DECEMBER 14のDIARY 『料理と音楽/二つの幸せ』

 
  食べ物は人を幸せにする。自分が料理を作って人に食べてもらう。人が喜ぶ顔を見るのが何よりも嬉しい。自分が楽器を演奏する。客が私の演奏を楽しんでくれる。音楽も人を幸せにする。理屈ではなく、人をこんなにも喜ばすことのできる特技を二つも持てた事を感謝している。
 イタリアの映画に『星降る夜のリストランテ』というのがある。イタリアのローマだと思うが、一軒のレストランの一晩のさまざまな客たちの人間ドラマが描かれている。レストランの女主人を始め、十数組の客たちの悲喜こもごもの人生の断片が食事を通して描かれている。彼らのほんの一晩だけの会話に見えるさまざまな人生は、それがほんの断片だからこそその内実までよく見えてくるような気がする。不倫の結末、新しい出合い、母娘の別れ、親子の情愛、....。本当にさまざまな人間ドラマがそこにある。でも、そこでよくわかることがある。不倫は一生は続かないだろうし、新しい出会いもいつかは日常に変っていく。母と娘はたとえ離れていても親子である。別れの悲しさはほんの束の間だ。しかし、人間は食べることから一生逃れられない。というか、人間はひょっとしたら食べるために生きているのかもしれないとさえ思えてくる。もし、食べることが目的だったら、それを楽しめるかどうかがその人が幸せになれるかどうかを決定してしまうことにもなる。イタリア人の食事に対する執念はすさまじい。イタリア人を始めとしたラテン系の人たちの食に対する楽しみ方も半端ではない。食事に2時間も3時間もかけていては仕事にならないだろうにと思うが、彼らは別に仕事をするために生きているのではない。まさしく食べるために生きている。だから、彼らにとってスパゲッティはほんの前菜なのだ。
 映画の中で、子供の誕生日のために叔母が二人のミュージシャン(フルートとハープ)を雇い、彼らがモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」を演奏するシーンがある。演奏する間、カメラはそこにいるすべての人の顔を追う。客だけでなく、料理人、ウェイトレスたちもすべての手を休めて音楽に聞き入る。音楽が食事を止める。ここで初めて映画のメッセージが伝わる。音楽と食事。この二つを並列に並べると、普通、食事とBGMという関係になる。しかし、この映画の中では音楽が食事の手を止めさせる。つまり、食事は人間の目的。同時に、幸せを求めることも人間の目的。音楽はその幸せを一瞬にして与えてくれる。食事も人間を幸せにしてくれる。音楽も人間を幸せにしてくれる。でも、この2つは同列には並んでいない。人間は生まれた瞬間から食べることを死ぬまで強いられる。だから、人間は「食」に「料理」という価値を与えた。そうでなければ、食べることで幸せになんかなれないと思ったからだろう。でも、音楽は、一瞬にして人間を「食」から解放する。だから、食事の手を止めさせることができる。同じ「幸せ」でもまったく質の違う「幸せ」を、食事と音楽は人間に提供してくれる。どちらも、人間にとって同じぐらい必要な「幸せ」なのかもしれない。

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