DECEMBER 15のDIARY 『出会い/一期一会』

 
「一期一会」ということばがある。誰でも知っていることばだ。人と人とが接する時の心構えを教えていることばであると同時に、人間と人間の関係とはどういうものかを教えていることばでもある。
 一生のうちで、一人の人間はいったいどれだけの人間と知り合うことができるのだろう?普通に考えれば数百人単位だろう。中には、何千人という人もいるかもしれない。ただ、本当の意味での知り合いと言えるような関係になれば、それほど多い数ではないと思う。せいぜいが数百人どまりなのではないだろうか。
 一度だけことばを交わしただけの人。何回か仕事を一緒にしたことのある人。一緒に食事をしたことのある人。悩みを打ち明けあった人。悩みを聞いてあげた人。仕事の相談をした人。どんなことでも相談できるような人。とことん信じあえる人、.....。人それぞれいろんなつき合い方の知人を持っている。友達と呼べる人も、呼べない人も。でも、最近つくづく思う。本当にこの人とはどこまでもとことんつきあっていけるだろうなと思う人はそれほど多くはない。せいぜい数人。じゃあ、その人たちは、自分が生きてきた数十年の時間をずっと一緒に歩んできた人たちかというと実際はそうでもない。足掛けのつき合いの年数にすればかなりの年月がたってはいても、その間ずっとべったりと来たような人は意外と少ない。中には十年ぐらいのブランク、あるいは数年のブランクの後に交際が再開した人もいる。
 今、足掛け二十年の友がいる。その彼とは、二十年前に仕事先で知り合い、二年ほど一緒に仕事をした。しかし、その後、あまり関係は緊密ではなかった。一時ほとんど音信のない状態が数年も続いた。しかし、またある時それは突然復活した。それからは、最初の二年間のつきあい方の数倍の親密度でつきあいを始めている。時間の密度の問題ではない。お互いの信頼関係がそれだけ深まったということだろう。だから、この人との間にあった過去の空白の時間などはまったくなかったに等しい。そして、この彼との関係に近いようなつきあい方をしている人は、他にも数人いる。問題は時間の密度ではないのだろう。長い時間の間にどれだけ自分に近い場所にいたかとか、どれだけ自分と時間と共有していたとか、どれだけ同じことをしたかといったこと以上に、自分の人生にとって大事に思える人は必ずいる。そういう人とはおそらく絶対に関係がなくなることはない。一時的に疎遠にはなっても、本当に必要な人とはいつか必ず再び巡り会う。そして、その人の人生に大事な役割を受け持ってくれる。最近はそれが素直に信じられるようになってきた。一時的に盛り上がった関係もいつかは冷めていくかもしれない。ある時期一緒に仕事をした仲間もそれが終わってしまえば、それっきりの関係になってしまうかもしれない。しかし、本当にかけがえのない人は、そんな時間の密度とはまったく違った次元でその人との関係を持っているのだろうと思う。本当に必要な人は、絶対に自分のそばから離れていくことはない。それが一時的に離れていったように見えたとしても、本当に必要な人とはまたいつかどこかで接点ができる。そして、それは以前の関係よりももっと濃いものになるかもしれない。もっともっと信じあえるような関係になるかもしれない。
 一期一会ということばの意味をもう一度考え直してみる。
 人と出会ったその一瞬、そのたった一回の出会いが最後の出会いだと思って一所懸命にその出会いを大事にしなさいという意味のこのことば、ひょっとしたら、この「一期」の時間の単位はとてつもなく大きいものなのかもしれない。それこそ、人の一生ぐらいの時間の長さを意味していることばなのかもしれない。そんな風にもだんだん思えてくる自分がいる。

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