DECEMBER 9のDIARY 『若き友へ送る』

 
 今、キミは人生に岐路に立たされているという。
 それは、まず自分自身をホメルべきだと思います。自分が今岐路にあるという認識すら持てない人は世の中にたくさんいます。それを、そんな二十歳そこそこの年令で自覚できたこと自体けっして悪いことではないと思います。でも、問題はそこから。  
何をするべきか?きっとキミが悩んでいることはそのことでしょう。私には、キミという人間がそれほどよくわかっているわけではありません。いや、ほとんど知らないと言った方がいい。だから、「何」をするべきだということは口が避けても言えません。でも、私があえてこんなことをキミにわざわざ言おうとしているのは、人生の中でこれから起こるかもしれない出来事にキミがどうあって欲しいかということです。
 世の中に仕事はたくさんあります。キミはヨガをやろうとしているとか言っていた。セラピーをやって人を助けたいとも言っていた。医者になるのもいい。看護士さんになるのもいい。大学の先生になるのもいい。でも、問題は「何」になるということではないと思います。人間は、生きていく瞬間瞬間でいろんな選択を迫られているし、選択をしていくものです。カレーを食べるかラーメンを食べるのか?女の子とホテルに行くのか、クラブに行くのか?親とけんかをするのか、ゴロっとテレビを見るのか?どんな時も、いろんな選択をしながら瞬間瞬間を生きていく。クラブで一晩中踊っているのもいい。女の人と一晩中ベッドにいるのもいい。ゴロっとテレビを見ていてもいい。友達としゃべっているのもいい。でも、その時間は永遠には続かない。永遠に続くものは、もちろん何もない。しかし、「自分」から逃れることはできない。「自分」は、自分が死ぬまで「ほぼ永遠に」ついて回るもの。
 そう。大事なのは「何」ではなくって「自分」。
 ハリー・ポッターのテーマは、「何」かを探すことではなくって、結局「自分」探しです。「自分」が何者なのかを見つけに行くハリー・ポッターにきっと世界中の人は自分自身の人生のテーマを重ねているのかもしれないと思います。
 私自身の話しになってしまうけど、私がキミを同じぐらいの年に「何」をしていたかと言うと、大学の内と外で一生懸命ゲバ棒を振り回していました。そうすることによって、きっと「何か」が変ると思っていたからです。結果、おそらく「何か」は変ったのかもしれない。でも、その「何か」が変ったって「自分」が変ってなければ何にもならない。そう思って、卒業の数年後、私はアメリカに旅だちました。「何」か特定のものを目指しての旅だったわけではなかったと思います。もちろん、日本から遠く離れたアメリカへわざわざ留学しようというのだから、「何か」理由が必要でした。音楽の勉強。そう、それで十分でした。とりあえず周りも納得させられるし、自分も「そうなんだ」と納得できるのに十分な理由です。でも、実際は違っていたのだと思います。私が求めていたものは、「音楽の勉強」でも、「音楽の技術」でもなくって「自分」は一体何者なんだ?「自分」は何をするべき人なんだ?「自分」に課せられた人生の宿題は一体何なんだろう?ということを自分が理解できるだけの「自分」を作る旅。その長い旅に出発しただけなのかもしれないなと今思います。まだ、その旅は終わっていないし、どこが終点なのかもわからない。でも、きっと世の中の人はみんな同じことをしているのだと思います。別に、自分だけが特別なのでも他人が特別なのでもない。みんな、「自分」探しがしたいから生きている。そして、「自分」がほんの少しでも見えるとそれだけで人は安心する。なぜって、「自分」が少しでも見えていれば、「自分」がその場所にいていいのかがよくわかるから。
 キミも経験したことがありませんか?よく知っている友達と話しをしていても急に不安になったり、急に居心地が悪くなったようなことを。それは、急に「自分」が見えだしたせいなのかもしれないと私は思っています。見えてきた「自分」。そして、その見えた「自分」を今いる環境の中で見てみると、本当にそこが「自分」の居場所なのかを疑い始める。「自分はここにいていいのだろうか?」「もっと、他にいるべき場所があるのではないだろうか?」。そんな疑念を持ち始めた「自分」は、急に居心地の悪さを感じ始める。ただそれだけの事なのだと思います。でも、「自分」っていうのは、そんな小さなきっかけで見つかり始めるのかもしれないなとも思っています。急に家の中から家系図が出てきて、「自分は、この人の子孫だったんだ!」というような遺伝子的な謎解きなんかではなくって、もっと、「自分一人だけの自分」を探すこと。つまり、西洋人的に言えば、「アイデンティティ」みたいなことなのでしょうか?自分が、他の誰でもないという証明。「オレはオレだぞ」って大きな声で叫べる「自分」がそこにいさえすればいいと思います。
 私は、別に今キミにこれをしなさいあれをしなさいということは言えません。逆に、「何」しちゃいけないということも言えません。唯一、キミに望むこと。それは、「自分」をよく見て欲しいっていうこと。それだけです。

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