JANUARY 28のDIARY 感動ということ』

 

 人間って、どんな年になっても初めての体験をした時は、素直に感動できるものだし、またそうしたいとも思う。私が、生まれて初めて感動したのは、ほんの他愛のないこと。母親が、自転車を買ってくれた日のことは今でも鮮明に思いだせる。あの時の嬉しさは、自分が自分一人の力で自転車をのりこなせた瞬間の感動と一緒に、自分の中の本当に大切な思いでの一つになっている。そんな些細なことでも、人間はずっと大事に守っていかれる。
 つい昨日と一昨日の2日間に行ったライブでの記憶も、それと同じように、この先もずっと大切に守っていかれるものに違いない。これまでに何百回、何千回と人前で演奏したはずの私のキャリアの中のたった2日間の記憶、ではない何かがそこにあったような気がする。2日間自分のライブを続けてやったのは確かに初めての経験だったが、それだけのことに特別な何かを感じたわけではない。26日のライブは、リズム・ループにあわせて演奏するというこれまでのライブでは味わうことのなかった体験をした。その難しさと面白さを同時に味わえたことは貴重な体験だけれど、それ以上に私自身が興奮し面白さを感じたのは、ループを作ってくれたTaQや、一緒に歌を歌ってくれた長谷川あゆという二人の若いアーチストととの共演だったのかもしれない。
 自分は長いキャリアを持ったアーチストだという自負は確かにあるが、演奏の現場ではそんなものにおぶさっていても何も生まれてこない。一緒に演奏する仲間と真剣に勝負して、なおかつ演奏に喜びを感じることが、最終的には一番大事な、聞いている観客に感動と喜びを与えることにつながる。その意味で、この若い二人から受けた刺激をエネルギーが、私のプレーにいい影響を与えてくれ、その結果、初日に来てくれた観客に何らかの感動を与えることができたのではないかと思う。けっして、思い込みではなく、観客とのインタープレーができたような気がする。
 そして、翌日の土曜日、大雪の降る東京の空の下、わざわざ足を運んでくれた十数人の観客。本番の前の数分前まで、一体どれだけの人が来てくれるのだろう。たとえ、たった一人の観客であっても、客が来れば演奏をするつもりで腹をくくっていたライブだったが、結果的には、十五人もの人たちが来てくれた。ゼロも覚悟した自分にとって、そこにいた十五人の人たちが、どれほど私にとってかけがえのない存在でそこにあったかは、ことばにしてもしきれないほどの感動を私に与えてくれた。その十五人の人たちには、限り無い感謝の念と同時に、この人たちと一緒に音楽を楽しむことができた喜びが私の心の中で充満していた2時間でもあった。そして同時に、あまりにも、マイクを使うことになれてしまい、楽器の生の音を伝える音楽の原点を忘れてしまった私に、楽器の音を再び思い出させてくれた時間でもあった。自分で自分の出す楽器の音を楽しみ、そしてその音が直接観客一人一人の心に届いていく感動がそこにはあったような気がする。 音が空気の振動であるという当たり前の原理を自分の身体で実感し、それを聞く相手に、同じ空間の中で伝える。そんな単純な原理から音楽の喜びと感動は生まれてくることに改めて気付くことができた、本当に貴重な二日間だった。

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