固くなり過ぎてのどごしが非常に悪い。だから、ゆるいトロロ風の山芋を使うようになった。関東でも、長野がソバの産地として知られているが善光寺そばとかは、いまいち私の好みにあわない。長野のソバは、ソバ粉の割合が多いのでわりとボソボソしているものが多いが、問題はそこではなく、麺の形だ。長野のソバは、東京の丸い麺ではなく、四角い角ばった麺が多い。あの角がよけいにボソボソ感を増す。ぼうず憎けりゃの類いではないが、一つ気に入らないところが出てくるとすべてに好感が持てなくなってくる。
 人間というのは、よくよくごう慢にできている。たかがソバにうんちくを語る人もいれば、私みたいに自分でソバを打って満足している人間もいる。凝る人は、そば粉を自分でひいたり、自分でそばを栽培する人までいる。昔、TVでそば好きの人たちが集まってそばについてああでもないこうでもないと大マジメに議論している番組があった。場所がどこだか忘れたが、ある地方にそば好きが集まって、そばの品評会をやっていた。それぞれの人たちが作ったそばをみんなで食べて評価するのである。まあ、それはいいとしても、問題はその食べ方だ。みんなタレにはつけずに、水だけで食べていた。こうしないとソバの味がわからないというのが、彼らの言い分だったのだが、水だけでソバを食べておいしいのかい?とその時は思った。私も、何度かその食べ方を試してみたが、おいしいとは言えないまでも、ソバの味がわかるというのだけは納得できた。ソバそのものの味は、タレをつけない方が確かによくわかる。聞き酒にしても、水を飲みながらやる。あれと一緒だろう。ただ、そこまでしてソバの味がわかる必要があるのだろうか?おいしければイイじゃないか。私のソバ作りの目的はそこだ。うまいソバが食べたい。ただそれだけ。

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