DECEMBER 3のDIARY 『ライブのお豆腐屋さん』

 
  夕方の豆腐屋さんのラッパの音を聞くと、家に帰らなければという強迫観念が小さいながらも起こってきて何となく家路を急いだものだ。豆腐やさんのラッパの音と夕方の薄暗い風景、家々から漂ってくる夕御飯のおかずの匂いは常にリンクしていた。でも、今どき豆腐屋さんのラッパの音を聞くことはついぞなくなった。それが、未だに現役でラッパを吹いて豆腐を売っている人がいるというラジオの番組を聞いた。ほう、今どきそんな人がいるんだ、という驚きでそのレポートを聞いていたら、その豆腐屋さんの姿がくっきりと浮かび上がってきた。
 「他のお豆腐屋さんより断然おいしい」。常連のお客さんがインタビューに答えていた。まあ、確かにおいしいのだろう。でも、それだけじゃないだろう。
 未だにラッパを吹き続けながら豆腐を売っているそのご主人が語っていた。「いや、前の晩に家族と喧嘩したりした時は味がガタっと落ちるとお客さんから指摘されるんですよ。そういうお客さんとのコミュニケーションが楽しいし、大事なことなんじゃないんでしょうか」。  
 お客さんの反応が直接聞ける商売は今どき珍しい。前にもこの番組では商店街のレポートをやっていたが、小さな小売店とスーパーとの違いは圧倒的に客との直接のコミュニケーションがあるかどうかだ。大きなスーパーの店員は、マニュアル通りのことば、動作しかしないし、またそれ以上のことを要求されてもいない。しかし、このお豆腐屋さんのように、お客さんとの直接のコミュニケーションで味を指摘され、そして、また味を変えていこうとすることこそが、小売店の最も利点であり大事なポイントなのではないかと思う。これは、音楽でも同じこと。CDの中で一方的に詰め込まれた音は、本当は音楽なんかではない。同じものを、何千も何万も大量に作り、ただたくさん売れることがいいことだというような事をメジャーのレコード会社は客にも信じこませようとする。そうすれば、客がその味に文句を言うこともなくなるし、また客は同じようにたくさん売っているものがいいものだということを信じて買ってくれる。でも、ライブやコンサートでの音楽は違う。そこにはお客さんがいる。音楽をやっている人間はいい演奏ができるかどうかはお客さん次第という面もある。いい客の時は不思議といい演奏ができる。客が演奏を一緒に作ってくれるからだ。逆に、客の立場であれば、いい演奏なら盛大な拍手をすればいいし、悪い演奏ならきっとシラっとした拍手になるだろう。お客さんは正直だ。そして、そこにある客とプレーヤーのコミュニケーションがいい音楽を生むし、本当の音楽を作っていく。  
 お客さんとじかに接することのできるお豆腐屋さん。それも、豆腐屋みずから客の方に出向く、そういう昔ながらの豆腐屋さんがなくなってしまうのは寂しい。番組の中の豆腐屋さん曰く「発酵し過ぎる前に止めるんですよ」。それを聞いて、この人はかなりスタイリッシュな人だなと思った。でも、私ならこう言うかもしれない。「お客さんがいる限り、這いつくばってでも売りに行きます」。  
 どちらにせよ、ライブの豆腐屋さんが見られなくなるのはやっぱり寂しい。

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