DECEMBER 20のDIARY 『心のすき間』

 
  誰しも心に隙間が空く時がある。隙間が空いた瞬間、その隙間を埋めようと「何か」が入りこんでくる。 人間の心の隙間に「何か」が入り込むのは意外と簡単だ。
 昔から私はよく仕事仲間から相談を受ける。これから業界めざして頑張ろうとしている若い十代や二十代の子たちには心の隙間などない。元々が何でも受け入れようとしているのだから、どんな人の意見でも心の中に素直にストレートに入っていく。それが正しいものなのか間違ったものなのかは、後になってようやくわかる。それだけのことだ。でも、そうした若い時期の失敗は逆にした方がいいのかもしれないとも思う。まだまだ十分に立ち直れる可能性があるのだから。しかし、私がいつも残念に思うのは、そうしたまだ右も左もわからない若い子たちの失敗ではなく、それこそ五年や六年、あるいは十年近くこの業界で経験を積んだ人間たちの取りかえしのつかない失敗だ。
 数年前にこんな事があった。ある女性が私に電話してきた。「みつとみさん、私今度CD出せることになったんです」。弾んだ声でそう話してくる彼女に、私も思わず「良かったじゃないか。おめでとう」と激励する。しかし、話しを進めていくうちに、彼女の話しの内容のオカシサに少しずつ気づき始める。「ちょっと待って。その話し、どこかオカシイよ。そのプロデューサーという人間は本当に信用できる人なのかい?」。私の質問に、彼女自身あまりはっきり答えられない。だんだん彼女の声の調子が落ちてくる。彼女自身も手放しで喜んでいるわけではなかったからだ。
 この女性は、バックコーラスやスタジオで長い間歌を歌ってきたれっきとしたプロのシンガー。しかし、まだCDデビューはしていない。つまり、まだアーチストとしては世間で認められていなかった。いくら音楽で仕事をしていても、歌を歌う人は究極自分をアーチストとして世間に認めさせたいと思っている。それが俳優であってもタレントであっても、自分が世の中から存在を認められない限り仕事をしたという実感はなかなかおきないものだ。しかし、この彼女のように、ただ「仕事」だけで経験を積みだんだんと年をとっていき、アーチストとしてのデビューの時期を逃してしまうと、そんな気持ちの焦りが彼女の心にポッカリと隙間を空けてしまうといったことがよくおきる。彼女ほどの経験を積んだ人でもコロっと甘いことばに騙されて多額のお金をそのプロデューサーとかいう人物に渡してしまったのだ。そんな話しはどう考えてもオカシイ。でも、その時の彼女にはそのオカシサに気づくだけの心の余裕はなかったのだろう。どうしてもデビューしたい。そんな焦りが彼女の心に隙間をあけ、そこに誘惑のリンゴは大きな実をつけてしまったのだ。
 私と話しをしながら、彼女の声がだんだんと泣き声に変っていく。自分のしたことの意味が何となくわかってきたのだろう。しかし、私も彼女が騙されているとはまだ断定できない。ことばを濁しながらも彼女を一生懸命慰める。しかし、結局その後、彼女がCDデビューしたという話しを聞くことはなかった。
 人間の心に隙間ができるのは心が満たされていないから。
 そんな当たり前のことはみんな百も承知のはずだ。でも一方で、自分だけが満たされていないとは思いたくないのもやはり人間だ。あの子はデビューしている。売れている。でも、私は売れていない。その現実を目の前にしても、あくまで自分の心が満たされていないとは思いたくない。悪いのは私ではない。私をデビューさせない世間なのだ。世の中なのだ。でも、現実に時間だけは刻々と過ぎていく。自分でも気がつかないうちに、心には予想もしないほど大きな隙間が空いてしまっている。そんな時、ほんの少しでも一歩下がった考え方ができればそれほど傷はつかないのかもしれない。今私が懸命に求めているものは、私の人生にとって本当に必要なものなのだろうか?ひょっとしたら、アーチストとしてデビューなどしなくても、もっと他に自分を世の中に認めさせる方法があるかもしれない。もっと他に幸せになれる方法があるかもしれない.....。
 これだけがすべて。そう思い込んだ時こそ人の心には隙間が空いてしまうものなのだろう。だって、世の中に「これだけがすべて」なんてものは絶対にあるわけがない。人間の心はどんなものでも受け入れる大きな器を持っている。要は、そうした大きな度量を持っている自分という人間をどれだけ信じられるかということなのだ。

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